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ぽかぽか春庭「アーカイブ(う)上田正明『日本の現像』」

2018-10-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181021
ぽかぽか春庭アーカイブ>2003年10月のカフェ・ら・パンセソバージュ

 2003年アーカイブです

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at 2003 09/28 14:06 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.3(う)上田正昭『日本の原像』
 春庭、1974年に最初の大学を卒業するときの卒論のタイトルは『古事記』でした。
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at 2003 09/28 14:06 編集 災害
 9/26朝の十勝沖地震、明け方の夢を破りました。被災地の方々、まだ、たいへんでしょうね。
 アメリカではハリケーン「イザベル」の被害。南太平洋では、昨日は998ヘクトパスカルの熱帯低気圧が、今朝、990ヘクトパスカルの台風16号に成長しています。

 そして、日本のスポーツ界では、人災?老害?公害?の某オーナーが台風の目に。私、特別野球に興味ないけど、こういう人事って、すっきりしないなあ。スポーツって、もっと人の心をすっきりさわやかにするものであって欲しい。(この時の老害オーナーって、原監督を切った渡辺某氏のことであるけれど、7年経った2010年にも老害衰えず)
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2010/01/12
 上田正昭の著作は、卒論だった「古事記」の参考文献の一冊。指導教官は山路平四郎教授でした。学園紛争真っ盛りの当時は、入学時から3年生になるまで、学生ストライキ学内ロックアウトというのが毎年実施され、教師や一般学生は大学内に立ち入りができず、授業が行われませんでした。レポートを教授宅に郵送すると単位がもらえた。そのころは授業があっても出欠などとらない教師が多く、もともとレポート提出だけで単位を出す大学だったので、それで誰も不満とも思わなかった。今の出席率抜群の学生達なら、「授業料払ったのに授業をしないのは不当だ」と不満を言い出す学生もいるんじゃないかな。

 4年次にはストライキは行われず、山路教授の「卒論指導」の授業も毎週あったのかもしれません。でも、私は当時の風潮にしたがって、4月に「先生に指導をお願いしたい」という挨拶のときと、卒論が一応書き上がったときに先生の研究室に持っていって、「ま、いいでしょう」と受け取ってもらうときと、2回+αしか山路先生の研究室に入ったことはありませんでした。

 不出来な学生だったにもかかわらず、卒業したあと「埼玉県の公立中学校国語教師に奉職しました」という挨拶の葉書を送ると、励ましのことばを返信してくだった。もっと先生からたくさん学ぶべきであったのに、今思うと2回の卒論指導だけの学生であったのは残念至極です。
 山路先生の著作『記紀歌謡の世界―山路平四郎古典文学論集』(笠間叢書)は、17,840園もするので、今はとても買えません。100円本には決してならない本なので、いつかお金を貯めて買いますね、先生。

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20181021
 15年前「老い支度」のひとつとして始めたブログです。あっというまに15年たって、「老い支度」整わぬまま、老人となりました。
 五十肩六十肩など、まだ序の口の老いでした。膝の関節炎を患う今、老人の悲哀はしみじみと身に染みております。
 
<つづく>
コメント
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