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20190824
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>夫婦の映画(1)私はマリア・カラス
映画のテーマのなかで、「男と女」「夫婦」というのは永遠の主題です。夫婦を描いたいくつかの作品について、感想をメモしておきます。
見た映画館は、いつもの飯田橋ギンレイ。
20世紀最大の歌姫と呼ばれたマリアカラス(1923-1977享年53)について、何度も映画が作られました。私が見たファニー・アルダン主演「永遠のマリア・カラス」も、そのひとつ。
春庭の感想メモは↓
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/c9ce6180736992e6177eb7354ef3e7c3
「私はマリア・カラス」は、マリアの未発表の自伝をもとにしたドキュメンタリー映画です。過去のインタビュー出演やニュース映像、オペラの撮影などを組み合わせてマリアの生涯を追っています。
インタビューに答えるマリア・カラス
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「永遠のマリア・カラス」でカラスを演じたファニー・アルダンが、自叙伝や手紙の朗読を担当しています。
没後40年経って発見された彼女の未完の自叙伝。
発見された、と言われているけれど、その存在はマリアの死後から知られていて、ただ、関係者のプライバシィ保護などのために公表されてこなかったのだろうと思います。マリアの関係者もほぼ鬼籍に入った現在、自伝公表で悶着が起きないだろうと推察して、トム・ヴォルフ監督がプライベートな手紙や秘蔵映像、音源を集め、映画化しました。死後、封印されてきた自筆のメモや手紙から、これまで明らかにされてこなかったさまざまなことがわかってきました。
「私はマリア・カラス」の中で、私が一番驚いたのは、ジャクリーン・ケネディとの結婚が失敗だったと気づいた大富豪オナシス(1906-1975)は、しれっとマリアのもとに現れて、よりを戻そうとしたこと。それをマリアも受け入れていたことでした。
マリアが、オナシスとジャクリーンの結婚を新聞で知った、というのは有名な話。それ以後、マリアはきっぱりオナシスとは別れたのだとばかり思っていました。だって、こんなコケにされて、世界中に「9年間愛人としてすごしたのに、あっさり捨てられた女」というイメージがふりまかれた相手を許すことなどできないと思い込んでいたから。
しかし、手紙などによって明らかにされたところでは、オナシスはジャクリーンと離婚しようとしており、正式に離婚が整う前に亡くなった、ということ。離婚後は、マリアとよりを戻せると思っていたこと。マリアもそのつもりだったこと。
マリアの両親は、幼いころに離婚。母はマリアと姉を引き取りましたが、姉だけを偏愛し、マリアについてはその歌声を利用しようとしただけ。のちに成功したマリアに金銭援助を申し出た母への返信は、「(お金がなくて生きていけないのなら)窓から飛び降りればいい」というもの。母に対して憎悪しか感じられない少女時代をすごしたといわれています。
歌手としてまだたいした仕事もない駆け出しのころ、28歳も年上のイタリアの実業家ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニと結婚したのも、誰かに保護されていたい、という思いからだったようです。
メネギーニは、マリアを歌手として大成させるべく管理を強化。しかし、マリアは大富豪オナシスに出会って享楽的な生活を知ると声の管理もしなくなり、オペラ歌手としては急速に衰えてしまいます。結局オペラのベルカントソプラノとしての全盛時代は24-33歳の10年ほど。
オナシスがジャッキーとの離婚に手を焼いている前後、テノール歌手ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(Giuseppe Di Stefano 1921-2008)を公私のパートナーとして、1974年の日本公演などのリサイタルを行いました。有名人大好き日本人の熱狂にマリアは「彼らは私の歌を聞きにきているのではなく、有名人の顔を見にきているだけ。どれだけ歌がひどくても大拍手よ」と、自虐コメントを残しています。
NHKコンサートに出演したときのマリアとステファーノ
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1975年にオナシスが離婚を完了しないまま亡くなると、1976年にはステファーノとも別れ、1977年、パリのホテルで2匹の犬に看取られて孤独になくなりました。ステファーノは、マリアの死後「独占欲の強い女性だった」という否定的なコメントを残しているとこを見ると、マリアは、最後の恋人との仲もそれほどうまくいっているものではなかったのか、と悲しくなります。
ジャッキーは、オナシスから受け取る遺産が「たったの」10億円にすぎないことを不服として裁判を起こし、54億円ゲット。
オナシスの娘クリスティナが麻薬の多量摂取で亡くなったあと、クリスティナ娘のアティナが相続したのは3600億円であることを考えると、ジャッキーは54億円でも不満だったことでしょう。
ジャッキーとの離婚まえからよりをもどしていたマリアに、オナシスは何も残していなかったのか、気になります。
9年間も愛人として手元におき、成金コンプレックスを解消して上流社会の一員となるためにマリアの名声を利用したあと、マリア以上に自分の地位を高めてくれそうなジャッキーに乗り換えたオナシス。金持ちはいつだってエゴ丸出しですけれど。
あっさりマリアを捨て去ったオナシス。それでもマリアにとっては、よりを戻したい、魅力ある男性だったのでしょうね。
マリアが亡くなったあと、親しいピアニストだったヴァッソ・デヴェッツィ((1927-1987))が彼女の遺産を横領したという説があります。同じギリシャ出身のルーツがあり、マリアの死後、マリアカラス協会の会長に就任するやいっさいの演奏活動をやめたヴァッソ・デヴェッツィ。マリアの名声を伝えるために設立されたという協会に残された遺産は、結局のところデヴェッツィの恣意によって費やされた、ということなのでしょうが、真相はわかりません。
「永遠のマリアカラス」を監督したゼッフィレリが「マリアが急死したのはデヴェッツィが毒殺したから」という説をとったために、「マリア最後の友人」から「疑惑の人」になったデヴェッツィ。
マリア自身もドラマチックな生涯でしたが、生涯でかかわった人々がみな「めでたしめでたし」にはならないのは、どういうわけでしょう。最後の恋人だったというステファーノは、83歳のときケニア・モンバサの別荘で妻とともに強盗に襲われ、イタリアへ救急搬送されて意識不明の3年半ののちなくなる、という運命。
それにしても、マリアは、子どものころから一貫してお金には縁の薄い生涯だったなあと思います。ベルカントという喉への負担の大きい歌い方をする歌手としての声の維持を放棄し、名声を捨ててもアリストテレス・オナシスの胸に飛び込みたかったマリアの気持ちもわからないではないけれど、亡くなったあとまでスキャンダルは豊富だった世紀の歌姫。
夫婦の愛というには、あまりに脆いマリアの愛の生涯です。
最後をともにしたのは2匹の犬だけ。
最後の最後まで、歌手として復活する夢を手放さず練習を続けたという一生は、凡人にはわからない幸福があったのだろうと思いますが、愛する人の腕のなかでゆったりと海を眺めてすごす時間もあったということに思い致しながら、youtubeのマリアカラスのアリアを聞きました。
「わたしはマリアカラス」は、「永遠のマリアカラス」とは違う作り方ですが、マリアの魅力をたっぷり味わうことができる映画でした。
<つづく>