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ぽかぽか春庭「すべてが喜びのために目覚めているのだ!ブラームス&マーラー by 東京楽友協会交響楽団」

2019-05-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190516
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記新緑令和(9)すべてが喜びのために目覚めているのだ!ブラームス&マーラー by 東京楽友協会交響楽団

 5月12日、東京楽友協会交響楽団第106回定期演奏会に出かけました。毎年春と秋に定期演奏会があるのですが、秋は私のジャズダンス発表会と重なる日程になることが多く、春は新学期でまごまごしているうちに終わってしまい、聞き逃す。今年はちゃんと春の定期演奏会を聞くことができました。
 すみだトリフォニーホールに、13時半の開演5分前に到着。中央左寄り後方に着席。

 都内に、各区の市民オーケストラ、大学ごとの学生オーケストラ、数ある中で、私が「アマチュアの中で一番うまい」と、勝手に決めている交響楽団です。ハガキやメールの申し込みで無料で聞くことができます。

 106回定期演奏会パンフレット表紙

 
 前半の曲は、ブラームス:交響曲第2番ニ長調。こちらは聞いたことがあるような気がしますが、休憩後の後半の曲、マーラー:交響曲第4番ト長調は、初めて聞きました。第4楽章に谷明美(たにみょんみ)のソプラノ独奏がありました。
 この2曲の組み合わせ、ブラームスとマーラーが、どちらもオーストリアの避暑地ヴェルター湖畔に滞在していたときに作曲された、という共通点がある、ということです。

 前回1994年に、楽団員たちが「ブラ2」と略称するブラームスの第2番を演奏したときも、1984年にマーラー4を演奏したときにも在籍していた楽団員が残っているという老舗アマチュアオーケストラ。1961楽団結成から58年の歴史も伊達じゃない。

 ブラ2は、ヴェルター湖畔ペルチャハに滞在している間の4か月間に作曲されました。管楽器が重要な主旋律を奏でます。
 管楽器、みな上手でした。

 昔のアマチュアオーケストラは、管楽器の音がイマイチでした。今、どこも素人ながらなかなかの名演奏家が育った理由。全日本吹奏楽コンクールがあるおかげじゃないかと。野球は甲子園、吹奏楽は普門館。全国の中学校高校にはそれなりの吹奏楽のチームがあり、みな、普門館を目指して練習を重ねています。
 今年は普門館が解体されるため、「普門館へ行こう!」という合言葉が使えませんが、全国各地の吹奏楽学生は、課題曲自由曲の練習に余念ないことと思います。マーチングも含め、管楽器経験者は、中学校高校の部活動の中、けっこう多いんじゃないかしら。

 4月からの私の担当は日本人大学生9人のこじんまりしたクラスになりましたが、そのうち3人が吹奏楽経験者。ホルンとかサックスを吹いてきたって。
 音楽学校卒業ではなくても、管楽器経験者はアマチュアオーケストラでも重宝されるのではないでしょうか。

 マーラー4番、第4楽章の谷さんの歌、私はメゾソプラノの音色に感じましたが、オペラではソプラノ歌手。とても美しい歌声でした。
 ドイツ語の歌詞の訳がパンフレットの曲目解説のページに載っていました。

 コンサートが終わって、錦糸町の「毎月12日はパン食べ放題の日」という店で、魚アヒージョというのとパンを食べながらドイツ語と日本語訳を眺めました。
 
 ドイツの民謡集「少年の魔法の角笛(少年のふしぎな角笛)」は、イギリスのマザーグースにあたるわらべ歌です。ルートヴィヒ・アヒム・フォン・アルニムとクレメンス・ブレンターノのふたりが、古くから歌われてきた民謡を収集し、1806年から1808にかけて出版しました。

 マーラーが、交響曲2,3,4番の中に、「少年の魔法の角笛」の詩をとりいれて作曲していることから、この交響曲3曲には「角笛交響曲」という呼び名があります。
 「天上の生活」は、地上の喧騒をのがれた天上の生活を歌い上げます。
 マーラーの「角笛」シリーズの中では、早い時期の作曲です。

 「少年の魔法の角笛」矢川澄子訳詞 
 (あらま、澁澤龍彦の元妻だわ。自殺したってことしか知らなかったけど)


