
パナソニックビルから見た旧新橋停車場(復元)
20190511
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記新緑令和(6)旧新橋停車場
5月3日のお出かけ、最初は旧新橋停車場を見ました。何度か来ているのは、パナソニック汐留美術館の隣にあるから。
復元された駅ですが、パナソニック美術館に来るときは、いつも立ち寄ります。
♪汽笛一声新橋を~、の声に送られて日本最初の鉄道が走ったときの歴史に思いをはせることのできる旧新橋駅、まわりをビルに取り囲まれてしまいましたが、貴重な歴史資料と思います。
前回は娘といっしょに来ました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/1aaa93832ee5d8b7e08e9137a8b67564
今回は、パナソニック美術館の「モロー展」を見る前に立ち寄りました。
旧新橋停車場北側入り口

始業時の旧ゼロポイントと始業当時の線路


復元された始業当時のホーム

日本の鉄道の始業に尽くしたエドモンド・モレルの事績については、春庭アーカイブの記事をどうぞ。
その1
https://blog.goo.ne.jp/haruniwa2/e/476054e1688d0c5f490e53f0d2338781
その2
https://blog.goo.ne.jp/haruniwa2/e/14ddbff99c972e47effcf9b18c1ea782
その3
https://blog.goo.ne.jp/haruniwa2/e/14ddbff99c972e47effcf9b18c1ea782
今回の鉄道資料館の展示は、国鉄時代の「貨物」の特集でした。

最近は、貨物列車を見ることが少なくなりました。
かっては、物流の中心に貨物列車があったのですが、最近は長距離トラックなどの陸路や空輸のほうが盛んになり、貨物の長い車列が駅前を通過していく光景はとくに意識しないと目にはいりません。都心の駅ですと、駅のホーム側線路を貨物が通過することがなく、貨物専用の路線を使うほうが多いからです。
私は、仕事先から帰るときの駅ホームで、次の電車を待っているとき、石油やガソリンを運ぶタンクが連なった車列が通りすぎるのを見送っています。はじめて貨物列車を見たらしい若者が「おっ、スゲエ、長っ!」と言って見送っていたりします。貨物列車は、ホームの長さより長くつながっていても大丈夫ですから、長いのが多いようです。(テレビでは、モンゴル奥地の貨物列車が百両連結しているのを見たことがあります)
貨物駅の模型展示

私はこどものころ、一度だけ貨物列車の車掌室にのせてもらった思い出があります。
国鉄駅員だった叔父の一家といっしょに旅行したときのこと。なにかの具合で予定の列車に乗り遅れ、もうその日の便はない、というとき、叔父が知り合いの駅員に掛け合い、最後の運行列車である貨物列車の車掌室に乗車できることになったのです。
おかげでその日の遅く、ふるさとの駅に着くことができました。車掌室の窓は小さくて子供の背には高い位置にあり、車窓の景色もみえません。子どもたちは退屈してみな眠り込み、起こされたときにはふるさとの駅についていましたから、「貨物列車の旅」という記憶は乗り込んだときのことだけですが、ふつうはできない「貨物列車に乗った」という思い出は、60年たった今でも残っています。
JRになった今では、貨物列車に客を乗せたりしたら就業規則違反になって、処分ものかもしれません。国鉄時代は、駅員同士の「お互いさま」精神で、そんなイレギュラーな乗車も大目にみてもらったのでした。(国鉄組合の力が強かったので、国は全力をあげて国鉄民営化すなわち国労つぶしを行ったのです)
そんな思い出をかみしめながら、旧新橋停車場の中にあるライオンビヤホールでビールとステーキランチ。
ホームを背にしたところ

<つづく>