20191210
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(40)留学生の日本文化史発表
春庭コラムから日本語教師日誌を再録しています。
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2007/03/12 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(14)自国と日本の交流史
人物についての発表、留学生に人気の日本の人物は、さまざまです。
2006年に「日本の作家」をテーマにした班。森鴎外、大江健三郎など、これまでよくとりあげられた作家だけではなく、「自分がこれまで翻訳で読んできた作家を日本語で読んでみる機会だから」と村上春樹、伊集院静をとりあげるなど意欲的でした。
伊集院静を選んだ韓国の学生は、「今は帰化して日本国籍になったけれど、元は民族名・趙忠來(チョ・チュンレ)をもっていた韓国系日本人作家として親しみがあり、自分たちにとっては、韓国人の魂を持っている作家だから」と、好きな理由を述べていました。
日本では毀誉褒貶さまざまある田中角栄も、「日中友好の基礎を固めた人物」として、中国からの留学生には人気のある人物なので、「へぇ、そうなんだ」と、思ったりしました。
「日本の文化紹介」の発表レジュメを作って日本語で発表したあとは、質疑応答。学生に答えられる質問もあるけれど、留学生には即答がむずかしい場合は、教師が助け船をだします。
資料を集めて、それをわかりやすい日本語にしてまとめるのはとても時間もかかり、「発表準備のために徹夜した」という学生もいるのですが、発表がすむと、ほとんどが、「たいへんだったけれど、いい経験になった。資料の集め方も発表のしかたも、自分から関わっていくことで、積極的に学ぶことができた」という学生が多かったです。
前期の「日本の文化」発表は、いわば「発表の練習」にあたります。
夏休みには「日本の各地の博物館を見学し、見学した文物をひとつとりあげて、作品の背景をレポートにして提出」という宿題を出しています。
「博物館なんて興味ないと思って、日本に留学してから一度も見たことがなかったけれど、宿題のためにしかたなく見学した。見ているうちにとても興味がわいてきた。朝から閉館まで見たけれど、まだ、全部は回りきれなかった」という感想が毎年寄せられました。
後期には、「日本事情」の要にしている「自国と日本の交流史」の発表を行います。
留学生の出身国と日本が、どのような交流を重ねてきたか、古代から現代まで、自分が興味をもてたことがら、人物について調べ、発表します。
人物紹介では。
中国からの留学生に人気定番の「日本との交流史」上の人物が何人かいます。
近代日本に留学したことのある魯迅、孫文、周恩来などが人気の御三家。
2006年は、遣隋使遣唐使の周辺が人気で、「阿倍仲麻呂と李白・王維の親交」についてと、「留学僧空海の長安での活動」についての発表もありました。
私が「交流史のモデル発表」として例を示したのが、「鑑真と井真成」だったので、遣唐使周辺に興味がわいたのかも知れません。
<つづく>
2007/03/13 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(15)クエートコーラン朗唱インドの衣装
韓国の学生は、古代史から「高句麗と日本の関係」「桓武天皇の生母である高野新笠(たかののにいがさ)のルーツは百済」などのテーマをとりあげました。
昨年度2005年に高野新笠について発表した学生は、この時代の皇室の婚姻関係の詳細な系図を調べてきました。
聖徳太子はじめ、天皇家が深く婚姻関係を結んだ蘇我氏が、朝鮮半島からの渡来系の一族であるという学説の紹介など、古代天皇家が朝鮮半島と深い交流をもっていることを検証していました。
2001年11月、今上天皇は「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と発言され、韓国でも大きく報道されたため、古代日本についてのテーマが、韓国の学生にとっても身近になったのだろうと思います。
現代の交流として、「朝鮮の美」を尊重した柳宗悦を紹介した学生がいました。
柳は学習院から東大に進んだ美術史家・思想家ですが、韓国では「やなぎむねよし」という日本人として以上に「ユ・ジョンヨル」という韓国語式の読み方で親しまれ、尊敬されているのだそうです。
「柳宗悦は、日本の民芸美術紹介に貢献しただけでなく朝鮮美術の紹介者として慕われており、朝鮮の独立運動の理解者でした。韓国国民が尊敬する人物です」という発表しました。
学生の発表に触発されて、私も何度か日本民芸館へ見学に行き、柳宗悦についてくわしくなりました。