 第4楽章の歌を聞いているときは、美しい谷さんの声に聞きほれ、パンフレットに出ている歌詞を読んでなかったから、天上の生活にあこがれているんだろうな、と思っただけですが、、、、わらべ歌の歌詞をよくよく読んでみれば、「死」についての、マーラーの皮肉や天国への裏腹な気持ちが出ているのですって。ドイツ語わからないし、日本語訳読んだって、マーラーの気持ちやら、わからなかった。

 マーラーが意図していたのは、「(子供が餓死するような現実の)地上の生活から天上の生活になったときの、酒飲み放題肉食い放題の楽園生活を対比し、皮肉をこめて歌にする」というようなものらしい。

 「天上の生活」と対になっている「地上の生活」の歌詞。こどもは、パンを欲しがるのに食べられず、飢え死にする、というわらべ歌です。
 マザーグースもそうですが、イエス様マリア様おわす西欧では、神様や天国に皮肉を言いたい気持ちがわかるような「死」にまつわる歌詞があふれています。アガサ・クリスティが殺人事件のモチーフに使いたくなるような歌がいっぱい。

 天上の生活ラスト3行
♪チェチーリアとその一族は、素晴らしい楽士たち。
天使たちの歌声に皆の心は心ほぐれてほがらか。
すべてが喜びに目覚めるのです♪

 チェチーリア(英語仏語ではセシリア、シシリア)というのは、音楽と盲人の守護聖人。ローマ皇帝によるキリスト教迫害時に、打ち首によって殺されています。音楽守護聖人とは言っても、死がまとわりついています。天上で歌い踊っている皆の衆。歌も踊りも「ダンス・マカブル(死の舞踏)」や「メメントモリ(死を思え)」がその裏にある。

 マーラーは、ベックリンの作品『ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像』に触発されて交響曲第4番ト長調(1900年)を作曲した、と、妻アルマが証言しています。
 絵を見た後で、マーラーはこの2楽章に「友ハイン(死神)が演奏する」と書き込み、不安定な演奏になるように2度高く調弦したヴァイオリンのソロを加えたそうです。そういえば、2楽章の弾きはじめに、コンサートマスターの村岡ふみさんは、調弦していましたっけ。(ただし、恋多かったアルマの証言は、常に正確だったとはいえない)

『ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像 by ベックリン


 私は谷さんの歌声に聞きいるばかりで、マーラーがこの歌を作曲したときの地上の現実生活と天上の生活の間の対比や皮肉はぜんぜんわかりませんでした。

 谷さんのツイッター自己紹介:オペラ歌手で3歳児の母、毎日家事に歌に子育てにと精一杯生きてます。お肉、お酒、ホットヨガで大量の汗をかくこと、人生って美味しくって楽しい
 だ、そうです。

 「人生、美味しくって楽しい」と、私も言えるように、無料コンサートの帰りに、パン食べ放題という店へ。
 「地上の生活」というわらべ歌では、幼い子どもが「お母さん、パンをちょうだい」と訴えながら餓死してしまうのですが、私は「我が地上の生活」において、1200円魚のアヒージョ+「12日は無料でパンが食べ放題」なんぞを食べてしまったのでした。

 パンの次は、ダイソーとブックオフに寄りました。
 ダイソーで糊とガムテープなど、ブックオフで百均本200均本を数冊。司馬遼太郎、会田雄二、ドナルドキーン、酒井邦嘉など。両方の店で3000円ほど。

 3000円で大盤振る舞いした気分になるんだから、地上の生活も、天上の生活に負けず劣らず、「すべてが喜びのために目覚めているのだ Daß alles für Freuden erwachat」とも言えます。

 さて、パン食べ放題の店で、パソコンマウスくらいの大きさのパンを10個食べた春庭、すべての喜びに目覚めるために、この先、がんばります。

<おわり>

(おまけのメモ)
東京楽友協会交響楽団第106回定期演奏会配布パンフレット「天上の生活」より
Wir genießen die himmlischen Freuden,
Drum tun wir das Irdische meiden.
Kein weltlich Getümmel Hört man nicht im Himmel!
Lebt alles in sanftester Ruh.
Wir führen ein englisches Leben,
Sind dennoch ganz lustig daneben.
Wir tanzen und springen,
Wir hüpfen und singen,
Sankt Peter im Himmel sieht zu.

