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ぽかぽか春庭「宣告 in 東京ノーヴィレパートリーシアター」

2020-07-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200723
ぽかぽか春庭>ジャパニーズアンドロメダシアター>2020感激観劇日記(2)宣告 in 東京ノーヴィレパートリーシアター

 2月下旬、中国のコロナウイルス封じ込めのための武漢封鎖などのニュースやクルーズ客船内の感染が伝わっていましたが、まだ「私の町は大丈夫」というムードでした。感染者は豪華クルーズ船に乗った人であり、私たちは大丈夫。この楽観はその後一変しました。

 2月下旬からほとんどの公演が中止になったことを考えると、2月20日に友人が出演した演劇公演を見ることができたのは、ぎりぎりセーフのところでした。

 2月20日、仕事を終えて下北沢に行きました。しばらく来ていないうちに、下北沢は駅周辺整備が終わり、出口がよくわからなくなっていました。しかし、なんとか南口に回ることができ、目指す劇場へ。

 加賀乙彦原作『宣告』
 東京ノーヴィレパートリーシアター公演2月20日-24日
 演出:菅沢 晃


 今回の上演、主人公の母親役として友人K子さんが出演していて、招待していただきました。私は初日の2月20日夜の回を観覧。
 東京ノーヴィレパートリーシアターは、小劇場が連なる下北沢の中でも客席26席というミニ劇場ですが、毎回質の高い演劇を上演してきました。

 K子さんが国家公務員定年退職後に演劇の世界に踏み出した時、演出脚本を志していることは聞いていました。還暦スタート!
 K子さんは、東京ノーヴィレパートリーシアターの演劇ワークショップ演出コース参加後、スタニスラフスキースタジオ所属の役者や受付などのスタッフとしてさまざまな上演に関わってきました。

 今回、椅子の上に用意されていたパンフレットを上演前に読んでいたら、演出家菅沢晃との共同脚本としてK子さんの名が。おお!脚本家K子さん!
 脚本家としてのスタート作品。心して観劇。

 私は2月20日の初日に観劇したのですが、原作者加賀乙彦さんが3日目に劇場にいらして観覧なさったそうです。1929年生まれの加賀乙彦さんは、K子さんによると「写真でみるよりずっと若々しく、お茶目な方」ということでした。

 加賀乙彦は、若いころ刑務所の精神科医として、死刑囚の精神ケアに当たりました。『宣告』は、加賀が長年接してきた死刑囚との関りを小説にまとめたもの。文庫本で上下2巻本または上中下3巻本の長編です。内容も重いことが予想され、私はこれまで読んだことはありませんでした。
 文庫本のキャッチコピーとして出版社がつけた文は。
 「独房の中、生と死の極限で苦悩する死刑囚たちの実態を抉りだした、現代の“死の家の記録」

 加賀乙彦のプロフィールまとめ。
「加賀乙彦 カガ・オトヒコ
 1929(昭和4)年、東京生まれ。東京大学医学部卒業。1957年から1960年にかけてフランスに留学、パリ大学サンタンヌ病院と北仏サンヴナン病院に勤務した。帰国後、犯罪心理学・精神医学を専門として博士号取得。拘置所などで死刑囚の精神ケアなどにあたった。
 著書に『フランドルの冬』『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)、『宣告』(日本文学大賞)、『湿原』(大佛次郎賞)、『錨のない船』など多数。『永遠の都』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、続編である『雲の都』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。

 『宣告』あらすじ(ネタばれを含むので、これから『宣告』を読んでみようと思う方はご注意を

 「刑務所の受刑者は、看守から名前を呼ばれることはない。称呼番号(囚人番号)で呼ばれる。( 称呼番号は1桁〜4桁まで。ちなみにホリエモン収監時の番号は755だったそう) 
 しかし、死刑囚には呼称番号がない。殺人などの罪により死刑判決が確定した者は、死刑者すなわち「死んでいる者」だからです。番号がないゼロ番囚たち。死ぬ日を待つ身です。

 ゼロ番囚たちは、拘置所の二階に収容されています。監獄医(拘置所医官)近木は定期的に訪問してきました。日本では、死刑宣告即執行という例は少なく、刑執行まで平均の日数は7年ほどだそうです。
 加賀乙彦が『宣告』に描いた死刑囚たち。死刑宣告を受け、いつ「お迎え」がくるか怯えている人もいます。拘禁ノイローゼになる者、うつ状態になる者、、、、、。

 楠本他家雄(たけお)は日本屈指の大学であるT大生であった24歳のときに、殺人を犯しました。殺人強盗の罪により死刑確定まで9年、確定後6年を拘置所で過ごしてきました。15年の拘置所暮らしの間にキリスト教の洗礼を受け、精神科医官近木とは、同じ大学の卒業生として、信仰を同じくする者として心通わせ合うようになっています。

 拘置所の医官となった近木が診察してきた拘置所2階のゼロ番囚たち。
 女を崖から突き落とした砂田の暴力、一家四人を殺した大田の発作、囚人たちの精神状態は不安定です。他家雄は、毎晩のように「墜落する夢」で苦しんでいます。

 死刑確定囚は、他の受刑者と大きく異なります。近木が見てきたゼロ番囚たちの多くは生と死の極限で苦悩し、拘禁ノイローゼにかかることが多い。近木は、ゼロ番囚たちを丹念に見廻ります。

 死刑囚楠本他家雄は、逮捕から15年の収監を経て、いよいよ執行の日を迎えます。執行までのようすを描きつつ、近木は精神科医として他家雄ほかの死刑囚と関わった日々を振り返ります。
 
