20171112
ぽかぽか春庭アート散歩>建物散歩2017(4)松方ハウスと安藤教会・紀尾井町から広尾へ
赤坂のクラシックハウス見学した後、麹町駅へ向かう途中、バングラデシュ大使館の前を通りました。たぶん、東京で一番新しい大使館建物です。2016年4月に新築移転。設計コンペに勝ち残ったのは、ケイパートナーズアーキテクツ。
yokoちゃんは近代建物が好みで、この大使館のような現代建築はあまり好きじゃないから、ささっと通りすがりに眺めて、麹町駅方面へ。
入札で建築費がいくらになったのかは知らねども、バングラディシュ農民の多くは、一日1ドル100円、1ヶ月3000円ほどで暮らしている。教員給与は1ヶ月5000円くらい。いいんだけれどね。よそんちのことだから。

ちょうどサラリーマンのお昼時でどこもランチ待ちの行列。結局麹町駅ビルにあった和食チェーン店で870円のヒレカツランチ、コーヒーセルフサービス付きというのを食べました。クラシックハウスのン千円ランチは手が出せなかったけれど、気の合う建物散歩仲間といっしょに食べれば、味も格別。楽しくおいしくいただきました。日頃小食のyokoちゃんも、大食いHALにつきあって、いつもよりたくさん食べました。
満腹の腹をさすりながら、麹町から麻布十番まで地下鉄。麻布十番から建物を見ながら広尾へ歩きました。
広尾のヴォーリス設計のインターナショナルスクール(西町インターナショナルスクール本部館=旧松方正熊邸1910竣工)や、大谷石を積み上げた教会(日本基督教団安藤記念教会)を見学。yokoちゃんに案内されなければ、東京に住んでいてもなかなか足を運ぶ機会もなかった建物を見ることができました。
インターナショナルスクールの松方ハウス、明治の政治家第4代と6代総理大臣であった松方正義(1835-1924)の六男、松方正熊が立てた邸宅でした。
正熊の2女が、駐日アメリカ大使となったライシャワーに嫁いだ春子。3女が種子(1918-1989)。
種子は米国のプリンシピア高校ならびに大学に留学。コロンビア大学で図書館学の修士号取得後、17年間の留学を終えて1948年に帰国しました。
1949年、4人の日本人生徒とともに、西方インターナショナルスクールをはじめ、以後、生涯を国際教育にささげました。
戦災に焼け残った元麻布の正熊邸は、スウェーデン公使館、ルーマニア大使館、ベネズエラ大使館に貸し出されたのち松方家に1965年に返却されました。


種子は、邸宅をスクールの教室事務室図書室などに利用し、現在は年間の在籍生徒数400名、卒業生4000名という学校になっているそうです。
残念ながら学校施設であるインターナショナルスクールの内部見学は行われておらず、見学会が実施される予定もなしとのこと。
そこらじゅうに大使館があるから、道ですれ違う人も外国人が多い。学校のひけどきだからか、親子連れが目立ちました。きっと大使館関係者は、億ションに住んでいるんだろうなあ。1ヶ月の家賃は、母国では一般の人の年収より高いのかも、と、いらぬ心配。どうも貧乏人の心配ばかり出てくるのは、クラシックハウスランチに手が出せないヒガミかも。
このあたりで目立つ元麻布ヒルズ・フォレストタワー

日本基督教団安藤記念教会を創立した安藤太郎(1846-1924)は,旧幕府軍の海軍士官として榎本武揚と共に最後まで函館で戦い、維新後は新政府によって禁固刑となりました。しかし、明治政府に語学力を買われて、1871年には岩倉使節団に通訳官(四等書記官)として随行しました。
1886(明治19)年に、初代領事としてハワイ渡島。文子夫人とともにメソジスト派教会の信者となりました、帰国後は外務省通商局長、農商務省商工局長などを歴任。1897年に退官したのちは、キリスト教関連の事業や禁酒運動に従事。妻文子が1915(大正4)年に死去し、太郎は文子の「教会建設」の遺志を受け継ぎ、港区元麻布2-14-16に礼拝堂を建てました。
1917(大正6)年9月に献堂式が行なわれましたから、今年2017年9月でちょうど百年目。
左側でカメラを構えているyokoちゃん

吉武長一設計の教会は、東京都歴史的建造物になっています。
吉武長一は、米国ペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学んだという経歴の他、生没年も出身地も不明とのこと。手がけた作品は、鎌倉、京都などに現存。その人物のことは忘れられてしまったのに、作りあげた建物は100年の年月を経てなお「蔦のからまるチャペル」として残されている。

内部のステンドグラスも昔のままですが、残念ながら見学した水曜日には中に入れませんでした、
小川三知(1867-1928)の製作。小川のステンドグラスは、鳩山会館や小笠原伯爵邸で見ることができるので、この先おやしき訪問時にはじっくり眺めて見ましょう。
有栖川公園の脇を通ってドイツ大使館の壁に、「ドイツをイメージして絵を描く」というコンクールに入賞した全国の小学校中学校の子ども達が転写されていて、見ながら歩いて楽しかったです。子ども達がイメージするドイツ、ブレーメンの音楽隊ありノイシュバンシュタイン城あり、ビールとソーセージあり。
ドイツ大使館のそばにあるヴォーリスの南部坂教会を、外から眺めました。道の脇にある教会の写真を撮る角度が難しく、1枚も撮れずに眺めただけ。
お天気上々。歩くにはいい日でした。
安藤教会の上に広がる空

