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ぽかぽか春庭「女偏の漢字・女とホウキ」

2020-04-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200409
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春庭漢字話女偏(1)女とホウキ

 10年前の漢字話を再録します。家に引きこもっているあいだの、あたまの体操の1つにでもなればいいと、古い漢字話を読み返すことにします。
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2010/04/25
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>おんな偏(1)女とホウキ

 掃除と片づけに追われた3月。大嫌いな掃除をこれほど集中して連続してした毎日は、結婚以来初めてかも。好きなことをやり続けるのに何の努力もいらないけれど、嫌いなことをやり続けるのはたいへんでした。が、なんとか(上階からの水漏れ)洪水水浸しの部屋も足の踏み場が見えてきました。
 今の生活で、私自身は掃除が大の苦手ですが、掃除を「つまらない家事」と思って嫌いな訳じゃないのです。洗濯とお茶碗洗いはちゃんとやってます。掃除好きな人がうらやましいですし、松居棒などを考案したりする掃除名人を尊敬しています。
 それにしても掃除が苦手です。

 私と同世代と思われる月曜日の講師室でごいっしょするK先生が、留学生の漢字クラスの話をしていて「私、婦人の婦って漢字、大嫌いなのよ。左側が女偏で、右側はホウキって意味なわけでしょ。なんで女とホウキをくっつけると婦なのかしらって、腹が立つじゃないの。留学生に教えるとき、私はこの字は大嫌い、って言ってから教えるの。女だからってホウキ持って掃除していなさいとか、家事は女がするものって、決めつけるの古いじゃないの。女を掃除婦と思わないでほしいわ」と憤慨口調でおっしゃった。
 あ、それって違うんじゃないの、と思ったけれど、講師室ではいつも黙っている私が急に口を挟んでもよろしくなかろうと思って黙っていました。

 家事は女がするもの、なんて確かに古すぎます。宇宙飛行士山崎直子さんのご主人は、高収入の勤務先を退職して、妻を支えて子育てと家事を引き受ける主夫になりました。(専業主夫じゃなくて、ベンチャー企業を立ち上げた兼業主夫なんですけれど)
 イマドキ、「家事は女がするもの」なんて発言したら、セクハラ・パワハラ発言としてで総攻撃を受けます。

 私が「違うんじゃないの」と思ったのは、「家事=女がする」の部分ではなくて、「女と掃除を結びつけた語が婦人の婦」という部分です。「帚」は、掃除のホウキの意味だけではないのです。
 帚は、箒(ほうき)の異体字であるのはその通りですが、ほうき=掃除ではありません。
 K先生の口調には、掃除は「つまらない女の仕事=家事」で、大学で教えることは「つまらなくない女の高級な仕事」というように聞こえてしまうニュアンスが感じられました。「大学で言葉を教えることは、大学の教室を掃除する仕事より上等」というように言われたと感じて、私の考え方とは相容れない、と感じてしまいました。ちょいと過剰反応だったのかもしれませんが、これは、母が私に厳しく躾たことのひとつに関係しています。

 子供の頃、「屑拾い」という不要物を集めて回る人が我が家に「くず~い、おはらい」と言ってときどき回ってきました。あるとき幼い私は「屑拾いになりたくない、ぼろや屑はきたないもん」と言ってしまった。母は「屑拾いもごフジョウの汲み取り屋も、世の中をきれいにしてくれる尊い仕事なのに、おまえのように人を見下す者の心が一番汚い」と怒った。「百姓家のもんが会社員の妻になって、よかったじゃないの」と農家出身の母を見下す人もいた町の暮らしの中で、「仕事に貴賤はない、百姓生まれで何が悪かろう」と心に繰り返して、なにくそと思っていたころのことだったのでしょう。

 私が掃除嫌いなのは、「女のつまらない仕事」と思っているからではなく、向き不向きの問題。私に「一日中茶碗洗いをしていれば生活していけるようにしてあげる」と言って雇ってくれる人がいれば、私は喜んで一日中お茶碗を洗っている。私は洗濯や茶碗洗いなどの水をジャブジャブする仕事を、移動せずに一か所でしているのが好きなのです。掃除は、部屋の中をあちこち動き回らなければならず、私の好きな「頭をぼうっとしたまま手を動かす」という作業になりません。

 さて、ホウキとは、「掃除の道具」の意味だけではないだろうと私が感じていたのは、子供のころのおマジナイに関係しています。
 帚はなぜ女偏と結びついて「婦」になったのか、次回解説。


<つづく>
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