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ぽかぽか春庭「わたしはダニエル・ブレイク」

2017-07-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20170713
ぽかぽか春庭@アート散歩>未来への花束(1)わたしはダニエル・ブレイク

 百歳までがんばって生き抜こうと決意している春庭。
 資産なし、貯金なし、介護保険天引き後の国民年金じゃアパート代にもたりない、という現状で、長く生きれば生きるほど、みじめなつらい老後が待っていることは承知です。どんなにみじめであろうと、つらかろうと、身体ふしぶし痛かろうが心が病もうが、とにかく、これからの20年30年を見届け、世の中がどのように変化していくのか、この目で観察したいのです。よい方向へ変わる希望はほんのわずか。たぶん、このあと、底なしに沈んでいくか、ある日突然の破局か。

 どんな老後であれ、18歳から働き続けきちんと納税してきた人間が、人としての尊厳を持って生き続けて行ける世の中であるのかないのか、見届けるつもりでいます。
 もしも、病気などでどうしても働けず、食べていけないにときが来たら、行政に対して、これまで納税してきた分の福祉をきっちり要求します。

 私の親の世代は「お上の世話になるような人間」に対して、「恥ずかしい」という意識があったように思います。
 これまで一生懸命じぶんのできる限りの働き方で働き続けた人間が、ある日、力尽きたとき、行政に助けを求め福祉の恩恵を受けること、当然のことと私は思います。私は恥などと思いません。堂々と福祉がなされるべきと主張します。 

 7月9日飯田橋ギンレイホールで『未来を花束にしてSuffragette 』を見に行きました。続けて、同時上映作品『わたしはダニエル・ブレイク』を見ました。

 イギリスの福祉政策。「ゆりかごから墓場まで」とは打って変わった昨今の緊縮福祉政策のため、まじめに一生懸命生きてきた人々がどれほど過酷な運命を背負わされているか。
 一度は引退したケン・ローチが引退撤回してメガホンをとった作品です。第69回カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞。ケン・ローチ監督は、2度目のパルムドール受賞です。以下、ネタバレを含む作品紹介です。

 イギリス北部のニューカッスル。衰退する産業のなか、ニューカッスルもかっての繁栄は取り戻せない。
 その街で、ダニエルは長年心を病む妻を介護しつつ大工の仕事を続けてきました。しかし、60歳を目前に心臓発作を起こし、現場の足場から落下。ドクターストップがかかって大工の仕事を引退せざるを得なくなりました。

 ダニエルは、福祉の援助を要請しようとします。しかし、担当の役所は、入り組んだ仕組みの要請書を書くよう命じるだけ。パソコンなどさわったこともないダニエルに、パソコン要請のみ受け付けると言うのです。

 図書館でパソコンを習おうとするダニエル。「マウスを画面に当てて動かす」と言われると、ダニエルはマウスを手に持って、モニター画面に押しつけようとします。
 求職者手当、傷病者手当、どちらの仕組みもよくわからないまま、福祉のはざまにおいてけぼりになります。

 ダニエルと同じように、福祉制度から、はじきとばされてしまっているケイティ母子。
 ケイティは、2度の結婚の末、娘デイジー、息子ディランとロンドンのアパートを追い出され、はるばる北国のニューカッスルのボロアパートをあてがわれて引っ越してきます。
 ダニエルは、ケイティのボロアパートを修理してやり、無料の食料配給所を紹介します。しかし、無料食糧配給所を利用していることで、デイジーは学校でいじめにあいます。自分たちよりさらに貧しい者をあざ笑いおとしめようとするのは、底辺社会の常套手段です。それ以外に自分の惨めさを救い出す方法を知らないのです。

 ダニエルもケイティも、まじめな働き者として生きてきたのです。それなのに、福祉の恩恵はふたりには与えられません。
 生理ナプキンを買うお金もないケイティは、ふたりの子を飢えさせないのために、万引きに手を染めてしまします。その罪を問われないというかわりに、いかがわしい場所で働くことを余儀なくされます。それを知ったダニエルは、必死でケイティを止めようとしますが、ダニエルも追い詰められていきます。

 ダニエルの隣室のチャイナとその相棒は、有名メーカーのスポーツシューズが中国製であることをしり、中国工場につとめているネット仲間と共謀してシューズの個人輸入でひと稼せぎしようと計ります。黒人のチャイナと同居人にとって、それ以外に泥沼から這いでる方法がないのです。(直接の描写はありませんが、彼らがやがてその手の商売を牛耳るブラック組織によって排除させられるであろうことは、観客には想像がつきます。)

 ダニエルはケイティを助けようとして、できる限りの優しさを一家にふりそそぎます。手作りの木彫りの飾りをデイジーに贈り、ディランには物作りの楽しさを教えます。ケイティには、互いの尊厳を守ろうとする言葉を投げかけます。
 しかし、福祉の手はあくまで遠い。

 日本でも、福祉の現実はどんどん厳しさを増していることと思います。人をみじめにさせる福祉行政の話ばかり伝わってきます。
 経済ケーザイ、、、、、人は寄ると触ると金儲けに一喜一憂。金のない人間は馬鹿にされ、人としての尊厳すら踏みにじられる。いいのでしょうか。そんな世の中にどんどん変わっていく。荒廃し続ける人々の心。
 貧乏人が馬鹿にされる社会。自分と異なる考え方の人を排斥する社会。政府の言うことを聞かない奴らは、密告によってあぶり出そうという社会。
 
 ケン・ローチがイギリス社会を舞台に描き出した現実。格差と差別が世界中に広がるなか、つらい現実を見聞きします。
 ますます世の中が荒廃していこうとする今、何をすべきなのか。
  
<つづく>
コメント (5)
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