Gut Kräuter von allerhand Arten,
Die wachsen im himmlischen Garten,
Gut Spargel, Fisolen
Und was wir nur wollen!
Ganze Schüsseln voll sind uns bereit!
Gut Äpfel, gut Birn und gut Trauben,
Die Gärtner, die alles erlauben.
Willst Rehbock, willst Hasen,
Auf offenen Straßen
Sie laufen herbei! Sollt' ein Festtag etwa kommen,
Alle Fische gleich mit Freuden angeschwommen!

Dort läuft schon Sankt Peter
Mit Netz und mit Köder
Zum himmlischen Weiher hinein,
Sankt Martha die Köchin muß sein.

Kein Musik ist ja nicht auf Erden.
Die unsrer verglichen kann werden,
Elftausend Jungfrauen Zu tanzen sich trauen!
Sankt Ursula selbst dazu lacht!
Kein Musik ist ja nicht auf Erden,
Die unsrer verglichen kann werden.
Cäcilie mit ihren Verwandten,
Sind treffliche Hofmusikanten.
Die englischen Stimmen Ermuntern die Sinnen,
Daß alles fur Freuden erwacht.


 この歌詞は、一見ゆかいなわらべ歌。しかし、マザーグースの民謡がそうであるように、歌詞の裏には隠された皮肉がはね踊る。地上の生活と対比されている天上の生活は、酒も肉もたっぷりと、歌や踊りに明け暮れている。しかし、現実には、音楽守護聖人チチェーリアはヴァイオリンを弾く死神を引き連れているかもしれず、楽隊の音楽が聞こえ出したらそれは天国へのいざない。すなわち地上の生活は終わり。

天上の生活(少々改訳)      
われらは天国の喜びを味わっている。ゆえに地上のことには関わらない。
いかなる世俗の騒音も、天上には聞こえてこない!
全てがこのうえなく穏やかで安らかだ。
我らは天使のようにその日をすごし、暮らしは愉快にすぎていく。
喜びに満ちあふれ愉快きわまり、踊ったり、飛び跳ねたり、歌ったり。
われらの暮らしを天の聖ペテロが見守っていらっしゃる。

ヨハネは子羊を放し、肉屋のヘロデが見張っている。
われらは、その大人しく純潔な無邪気な子羊を、かわいい子羊を犠牲にささげる!
聖ルカも、惜しみなく自分の雄牛をほふらせる。
天上の酒蔵では、葡萄酒はタダ。お金はいらない。
天使達もパンを焼く。

いろんな種類のよいハーブが、天の菜園には育っている。
アスパラガスやインゲン豆、その他もろもろお好きなものを!
鉢にも皿にもいっぱいに盛る!
おいしいリンゴと梨、そしてブドウ、、、菜園守はなんでもくれる。
鹿やウサギを食べたいのなら、そこらを走り回っているから
もし獣肉を断つ祭日が来ても、魚も喜んで泳いで来る!
そこへ聖ペテロがやってきて網と餌とで釣り上げて、
天国の生け簀に投げ入れる。
料理するのは聖マルタ。

天上の音楽に比するものが、この地上にあるはずもなし。
1万と千人の乙女たちが恐れも知らず踊りまわる!
聖ウルズラも微笑んでいる!
天上の音楽に比べられるものがこの地上にあるわけがない。
チェチーリアとその一族は、素晴らしい楽士たち。
天使たちの歌声に皆の心は心ほぐれてほがらか。
すべてが喜びに目覚めるのです。

わらべ歌「地上の生活」
 「ママ、ああママ、おなかがすいたよ!
   パン食べたい でなきゃ死んじゃうよ!」
  「いい子だから、待っていてね。
   明日になったら急いで刈入れをするから」

  刈入れのあと、子どもは再び叫ぶ。
  「ママ、ああママ、おなかがすいたよ!
   パン食べたい でなきゃ死んじゃうよ!」
  「いい子だから、待っていてね。
   明日になったら急いで穂を打つから」

  穂を打ち終わると、子どもは再び叫ぶ。
  「ママ、ああママ、おなかがすいたよ!
   パン食べたい でなきゃ死んじゃうよ!」
  「いい子だから、待っていてね。
   明日になったら急いでパンを焼くから」

  その明日になり、パンが焼き終わると、
  子どもは棺おけに横たわっていた。


 春庭の教訓「腹減ったときにすぐに食べられるパンこそ最高の味」。
コメント (2)
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