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ぽかぽか春庭「日本事情の教室」

2019-12-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191201
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(32)日本事情の教室

 日本国民の総意にもとづく国の象徴、126代目の天皇即位の礼がつつがなく終了。王のいない国の留学生にとっては、珍しく興味深々の代替わり行事でしたし、王がいる国の留学生は、自国の王室と比べて、同じところも違うところも面白い、と感じたことでした。

 日本語を学んでいる間、留学生は日本の文化や歴史も学習していきます。「日本の歴史」「日本の現代社会」などの科目名を採用しているところもあるし、日本に関することを全部ひっくるめて「日本事情Japan Affairs」という科目にしているところもあります。
 春庭は、私立大学の日本事情を20年担当したほか、通常の日本語科目でも、できるだけ日本の文化歴史などを伝える授業内容にしてきました。日本のことを伝えるのは、難しい面もありましたが、楽しかったです。

 春庭コラムから、日本語教師日誌を再録しています。
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2007/03/06 火 
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(8)この人だあれ?キドコーイン

 王室をもつタイの留学生からは、皇室に親近感をもちつつ日本とタイ王室のちがいに関して質問がでます。
 「日本の皇位継承権をもつ皇族で離婚した人がいますか」などの質問も。

 それというのも、現在のタイの王位継承権をもつ第一王子は離婚経験があり、離婚した王妃、愛人だった女性、再婚した別の王妃の間にそれぞれ子をなしたために、国民の間には「現在のプミポン国王に比べると、未来の国王として、、、、」という意見を持つ人もいるのだそうです。

 独身で国民福祉に奔走している王女も王位継承権を持っており、人気は高いのですが、こちらは「子をもっていない独身女性が王位を継いでも、次が、、、、」という意見もあって、タイ王室の次代もたいへんみたい。

 日本の皇族離婚については、「過去に離婚したくてもできなかった皇族がいたかどうか、日本の皇室のプライバシーは一般人にはわかりません。少なくとも、今上天皇と美智子皇后は、愛情によって結ばれ仲良く添い続けている理想的な夫婦と、国民に思われています」と説明しています。

 タイの歴代の王様は、それぞれがお札の肖像になっているから、タイの人々は、王様の姿、歴代を区別しています。
 日本では天皇皇后肖像をお札の顔にしません。実在の人物では、聖徳太子以外にお札に顔を載せた皇族はいません。古代伝説のヤマトタケル、神功皇后は、肖像といっても、想像で描かれた絵姿。しかも神功皇后の肖像は、キヨッソーネが描いた西洋美人風です。



 日本では、明治天皇昭和天皇の肖像を知っている人でも、大正天皇の肖像を出されたら、「え?この人だあれ」と思う若者もいるんじゃないかしら。

 肖像写真についての留学生の質問を紹介します。

 『留学生のための日本史』の近代史のページ、明治の岩倉使節団の写真が掲載されています。
 中央に羽織り袴姿の特命全権大使岩倉具視。4人の副使が岩倉の周りに並んでいます。岩倉具視については、旧500円札を見せて紹介してきました。

 「はい、この人が岩倉具視。教科書の114ページに、遣欧岩倉使節団の写真がありますね。明治政府の要人がアメリカとヨーロッパを2年近く視察したときの写真です。
 真ん中にすわっている人が岩倉具視です。現在は500円はコインになっていますから、みなさんがこのお札を使うことはないでしょう」

 あるとき、「真ん中の人が古い500円札の岩倉具視っていうのは、わかりましたが、あとの4人はだれですか」という質問がでました。

  副使は、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳ということまでは調べてわかっていましたが、ひとりひとりの顔について、だれがだれであるのか、区別がつきませんでした。伊藤博文など、千円札になった晩年のおひげの顔とは全然違う若い時代の顔です。

 図書館で資料をさがしましたが、写真の説明までしてある本を見つけだすのに手間取りました。
 右から順に、大久保、伊藤、岩倉、木戸、山口でした。

 使節団正使副使の写真


 いまなら、インターネット検索でクリックひとつでわかることも、10年前は図書館に通って資料をいくつもしらべなければなりませんでした。

 日本事情を教え始めた1997年当時と、10年たった現在では、留学生の教育環境が大きく変わりました。
 読み方がわからない漢字でも、一字ずつ拾って入力ができれば、コンピュータのほうが適切な読み方を教えてくれます。
 読み方がわかれば、どんどん検索して、必要な情報を手に入れられるようになったのです。

<つづく>

2007/03/07 水 
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(9)この人だあれ?クガカツナン

 最近では、電子辞書に漢字を手書き入力すれば、検索機能でたちどころに読み方もわかることが多くなりました。
 が、10年前くらいまでの留学生にとって、日本語の「漢字のよみかた」は、難問のひとつでした。

 読み方がわからないと、辞書事典をひくのもたいへん。漢和辞典で、読めない漢字を画数索引を調べるには、書き順と画数を正確に知っていなければなりません。

 資料に出てきた「國」という漢字が読めない留学生。台湾の留学生なら「國」が「国」の本字であることを知っていますが、他の国の学生は初めて見る字。
 まず、先生にたずねる前に辞書をひきなさい、と言っているのですが、その辞書をひくのが、一昔まえはたいへんでした。

 「口」という字を左下からひとまわりして一画で書くような学生だと、「口」の画数は「1」になってしまい、漢和辞典で調べることもできませんでした。(最近は日本人大学生でも、口をぐるりとひとまわりの1画で書いている)

 日本の漢字、「芸」。台湾では康煕字典の通りに「藝」、中国簡体字では「草冠の下に乙」くらいはわかっていました。しかし、私も、全部の漢字字体の違いを把握していませんでしたから、非漢字圏の学生への指導は当然のこと、中国台湾からの留学生の漢字指導もたいへんでした。
 作文の前後の文脈から、中国簡体字の意味を推測することができる場合もありますが、まったく推測できないときもありました。

 日本事情の授業でも、人名の読み方、事項の解説、ひとつひとつ手探りでやっていました。

 10年近く前のある日のこと、留学生が「日本事情」の授業後に質問に来ました。
 「日本人の名前を調べているんですが、わかりません。きのう、ほかの日本語の先生にきいて、読み方を教えてもらいました。でも、人名辞典を調べたのに、出ていないんです。来週、発表しなければならないのに、どうしたらいいでしょう」と、困ったようすです。

 「人名?なんていう名前ですか」
 「日本語の先生に読んでいただいたら、リクっていう名字だったのですが、リクの項を調べても人名辞典に載っていないんです。」

 ピンと来たので、たずねました。「名字ではなく、名前のほうに、南という字がはいっていますか」
 「はい、南があります」

 「それじゃ、その人は、クガカツナン陸羯南. だと思いますよ。陸という字をくがと読むんです。明治時代のジャーナリスト、思想家です。陸をクガと読むのは、特別な読み方なので、日本人が読めなくても、仕方がないんですよ」
 陸羯南、明治思想史や文化史に興味がない人にとって、あまりなじみの名前ではないと思います。

 「くが、、、あ、ありました。人名辞典に載っていました」
 最初に学生がたずねた日本語教師の「トリビア袋」に「陸羯南.」という人名がはいっていなかったからといって責められることはないでしょう。日本語教師は百科事典として存在しているわけではありません。

 しかし、日本語学習者は、「日本のことでわからないことは、まず日本語教師に質問してきますから、できるかぎり答えてやる必要があり、答えられないと、「日本のことをよく知っている日本語教師」と思いこんでいる留学生をがっかりさせてしまうことにもなります。


<つづく>
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