20200711
ぽかぽか春庭アート散歩>2020緑陰アート巡り(2)コレクション展 in 東京近代美術館
3ヶ月ほど閉館してきた美術館博物館が、さまざまな条件付きながら再開する館が増えてきて、アート散歩の楽しみが復活してよかったです。
東京近代美術館に行ってきました。西洋美術館と近代美術館の常設展は、65歳以上無料、東京国立博物館常設展は70歳以上が無料。70歳以上の都営交通パスと組み合わせれば、美術館散歩や公園散歩で引きこもりにならずに済む。
近代美術館は延期になっていたピーター・ドイグ展が10月までの会期でオープンしていたのですが、悩んだ末に常設展だけ見ることにしました。「無料で楽しむ」という方針を優先。10月までやっているなら、またあとで見てもいいし。
近代美術館常設展は、季節ごとに展示入れ替えがあるので、行くたびに新しい絵と出会えます。久しぶりの常設展、新収蔵作品もかなりありました。作品委託者の許可がない場合以外、館所蔵作品は撮影自由なのもうれしい。「作品鑑賞をしないで、写真だけ撮って満足している」というような批判的な意見もありますが、私の場合、ああ、この作品いいなあ、と思っても、家に帰ると作品名も画家名もしかと覚えてられないことが多いので、いいなと思った絵のメモとして活用しています。
新収蔵 丸木俊(赤松俊)解放されていく人間性 1947

ふくよかな肢体の女性が顔を上に向けて堂々と立っています。1947年制作というと、日本はまだGHQ支配下にあり、男たちは非独立国の悲哀を嘆くか占領支配者にこびへつらって生きるか戦争を呪って暮らすか。しかし、女たちは顔を希望に向かってあげています。GHQを「解放軍」と持ち上げた人もいたくらいですが、実際に戦後の女たちは、戦前の虐げられた状態から「人間性が解放されつつある」という時代に立っていました。
のちに「原爆図」で知られるようになる丸木俊。旧姓の赤松俊名で描いた女性像は、力強くあたたかです。新憲法の発布と同時代の「時代の声」が聞こえてくるような。絵の左下には、「1947.5.17.俊」という署名があります。1947年5月3日は新憲法が施行された日。その2週間後に完成し「俊」という署名の下に「解放されていく人間性」と赤い字で記入したときの俊の気持ちはどのような高揚したものであったか、想像されます。
左下の署名と「解放されていく人間性」というタイトルの書き込み、私のデジカメ写真でははっきり写っていないのが残念です。
「解放されていく人間性」左下の署名とタイトル書き込み

