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ぽかぽか春庭「たいへん」

2017-11-28 07:00:00 | エッセイ、コラム
20171128
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記11月(9)たいへん

 いつも、自分の卑小卑賤のみみっちさにうんざりしているのだけれど、これは私の本質とみえて、どれだけ反省しても、けちくさくしょぼくれた思いは次から次から湧き出てくる。

 14日に視覚障害の友人アコさんのガイドヘルパーとして観劇し、ガイドヘルパー料金が適用されなかったことについて。視覚障害者とヘルパー料金セットで4500円。アコさんはエミちゃんと折半して2250円。だけど、チケットとりまとめをした男性がヘルパーボランティア料金となり、私はシルバー料金を支払った、ということ。差額の1250円が惜しいのではない。ガイドヘルプをしたことが「なかったこと」にされたのがいやだったの。
 みみっちい。いじましい。
 だれかに認めてもらいたいからボランティアをするのか。「視覚障害者の役にたつ行いをしましたね」と、誉めてもらいたいのか、と、つらつらうつうつと、悔やんでしまいました。

 認めてほしいのではない、では、なぜガイドヘルパーをしていない男性がヘルパーボランティア料金であったことに釈然としないのだ、それは、私の精神が卑小であるから。
 たぶん、私にはまだまだ「健常者コンジョー」がへばりついているのだろう。「私は目が見えて、耳もまあまあ聞こえているから、目が不自由だったり耳が不自由だったりする人の『お手伝い役』をつとめる」という意識があるから。

 『お手伝い』する、という意識があるからいけないのだろうね。空気を吸うことと同じくらいなんでもなく自然に共に生きるためにしているのではなくてはならないと思うのに、やっぱりどこか「私は、目の不自由な人のお手伝いをしている『イイヒト』になりたい」という気持ちがあるんだろうな。情けないけれど、それもまた私。

 「サインアートプロジェクトアジアン」のミュージカルを見て、不完全燃焼の気分が残る27日月曜に放映された「ハートネット」という番組を録画しておきました。
 『劇団態変』の主宰・金滿里のことばを聞いているうちに、ようやく気分が収まってきました。

 金は、1983年に「劇団態変」を立ち上げました。身体障害者にしか演じられない身体表現を追究するパフォーマンスグループを率いて、大阪を拠点として活動をつづけています。
 これまで劇団の存在は知っていましたが、公演を見たことはありませんでした。テレビで一部分だけ写される公演を見ると、なんだかつらくなってしまう自分がいたからです。私の意識は、まだまだ金のいう「人間存在の美意識の革命」が出来ていないので。

 金は3歳のとき患ったポリオのため下半身不随。そのほかの、四肢欠損や脳性マヒなど、さまざまな身体障害を持つメンバーと、舞台をのたうち、ころげて、あるいはじっとしたままの身体表現。
 全存在をかけて「未踏の美」を表現することを目指す、と金はテレビインタビューに答えていました。(NHK「ハートネット」風間俊平、AI出演)
 「障害それじたいを表現力に転化して人の心を撃つ舞台表現を創り出す」と、金滿里が考えていること、そうか、私に足りなかったのは、このことだな、と思い知らされます。

 「足りないところを補うお手伝い」としてガイドヘルパーをして、いっしょに演劇を見る友人、というのが、今のアコさんと私の関係。私はアコさんから多くのことを学び、活動を続けるアコさんを尊敬しているけれど、不均衡な時間を感じるときもありました。私は見えるから。

 劇団態変の金滿里が追求していること「態変の舞台を通して、観客も、自身の日常を越えいつしか非日常のパフォーマーの身体を共に生き、自身の身体を開放させ命に触れるのである」ということができて、私は一人前になれるのだろうな。まだまだ半人前なので、方向音痴以上にアコさんにいらだたしい気分をあたえてしまったかもしれません。

 リオ五輪閉会式に出演した義足ダンサー大前光市さんのダンスに感激したけれど、それとも異なる思いが「態変のパフォーマンス」にはあります。 
 大前さんのダンス、すばらしかったけれど、感想のいくつかをネットで見ていると「義足であることを感じさせない動き」とか「義足をはずしても美しい、すごいダンサー」というものが多かったです。それは本当にすごいことなんだけれど、「態変」のパフォーマーたちは、それとは異質のすごさを持っています。たとえば、四肢欠損の人が、寝転がっている、それを見せる舞台もあります。それも「人間存在の真実」であるとして。

 「意識革命」ができるのか、「人間存在の未踏の美」に近づくことができるのか、まだ先は長いけれど。
 態変の東京公演、見にいきたいです。あ、シルバー料金は一般料金より割引きになっているんんですね。

 年をとればとるほど、私は自分が子供の頃から人なかで生きにくかった原因が「人とコミュニケーションをとることが難しい性質」が原因であったことがはっきりわかってきました。
 自分自身を「完全無欠の五体満足」と誇れる人もいるのでしょうが、私は自分自身を「心の障害を持つ人」とわかるにつれて、楽になってきた気がします。
 高齢になって、つえや歩行器をおともに歩くようになってきた人もいるでしょう。心の障害は目に見えないけれど、「だれでも障害を持ち、だれもが助け合う」という社会めざして、私もなんとか自分のできることをしていきます。

<おわり>
コメント (4)
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