広尾駅近くのカフェで一休み。一日、楽しい建物散歩になりました。
yokoちゃん、ご案内感謝。
<つづく>
ぽかぽか春庭アート散歩>建物散歩2017(4)松方ハウスと安藤教会・紀尾井町から広尾へ
赤坂のクラシックハウス見学した後、麹町駅へ向かう途中、バングラデシュ大使館の前を通りました。たぶん、東京で一番新しい大使館建物です。2016年4月に新築移転。設計コンペに勝ち残ったのは、ケイパートナーズアーキテクツ。
yokoちゃんは近代建物が好みで、この大使館のような現代建築はあまり好きじゃないから、ささっと通りすがりに眺めて、麹町駅方面へ。
入札で建築費がいくらになったのかは知らねども、バングラディシュ農民の多くは、一日1ドル100円、1ヶ月3000円ほどで暮らしている。教員給与は1ヶ月5000円くらい。いいんだけれどね。よそんちのことだから。

ちょうどサラリーマンのお昼時でどこもランチ待ちの行列。結局麹町駅ビルにあった和食チェーン店で870円のヒレカツランチ、コーヒーセルフサービス付きというのを食べました。クラシックハウスのン千円ランチは手が出せなかったけれど、気の合う建物散歩仲間といっしょに食べれば、味も格別。楽しくおいしくいただきました。日頃小食のyokoちゃんも、大食いHALにつきあって、いつもよりたくさん食べました。
満腹の腹をさすりながら、麹町から麻布十番まで地下鉄。麻布十番から建物を見ながら広尾へ歩きました。
広尾のヴォーリス設計のインターナショナルスクール(西町インターナショナルスクール本部館=旧松方正熊邸1910竣工)や、大谷石を積み上げた教会(日本基督教団安藤記念教会)を見学。yokoちゃんに案内されなければ、東京に住んでいてもなかなか足を運ぶ機会もなかった建物を見ることができました。
インターナショナルスクールの松方ハウス、明治の政治家第4代と6代総理大臣であった松方正義(1835-1924)の六男、松方正熊が立てた邸宅でした。
正熊の2女が、駐日アメリカ大使となったライシャワーに嫁いだ春子。3女が種子(1918-1989)。
種子は米国のプリンシピア高校ならびに大学に留学。コロンビア大学で図書館学の修士号取得後、17年間の留学を終えて1948年に帰国しました。
1949年、4人の日本人生徒とともに、西方インターナショナルスクールをはじめ、以後、生涯を国際教育にささげました。
戦災に焼け残った元麻布の正熊邸は、スウェーデン公使館、ルーマニア大使館、ベネズエラ大使館に貸し出されたのち松方家に1965年に返却されました。


種子は、邸宅をスクールの教室事務室図書室などに利用し、現在は年間の在籍生徒数400名、卒業生4000名という学校になっているそうです。
残念ながら学校施設であるインターナショナルスクールの内部見学は行われておらず、見学会が実施される予定もなしとのこと。
そこらじゅうに大使館があるから、道ですれ違う人も外国人が多い。学校のひけどきだからか、親子連れが目立ちました。きっと大使館関係者は、億ションに住んでいるんだろうなあ。1ヶ月の家賃は、母国では一般の人の年収より高いのかも、と、いらぬ心配。どうも貧乏人の心配ばかり出てくるのは、クラシックハウスランチに手が出せないヒガミかも。
このあたりで目立つ元麻布ヒルズ・フォレストタワー

日本基督教団安藤記念教会を創立した安藤太郎(1846-1924)は,旧幕府軍の海軍士官として榎本武揚と共に最後まで函館で戦い、維新後は新政府によって禁固刑となりました。しかし、明治政府に語学力を買われて、1871年には岩倉使節団に通訳官(四等書記官)として随行しました。
1886(明治19)年に、初代領事としてハワイ渡島。文子夫人とともにメソジスト派教会の信者となりました、帰国後は外務省通商局長、農商務省商工局長などを歴任。1897年に退官したのちは、キリスト教関連の事業や禁酒運動に従事。妻文子が1915(大正4)年に死去し、太郎は文子の「教会建設」の遺志を受け継ぎ、港区元麻布2-14-16に礼拝堂を建てました。
1917(大正6)年9月に献堂式が行なわれましたから、今年2017年9月でちょうど百年目。
左側でカメラを構えているyokoちゃん

吉武長一設計の教会は、東京都歴史的建造物になっています。
吉武長一は、米国ペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学んだという経歴の他、生没年も出身地も不明とのこと。手がけた作品は、鎌倉、京都などに現存。その人物のことは忘れられてしまったのに、作りあげた建物は100年の年月を経てなお「蔦のからまるチャペル」として残されている。

内部のステンドグラスも昔のままですが、残念ながら見学した水曜日には中に入れませんでした、
小川三知(1867-1928)の製作。小川のステンドグラスは、鳩山会館や小笠原伯爵邸で見ることができるので、この先おやしき訪問時にはじっくり眺めて見ましょう。
有栖川公園の脇を通ってドイツ大使館の壁に、「ドイツをイメージして絵を描く」というコンクールに入賞した全国の小学校中学校の子ども達が転写されていて、見ながら歩いて楽しかったです。子ども達がイメージするドイツ、ブレーメンの音楽隊ありノイシュバンシュタイン城あり、ビールとソーセージあり。
ドイツ大使館のそばにあるヴォーリスの南部坂教会を、外から眺めました。道の脇にある教会の写真を撮る角度が難しく、1枚も撮れずに眺めただけ。
お天気上々。歩くにはいい日でした。
安藤教会の上に広がる空

広尾駅近くのカフェで一休み。一日、楽しい建物散歩になりました。
yokoちゃん、ご案内感謝。
<つづく>