最期の大韓帝国皇太子李垠の妃となった李方子(イ・バンジャ=梨本宮方子)を紹介した学生もいたし、安重根や従軍慰安婦問題をとりあげた学生もいました。
数年前、クェートの学生が「歴史上の交流はおもいつかない」といいました。現代社会での石油の輸出輸入を発表してもよかったのですが、「現在のクエートの衣服と音楽とコーランの紹介」をしてもらうことにしました。
アジアの学生たち、クエートといっても、石油のほかに思い浮かぶことがなく、アラビア語でコーランの一節を朗唱したテープを聴くのもはじめてで、とても興味をもってくれました。
発表した学生は日本語がいちばん弱い学生でしたが、発表が好評だったので、自国の文化に誇りをもち、上の学年に進級していきました。
交換留学生として半年だけクラスに在籍したインドの学生に、インディラ・ガンジーの紹介はどうですか、と水をむけてみました。ネール首相、その娘のインディラ首相も日本に「象」をプレゼントしてくれ、日本人にはなじみのあるインド人です。でも、彼は政治家は好きじゃないという。新宿中村屋の娘、相馬俊子と結婚したラス・ビハーリー・ボースも、私にとって興味深い人物でしたが、彼はボースにも、興味がわかないらしい。
彼は、「クエートの衣服」発表の大成功を見て、自分もインドの衣服を紹介するのだ、と、はりきりました。
インドの衣服は、時代によっても地域によっても階級(カースト)によっても違います。
発表のために調べているうち、留学生は「自分の出身階級に誇りをもってきたけれど、日本で発表の準備をしているうちに、低い階級に差別感を持っていた自分に気づいた」と、感じるようになりました。
自国の文化を、他国に身をおいて客観的にながめるうち、「身分制度」にとらわれてきた自分の姿に気づいたのです。カースト制度は法的には廃止されているけれど、実際の生活では大きな影響力をもっています。就職にも結婚にもカーストの制約があります。
留学生活は、そのような制度を外から見直す目を与えたのです。
ちなみに、IT産業がインドで盛んになってきたのは、近年発達した現代産業にはカースト制度の制約がないからだそうです。
生まれ出自に関係なく、自分の持つ能力を発揮できる分野、新しい産業へ有能な人々が集まることで、インドの新しい社会が活性化してきている、そんなインド国内事情も、私は留学生から学びました。
<つづく>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(40)留学生の日本文化史発表
春庭コラムから日本語教師日誌を再録しています。
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2007/03/12 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(14)自国と日本の交流史
人物についての発表、留学生に人気の日本の人物は、さまざまです。
2006年に「日本の作家」をテーマにした班。森鴎外、大江健三郎など、これまでよくとりあげられた作家だけではなく、「自分がこれまで翻訳で読んできた作家を日本語で読んでみる機会だから」と村上春樹、伊集院静をとりあげるなど意欲的でした。
伊集院静を選んだ韓国の学生は、「今は帰化して日本国籍になったけれど、元は民族名・趙忠來(チョ・チュンレ)をもっていた韓国系日本人作家として親しみがあり、自分たちにとっては、韓国人の魂を持っている作家だから」と、好きな理由を述べていました。
日本では毀誉褒貶さまざまある田中角栄も、「日中友好の基礎を固めた人物」として、中国からの留学生には人気のある人物なので、「へぇ、そうなんだ」と、思ったりしました。
「日本の文化紹介」の発表レジュメを作って日本語で発表したあとは、質疑応答。学生に答えられる質問もあるけれど、留学生には即答がむずかしい場合は、教師が助け船をだします。
資料を集めて、それをわかりやすい日本語にしてまとめるのはとても時間もかかり、「発表準備のために徹夜した」という学生もいるのですが、発表がすむと、ほとんどが、「たいへんだったけれど、いい経験になった。資料の集め方も発表のしかたも、自分から関わっていくことで、積極的に学ぶことができた」という学生が多かったです。
前期の「日本の文化」発表は、いわば「発表の練習」にあたります。
夏休みには「日本の各地の博物館を見学し、見学した文物をひとつとりあげて、作品の背景をレポートにして提出」という宿題を出しています。
「博物館なんて興味ないと思って、日本に留学してから一度も見たことがなかったけれど、宿題のためにしかたなく見学した。見ているうちにとても興味がわいてきた。朝から閉館まで見たけれど、まだ、全部は回りきれなかった」という感想が毎年寄せられました。
