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ぽかぽか春庭「タイラス・ウォンのバンビ in 科学未来館」

2017-07-11 00:00:01 | エッセイ、コラム


20170711
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記梅雨的花束(7)タイラス・ウォンのバンビ in 科学未来館

 7月3日、娘息子と、お台場の科学未来館へ行きました。ティズニー原画展を見るためです。


 娘と息子、子供の頃の休みの日のお出かけというと、群馬の実家に行って、従姉達といっしょに連れて行ってもらうキャンプなどを別にすると、東京での我が家のお出かけは、無料イベントに応募してあちこち出かけたほかは、荒川河川敷とか近所の公園とか、お金がかからないところにお弁当を持って出かける、というのがほとんどでした。その中で、毎夏、豊島園プールとディズニーランドは、友達に「お出かけしてきた」と言える数少ない場所。バブル時代真っ盛りの頃、「ご近所の公園」では、お出かけしたことにならなかった。
 娘息子には、「ディズニーリゾートは楽しいところ」という刷り込みがしっかりとなされたので、成人しても春夏秋冬、季節ごとにディズニーランドとディズニーシーに出かけています。イベントが変わるから、何度出かけても楽しいのだそうです。

 「ディズニー原画」展も、ふたりで出かけるのかと思っていたら、「母の分のチケットも買ったよ」というので、いっしょに出かけることになりました。

 千葉大学の倉庫から、古いディズニーの原画やアニメのセル画が発見されたとき、私は、修復に携わった人の講演を聴いたり、原画の展示を千葉大学図書館で見たりしています。(2007年秋)
 この時の図書館展示ホールでの展示は、千葉大学で修復された原画のみだったので、2006年に見逃した東京現代美術館での展示のようなディズニーアニメ全体の原画をぜひ見たいと思っていました。

 会場はお台場の科学未来館。どうして、原画展示が美術館ではなくて科学未来館なのかというと、今回の展示は、「アニメ制作上、画期的な新技術を紹介、解説する」ということに主題がおかれているからのようでした。
 過去の技術を繰り返した作品は、大ヒットしたシンデレラやアラジンも展示されておらず、「ラテンアメリカの旅」のように、日本ではあまりヒットしなかった作品も展示されていました。

 アニメの技術革新、たとえば『ファンタジア』で初めて、ファンタサウンドという画期的な録音技術が開発され、映像と音響の完全な融合や一致が可能になりました。サラウンド音響システムはディズニーアニメから始まったのです。

 日系の男の子ヒロ・ハマダが主人公の『ベイマックス]
 新技術は、レンダリングソフトHyperion。どういう内容の技術か、私にはイマイチわかりませんでしたけれど、Hyperionによって、光の表現が画期的になったんだそうです。


 最新作は「モナと伝説の海」
 最新の3DCDの活用による水の表現が刷新されたのだそうです。


 私が一番心引かれた原画は、『バンビ』の背景画でした。アニメは子供の頃劇場で見て以来、テレビ放映のたびに見てきましたし、子供といっしょにビデオでも見てきたのですが、今回の原画展ではじめて、原画の背景を手がけたのは、中国系アメリカ人のタイラス・ウォン(Tyrus Wong 1910-2016)であったことを知りました。

 タイラス・ウォン(黃齊耀)は、2015年にその一生をたどるドキュメンタリーが公開されましたが、残念ながら2016年12月に106歳で大往生。
 ディズニー社でアニメーターとして活躍したのは、1938-1941という短い期間のみ。ディズニー社の従業員ストライキ騒動の影響で退社したので、ウォンが関わったディズニーアニメで、世に知られているのは、『バンビ』一作だけのようです。しかし、彼の東洋的な水墨画の背景画は、その後のディズニーアニメの背景に、これまでとは全く異なる概念を残し、大きな影響を与えるものでした。

 中国宋代の古典絵画をイメージした背景画


 タイラス・ウォンは、1910年に中国広東省泰山市で生まれました。1920年、9歳のときに両親に連れられてアメリカ移住。中国からの移民に厳しい「中国人排斥法the Chinese Exclusion Act)」によって両親は苦労を重ねましたが、タイラスはロサンゼルスのパサデナ中学校で、オーティス美術学校夏期講座の奨学金を得ることができ、その後、この学校の管理人として掃除などの仕事を引き受ける条件で、学校卒業までこぎつけました。卒業後は、グリーティングカードデザイナーなどをしながら、しだいに映画の絵画セットやストーリーボードを手がけ、1931年にディズニー社に入社。「バンビ」の主任アーティストに抜擢されると、中国宋時代の中国古典画を取り入れた背景画を描き、画期的な画面を生み出しました。





 1941年、ディズニー社では、労働条件への従業員の不満からストライキが起き、ウォンは他のストライキ賛同メンバーと共に解雇されました。
 ウォンはその後はワーナーブラザースに入社し、長く映画界で仕事をしたのですが、ディズニーアニメへの貢献は、その背景画が大きな影響を残したにもかかわらず、数十年も無視されていました。

 2001年、ウォンは中米博物館によって歴史賞(芸術)を与えられ、 ディズニー伝説として迎え入れられました。90歳を過ぎてようやく、ディズニーアニメへの貢献が認められたのです。
 1930年代から表にでることなく、作品も知られてこなかったウォンでしたが、回顧展が企画され、彼が絵付けをした陶器、凧なども展示されました。
 2013年には、ディズニーファミリー美術館でタイラス・ウォン作品が展示され、「ディズニーの伝説」のひとりとして認められました。103歳でようやく日の目を見たのです。
 2016年、家族に見守られて老衰のため106歳で死去。

 1937年に結婚した妻は、1995年に85歳で先に旅立っていました。妻は、中国系の移民2世です。ルース・ニン・キム(Ruth Ng Kim、金露絲(この漢字表記は、音訳で、伍流珍または伍梅珍という漢字名もあるので、どれが正しいか不明))。妻との間に3女、孫にも恵まれ、タイラスは、妻亡きあとを20年を生き抜きました。
 功績を認められたウォン、最後にはきちんと評価された自身の生涯を「幸福な人生」だったと回顧しています。

 原画展で、タイラス・ウォンの業績を知ることができてよかったです。
 『ワイルドバンズ』『理由なき反抗』などの絵コンテやセットデザインを担当したワーナーブラザースを68歳で引退してからも、クリスマスカードや凧の絵を描くなど絵を描く日々は続いていました。とはいえ、人生の最後に『バンビ』への功績が認められたことは、彼にとって大きな喜びだったことでしょう。



 今回のシリーズ「梅雨的花束」では、白寿百寿画家を特集しました。
 百歳まで生きれば、なんぞいいことあるかもしれず、なんのとりえもない人生ですが、とりあえず、百歳めざして生きていきます。

百歳までは、まだまだ道遠し



お台場の夕日


<おわり>
コメント (9)
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