ここで私が問題にしたいのは、「1947.5.17」という日付と「解放されていく人間性」というタイトルが、作品の鑑賞にとっては必需であったのか、ということです。絵を見ているとき、私は、実はこの小さな赤い文字の署名とタイトルに、気づいていなかったのです。家で写真メモを確認しているとき、なにやらはっきりとは映っていない文字に気付き、なんて書いてあるのか検索してわかったのです。
絵を見ていたとき、女性の堂々とした存在感、顔をぐいと上に持ち上げている決して「美人画」ではない意思の強そうな顔から受け止めた感慨が、署名の年月日を知ることによって「あああ、やはりそうだったのか」という「自分が感じたことの裏付け」のように思えたことは何だったのか。もし、この日付がなかったとして、または違う日付だったとしたら、私の感じたことはことなってくるのか。いいや、日付がなくても、この絵が人々の心に届けてくる感情は同じだろうと思います。
ただ、日付を知ることで、私自身の心が「私の受けた感慨への保証」のように思ってしまうことが問題なのだ、と思います。
岡本太郎の「燃える人」という作品も、画面の大きさ以上に、見る人が受ける衝撃はとても強いものです。この作品を見るときに「第5福竜丸がビキニ沖で被爆した」という制作動機を知っていることは必要なのだろうか、ということも同じ。
「燃える人」1955
たとえば、この絵を見て「強烈な色彩が、見る人を高揚させる」と、受け止めた人がいたとして、それを間違いだ、画家はビキニの原爆実験につよい憤りを覚えてこの絵を描いたのだ、と訂正する必要はあるのか、ということです。
「燃える人」は、「原爆にさらされた人間」をテーマに描かれた作品。
「戦艦、眼、黒く燃える人間、原子雲など具体的なモチーフを取り込みながら、激しい色彩、鋭角的な筆触、爆発するような構成でテーマを表現している。現実の出来事をそのまま造形のなかに持ち込み、造形要素に移し変える作業によって、見る者はその出来事の悲劇性をあらためて想起させられることになるのである」という作品解説を知らずして、自分なりの受け止め方をしようと絵を見るとき、「正しい感想の持ち方」がありうるのか、ということです。
井の頭線渋谷駅コンコース壁画の「明日の神話」も、同じ。この絵の前を通り過ぎる多くの通勤者にとって、この絵が描かれた作家の動機「第5福竜丸被爆への憤り」をどんなふうに感じているのか、渋谷駅コンコースを通るたびに絵の前を無関心に通りすぎる人々のようすを見て思います。
ほかにも、今回の展示で心に残った絵がいくつかありましたが、もうこれっきり見ることはできないかも、と思ったのは「バウハウスの100年」という企画。元近衛師団のレンガの建物の中にあった近代美術館工芸館が閉鎖され、国立近代工芸館は金沢に移転することになりました。しかし、まだ金沢の建物は完成していないので、近代美術館本館にかなりの数の工芸作品が展示されていたのです。
「バウハウス100年」の展示もそのひとつ。本来なら工芸館で展示される工芸品だったのではないかと思います。
バウハウスは近代デザインや建築に100年後も今も影響を残す造形教育の学校です。ナチスによって閉校させられたため、実際の活動期間は14年足らずの短いものでした。しかし、20世紀21世紀の建築や家具インテリア、生活用品のデザインに至るまで、大量生産の工業製品から作家の一点ものの作品まで、バウハウスの造形は大きな影響を残しています。
バウハウス100年の椅子などが展示されていた展示室。


いつもは日本画の展示室にも、工芸品がいくつか並んでいました。アールヌーボーの工芸品などに日本画からの影響が強い、という観点から日本画室に並んでいたのかと思います。
ドーム兄弟のガラス瓶

ドーム兄弟のガラス製品も、金沢に引越しするのかな。
<つづく>
ぽかぽか春庭アート散歩>2020緑陰アート巡り(2)コレクション展 in 東京近代美術館
3ヶ月ほど閉館してきた美術館博物館が、さまざまな条件付きながら再開する館が増えてきて、アート散歩の楽しみが復活してよかったです。
東京近代美術館に行ってきました。西洋美術館と近代美術館の常設展は、65歳以上無料、東京国立博物館常設展は70歳以上が無料。70歳以上の都営交通パスと組み合わせれば、美術館散歩や公園散歩で引きこもりにならずに済む。
近代美術館は延期になっていたピーター・ドイグ展が10月までの会期でオープンしていたのですが、悩んだ末に常設展だけ見ることにしました。「無料で楽しむ」という方針を優先。10月までやっているなら、またあとで見てもいいし。
近代美術館常設展は、季節ごとに展示入れ替えがあるので、行くたびに新しい絵と出会えます。久しぶりの常設展、新収蔵作品もかなりありました。作品委託者の許可がない場合以外、館所蔵作品は撮影自由なのもうれしい。「作品鑑賞をしないで、写真だけ撮って満足している」というような批判的な意見もありますが、私の場合、ああ、この作品いいなあ、と思っても、家に帰ると作品名も画家名もしかと覚えてられないことが多いので、いいなと思った絵のメモとして活用しています。
新収蔵 丸木俊(赤松俊)解放されていく人間性 1947

ふくよかな肢体の女性が顔を上に向けて堂々と立っています。1947年制作というと、日本はまだGHQ支配下にあり、男たちは非独立国の悲哀を嘆くか占領支配者にこびへつらって生きるか戦争を呪って暮らすか。しかし、女たちは顔を希望に向かってあげています。GHQを「解放軍」と持ち上げた人もいたくらいですが、実際に戦後の女たちは、戦前の虐げられた状態から「人間性が解放されつつある」という時代に立っていました。
のちに「原爆図」で知られるようになる丸木俊。旧姓の赤松俊名で描いた女性像は、力強くあたたかです。新憲法の発布と同時代の「時代の声」が聞こえてくるような。絵の左下には、「1947.5.17.俊」という署名があります。1947年5月3日は新憲法が施行された日。その2週間後に完成し「俊」という署名の下に「解放されていく人間性」と赤い字で記入したときの俊の気持ちはどのような高揚したものであったか、想像されます。
左下の署名と「解放されていく人間性」というタイトルの書き込み、私のデジカメ写真でははっきり写っていないのが残念です。
「解放されていく人間性」左下の署名とタイトル書き込み