後期には、「日本事情」の要にしている「自国と日本の交流史」の発表を行います。
留学生の出身国と日本が、どのような交流を重ねてきたか、古代から現代まで、自分が興味をもてたことがら、人物について調べ、発表します。
人物紹介では。
中国からの留学生に人気定番の「日本との交流史」上の人物が何人かいます。
近代日本に留学したことのある魯迅、孫文、周恩来などが人気の御三家。
2006年は、遣隋使遣唐使の周辺が人気で、「阿倍仲麻呂と李白・王維の親交」についてと、「留学僧空海の長安での活動」についての発表もありました。
私が「交流史のモデル発表」として例を示したのが、「鑑真と井真成」だったので、遣唐使周辺に興味がわいたのかも知れません。
<つづく>
2007/03/13 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(15)クエートコーラン朗唱インドの衣装
韓国の学生は、古代史から「高句麗と日本の関係」「桓武天皇の生母である高野新笠(たかののにいがさ)のルーツは百済」などのテーマをとりあげました。
昨年度2005年に高野新笠について発表した学生は、この時代の皇室の婚姻関係の詳細な系図を調べてきました。
聖徳太子はじめ、天皇家が深く婚姻関係を結んだ蘇我氏が、朝鮮半島からの渡来系の一族であるという学説の紹介など、古代天皇家が朝鮮半島と深い交流をもっていることを検証していました。
2001年11月、今上天皇は「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と発言され、韓国でも大きく報道されたため、古代日本についてのテーマが、韓国の学生にとっても身近になったのだろうと思います。
現代の交流として、「朝鮮の美」を尊重した柳宗悦を紹介した学生がいました。
柳は学習院から東大に進んだ美術史家・思想家ですが、韓国では「やなぎむねよし」という日本人として以上に「ユ・ジョンヨル」という韓国語式の読み方で親しまれ、尊敬されているのだそうです。
「柳宗悦は、日本の民芸美術紹介に貢献しただけでなく朝鮮美術の紹介者として慕われており、朝鮮の独立運動の理解者でした。韓国国民が尊敬する人物です」という発表しました。
学生の発表に触発されて、私も何度か日本民芸館へ見学に行き、柳宗悦についてくわしくなりました。
最期の大韓帝国皇太子李垠の妃となった李方子(イ・バンジャ=梨本宮方子)を紹介した学生もいたし、安重根や従軍慰安婦問題をとりあげた学生もいました。
数年前、クェートの学生が「歴史上の交流はおもいつかない」といいました。現代社会での石油の輸出輸入を発表してもよかったのですが、「現在のクエートの衣服と音楽とコーランの紹介」をしてもらうことにしました。
アジアの学生たち、クエートといっても、石油のほかに思い浮かぶことがなく、アラビア語でコーランの一節を朗唱したテープを聴くのもはじめてで、とても興味をもってくれました。
発表した学生は日本語がいちばん弱い学生でしたが、発表が好評だったので、自国の文化に誇りをもち、上の学年に進級していきました。
交換留学生として半年だけクラスに在籍したインドの学生に、インディラ・ガンジーの紹介はどうですか、と水をむけてみました。ネール首相、その娘のインディラ首相も日本に「象」をプレゼントしてくれ、日本人にはなじみのあるインド人です。でも、彼は政治家は好きじゃないという。新宿中村屋の娘、相馬俊子と結婚したラス・ビハーリー・ボースも、私にとって興味深い人物でしたが、彼はボースにも、興味がわかないらしい。
彼は、「クエートの衣服」発表の大成功を見て、自分もインドの衣服を紹介するのだ、と、はりきりました。
インドの衣服は、時代によっても地域によっても階級(カースト)によっても違います。
発表のために調べているうち、留学生は「自分の出身階級に誇りをもってきたけれど、日本で発表の準備をしているうちに、低い階級に差別感を持っていた自分に気づいた」と、感じるようになりました。
自国の文化を、他国に身をおいて客観的にながめるうち、「身分制度」にとらわれてきた自分の姿に気づいたのです。カースト制度は法的には廃止されているけれど、実際の生活では大きな影響力をもっています。就職にも結婚にもカーストの制約があります。
留学生活は、そのような制度を外から見直す目を与えたのです。
ちなみに、IT産業がインドで盛んになってきたのは、近年発達した現代産業にはカースト制度の制約がないからだそうです。
生まれ出自に関係なく、自分の持つ能力を発揮できる分野、新しい産業へ有能な人々が集まることで、インドの新しい社会が活性化してきている、そんなインド国内事情も、私は留学生から学びました。
<つづく>