 拘置所の所長が他家雄に執行を告げるシーン。
「あす、きみとお別れしなければならなくなりました」
「はい」他家雄は無表情のまま、凝(じ)っと所長を見詰めた。
「いいですか」所長は焦り気味に、言葉全体に真実らしさを与えるべく、重々しく言った。「これは冗談ではないのです」
「わかっております」


 K子さんの脚本でも、このシーンは、このままのセリフで表現されていました。しかし、大長編を1時間45分の上演台本にするために、K子さんはどれほど本文を読み返し、削る文に苦労して上演台本にしたのか、3年間かかったという労作です。

 K子さんは、死刑執行前の家族面会のシーンに登場しました。収監されている息子に毎週面会に来ていた母が、いよいよ息子と別れる場面です。母親は、心づくしの料理、息子の好物をお重に詰め合わせて差し入れにします。心穏やかに死刑を受け入れている他家雄。子どもの頃の楽しかった思い出話をする他家雄の兄。母は胸をつまらせて短い面会時間を終わります。

 私の隣の席の人は、母と息子のお別れシーンにすすり上げ、涙を流していました。母にとっては、殺人犯でもいとしい息子。母の気持ちになって舞台を見ると、母子の別れは涙ナミダのシーンなのですが、私は、哀切極まる思いとともに、母が息子に差し入れしたお重の中身に気を取られていました。死刑囚が最後に食べる母の心づくしの料理、中身は何?

 のちにK子さんのメールでは、お重の中のお煮しめもお寿司も全部K子さんが手作りしたごちそうであったよし。さすがK子さん。

 主人公楠本他家雄のモデルは、実在の死刑囚正田昭であることは、加賀乙彦自身が明かしています。

 死刑囚の精神状態をテーマとして博士論文も執筆した加賀ですから、監獄医志願した最初は「研究テーマ」として死刑囚と向き合ったのかもしれませんが、十数年にもわたる死刑囚とのつながりの中、心を通い合わせるようになったことを、加賀自身が述べています。

 モデルの正田昭(1929-1969享年40)は、加賀乙彦と同年生まれです。
 1953年、24歳の東大生楠本他家雄は、証券取引のトラブルから証券マンを殺害し、共犯者2人と金品を奪ったため、強盗殺人事件主犯として死刑判決受けました。逮捕時、あまりに軽薄な言動をしたために「アプレゲール殺人」としてマスコミに取り上げられ、「戦後の軽薄な若者による犯罪」として有名になりました。

 獄中で正田はキリスト教の洗礼を受け、獄中記や小説を執筆し、15年の獄中生活の末に死刑執行。
 加賀乙彦は、20代の正田昭を独房にたずね、死刑執行時まで彼の内面を見つめました。
 私は、キリスト者であった加賀が正田を信仰に導いたのかと想像していました。しかし、新聞のインタビュー記事によると、正田が加賀の信仰を深めたのだ、というのです。加賀は「魂のレベルでは、正田が私の師であった」とまで述べています。

 死刑が確定するまで、正田は獄中記や小説を発表し、支援者の女性と文通をするなど、外部と交流していました。事実に基づくエピソードが小説に取り入れられています。女性との文通に関しては、小説『宣告』読者の中には、嫌悪感を示す人もいます。殺人犯が他者と心を通わせ合うことは許されない、と思う一般社会の人もいるということなのかもしれません。
 K子さんの脚本でも、この女性は、楠本他家雄と交流する人物として登場していました。

 私の感想は、メールでK子さんに送りました。演出について批判的な感想を書いてしまいましたが、K子さんは「しろうとの感想」として受け止めてくれたと思っています。
~~~~~~~~~
 K子さん
 宣告の舞台見せていただきありがとうございました。すばらしい作品になりましたね。
お母さん役ももちろんよかったですが、脚本もよかったです。K子さんの脚本ということ、パンフレットのクレジットを見るまで知らなかった!
 長い小説なので読んでいなかったけれど、二時間弱の時間の中で死刑囚の精神状態も母親の悲しみも観客に伝わったと思います。

 演出については、一つだけ疑問点があります。映像で雪や雨を映すのはありだと思います。新聞記事までは、まあいいかな、と。
 しかし一番最後に正田昭の逮捕時新聞写真を映像で出したのは賛成できませんでした。
 この劇が事実を元にした話であることを観客にアピールしたかったのかな、とも思いますが、加賀乙彦は、自分が触れあってきた死刑囚の物語を小説として執筆しました。モデルが正田昭であることは加賀乙彦も明言していますが、ドキュメントとして書いたのではないのであるからして、正田昭の写真は出すべきじゃなかったと私は思います。逮捕時にはアプレゲール犯罪と言われた正田昭、いかにも軽い風貌です。死刑執行前のようすと全く違った人格になっていたはず。演出は、彼が監獄で変わったことを言いたかったのかしら。

  加賀乙彦さんも観劇なさったとのこと、すごいです。
 私の隣の人は母親との最後の面会シーンで大泣きでした。
 
 私は死刑制度反対運動をしている団体から活動報告が送られて来るので、一般よりは死刑囚の動向に詳しいです。このつぎ(K子さん宅での)ホームパーティーの機会があったら、話してみましょう。今までこんな暗い話題は楽しい集まりにふさわしくないと思っていたので、どこにもだしたことなかったですが、次は話せるかも。
 お重手作りすごい!

~~~~~~~~~~~
 加賀は、自身が「死刑反対論者」であるとは言っていませんが、『宣告』から感じられることは、「死刑という国家による殺人」には反対なのではないか、と思います。
 これまで私自身の「死刑制度についての考え」を述べたことがありませんでした。やはり、重たい話題ですから。

 『宣告』に続き、次回、『死刑制度について。
 暗い世相の中、あえての暗い話。読みたくない人は読まなければいいだけのブログというのは、便利なメディアです。
 
<おわり>
コメント
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