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ぽかぽか春庭「革命百年」

2017-11-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171125
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2017十七音日記11月(7)革命百年

 父の法事が終わり、私の思いは母の生誕百年へ。仏教行事では死んだ日、命日が重要なのですが、母は54歳で早死にしてしまいましたから、とうに33回忌の忌上げも終わっています。だから、私は命日よりも誕生日を母のためのイベント日にしています。特に今年は1917年生まれだった母が、生きていれば百歳の記念の年です。11月25日が母の誕生日。もしも母が長生きをしたのだったら、今の世の中の変化をどう見るでしょうか。

 母が生まれた1917(大正6)年は、世界史から見ると、激動の年。ロシア十月革命の年です。史上初めて、王様でも貴族でもお金持ちでもない人々、労働者や農民が政治を担当する国家が地上に出現しました。と、信じて心躍らせた人は世界中にいました。
 しかし、その国家は誕生直後から権力闘争に明け暮れることになり、20年もせずに独裁者国家になりました。
 未だ地上には、真に平等で公平な社会は実現しておらず、母が夢物語に語っていた「みんなの幸福を願ってみんなで決める」なんて社会は遠い遠い夢の中。金持ちはタックスヘイブンだかなんだかで、税を逃れて自分の幸福だけを守る。

 母は、人のありようとしては「自分だけがいい思いをしようとしてお金を儲けてもしかたない。働ける人がいっしょうけんめい働いて、みんなでよくなっていくんでなければしかたない」「お金があるからって、えらくなんかない。だれかに寄り添って心をつくせる人がえらいんだよ」と子ども達に言ってきかせていました。実際、自分の身体の不調も顧みず、人助けばかりしている人でした。
 
 母が死んで45年もたつのに、地元に残っている妹は、いまだにお年寄りに会って話をしているうちに「あんたはシズちゃんの娘さんだったんかい。私は若い頃、シズちゃんにえらいお世話になって、、、」とか「私の母は、あなたのお母さんに助けていただいたって、いつも話していたんですよ」という人に出会うのだと、言っていました。「どんだけあちこちに人助けをふりまいてきたんだかねぇ」という妹、母と同じことをしています。

 父に似ても母に似ても、どっちにしろお金持ちになることはできなかったHALですが、ま、これもひとつの生き方。ぐちを言いつつしょぼしょぼと歩いて行きます。
 お母さん、世の中ますますお母さんが望まなかった方へ進んでいくみたいですけれど、私はなんとか頑張ります。

 公園の樹齢百年という銀杏の下で。
 黄金の落ち葉を拾い百年の孤独を数える九十八、九十九、、、>春庭

<つづく> 
コメント (4)
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