ここで私が問題にしたいのは、「1947.5.17」という日付と「解放されていく人間性」というタイトルが、作品の鑑賞にとっては必需であったのか、ということです。絵を見ているとき、私は、実はこの小さな赤い文字の署名とタイトルに、気づいていなかったのです。家で写真メモを確認しているとき、なにやらはっきりとは映っていない文字に気付き、なんて書いてあるのか検索してわかったのです。
絵を見ていたとき、女性の堂々とした存在感、顔をぐいと上に持ち上げている決して「美人画」ではない意思の強そうな顔から受け止めた感慨が、署名の年月日を知ることによって「あああ、やはりそうだったのか」という「自分が感じたことの裏付け」のように思えたことは何だったのか。もし、この日付がなかったとして、または違う日付だったとしたら、私の感じたことはことなってくるのか。いいや、日付がなくても、この絵が人々の心に届けてくる感情は同じだろうと思います。
ただ、日付を知ることで、私自身の心が「私の受けた感慨への保証」のように思ってしまうことが問題なのだ、と思います。
岡本太郎の「燃える人」という作品も、画面の大きさ以上に、見る人が受ける衝撃はとても強いものです。この作品を見るときに「第5福竜丸がビキニ沖で被爆した」という制作動機を知っていることは必要なのだろうか、ということも同じ。
「燃える人」1955

たとえば、この絵を見て「強烈な色彩が、見る人を高揚させる」と、受け止めた人がいたとして、それを間違いだ、画家はビキニの原爆実験につよい憤りを覚えてこの絵を描いたのだ、と訂正する必要はあるのか、ということです。
「燃える人」は、「原爆にさらされた人間」をテーマに描かれた作品。
「戦艦、眼、黒く燃える人間、原子雲など具体的なモチーフを取り込みながら、激しい色彩、鋭角的な筆触、爆発するような構成でテーマを表現している。現実の出来事をそのまま造形のなかに持ち込み、造形要素に移し変える作業によって、見る者はその出来事の悲劇性をあらためて想起させられることになるのである」という作品解説を知らずして、自分なりの受け止め方をしようと絵を見るとき、「正しい感想の持ち方」がありうるのか、ということです。
井の頭線渋谷駅コンコース壁画の「明日の神話」も、同じ。この絵の前を通り過ぎる多くの通勤者にとって、この絵が描かれた作家の動機「第5福竜丸被爆への憤り」をどんなふうに感じているのか、渋谷駅コンコースを通るたびに絵の前を無関心に通りすぎる人々のようすを見て思います。
ほかにも、今回の展示で心に残った絵がいくつかありましたが、もうこれっきり見ることはできないかも、と思ったのは「バウハウスの100年」という企画。元近衛師団のレンガの建物の中にあった近代美術館工芸館が閉鎖され、国立近代工芸館は金沢に移転することになりました。しかし、まだ金沢の建物は完成していないので、近代美術館本館にかなりの数の工芸作品が展示されていたのです。
「バウハウス100年」の展示もそのひとつ。本来なら工芸館で展示される工芸品だったのではないかと思います。
バウハウスは近代デザインや建築に100年後も今も影響を残す造形教育の学校です。ナチスによって閉校させられたため、実際の活動期間は14年足らずの短いものでした。しかし、20世紀21世紀の建築や家具インテリア、生活用品のデザインに至るまで、大量生産の工業製品から作家の一点ものの作品まで、バウハウスの造形は大きな影響を残しています。
バウハウス100年の椅子などが展示されていた展示室。


いつもは日本画の展示室にも、工芸品がいくつか並んでいました。アールヌーボーの工芸品などに日本画からの影響が強い、という観点から日本画室に並んでいたのかと思います。
ドーム兄弟のガラス瓶

ドーム兄弟のガラス製品も、金沢に引越しするのかな。
<つづく>