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ぽかぽか春庭「大学院入試に挑戦ー不合格にめげず」

2020-08-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200806
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>大学院入試に挑戦(2)不合格にめげず

 春庭の日本語教師日誌を再録しています。2007年に来日した学生からの近況報告を2008年に受けた記録の再録です。
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2008/05/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(2)めざせ博士号

 今年はダメでした、来年もう一度受験します、というメールも届いています。
 国立大学の博士後期課程の入学試験、文系は日本語力が重視されます。日本語で博士論文を書く研究科が多いからです。

 博士後期課程の入試に落ちてしまったジュンさんが、「ひとりぼっちで、不合格のつらさに耐えているのではないか」という心配は、杞憂でした。
 昨年10月に来日したときから、先に日本に来てエンジニアとして働いているの恋人といっしょに住んでいたのです。
 「あらあ、恋人といっしょだったのなら、心配しなくてもよかったわね」と、ひとまずほっとしました。

 中国での教え子のうち、ほとんどの人がが結婚していましたが、80%は同じ大学で学んだ同窓生、あるいは大学同僚との結婚でした。
 クラス最年長、名古屋で大学経営論を研究するリューさんにいたっては、「妻は中学、高校、大学、ずっと同級生。今は銀行の副頭取をしています」といっていました。
 ジュンさんの恋人も、同じ大学の人。

 ジュンさんは、博士課程に合格したら結婚の届けを出す予定だったので、結婚届の提出もちょっと延期になりました。でも、希望をもってすごして、来年は博士課程合格と、結婚のふたつの花が咲くことでしょう。

 昨年、中国では、自分のクラスの学生コンパのほか、いつもジュンさんのクラスのコンパにも招いてもらい、カラオケでうたったり、おいしい中華料理を食べたりしてきました。全部学生たちのおごりでした。
 中国ではコンパに先生を呼ぶ場合、完全にご招待です。先生がお金を出したりしたら、失礼なことになるのです。
 
 ジュンさんの出身大学は、私の、若い友人ランランが日本語講師をしている大学です。
 ランランも準教授の試験をめざしてがんばっています。去年、はじめて挑戦した昇任試験に不合格だったときは、ずいぶん落ち込んでしまったようですが、娘さんシンシンちゃんに励まされて、再チャレンジを決意した、というメールをくれました。
 そう、一度うまくいかなかったからといって、あきらめることはない、何度でも夢にむかって挑戦を!

 ランランが住む町は、ジュンさんのふるさと。一人っ子のジュンさんを日本へ送りだし、心配しながらも応援してくれる故郷の両親の顔を思い浮かべ、日本語を共に習った学友たちの顔を思い浮かべながら、ジュンさんは、来年へ向けてまた新しい一歩を踏み出しました。

2008/05/11
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(3)再チャレンジ食事会

 2006年の10月から日本語の初歩を学びはじめて、1年半ですばらしい上達をみせた教え子たちのその後。
 日常生活で不自由なくなった日本語でも、博士論文を書く日本語力となると、そうは簡単に身につきません。やはり、文系の学生にとっては、試験は難関でした。

 ジュンさんは、教育学を専攻する留学生。
 私の受け持ちクラスではなく、隣のクラスだったのですが、何回か読解の授業を受け持った縁で、隣のクラスの学生たちとも知りあいました。
 ジュンさんは、日本語の文を朗読するのもじょうずで、いつもニコニコと愛らしい女性研究者でした。

 来日以来、半年間、日本語能力向上に切磋琢磨してすごしてきても、すんなり博士後期課程に入学するのは難しい。ジュンさんも、2008年4月の入学はかないませんでした。

 ジュンさんからのメール。
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 先生  最近いかがでしょうか。お元気でしょうか。
 桜が咲いて、お花見しましたか。
 本当に申し訳ありませんでした。遅く先生に連絡しました。

 先生の手紙を見ると、私の心はとても暖かくなりました。
 そのとき、私は日本語の期末テストと博士の入学試験のために、頑張りました。
 私は先生から力をいただいて、何も言わずにけれども、腹から感謝の気持ちを持っています。本当に先生に直接にありがとうございますと言いたいです。

 ですから、もし先生はいつかご時間があったら、連絡していただけませんか。とても先生とお会いしたいです。
 楽しみにしています。
ジュンウェン(Mon, 7 Apr 2008 21:37:29 +0900)

 入学試験については、残念ながら、合格できなかった。これから、来年の試験のために、もっと頑張りたいと思います。先生は心配しないでください。
 私も困るとき、先生に連絡させていただきます。
 では、集まる日を楽しみにしますね。
ジュンウェン(Tue, 8 Apr 2008 23:11:32 +0900)

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 他の中国教え子の留学生たちは、ほとんどが医学工学などの理系で、同じ大学に友達がいる人も多く、ストレス発散のおしゃべりもできます。でも、ジュンさんは教育専攻なので、一人で教員養成系の大学に留学しました。

 4月、新学期が始まってから、吉祥寺のロシア料理店にジュンさんをおさそいしました。
 来日してから、今まで博士後期課程の試験勉強や、修士論文を日本語に翻訳する作業をつづけてきたのに、不合格になってしまったジュンさん、がっかりしているかも知れない、と心配しながら会ったのですが、ジュンさんは、「先生、私はだいじょうぶ、来年がんばります」と、明るかったです。
 「日本では、学生と教師がいっしょに食事したら、教師がおごるんだよ」と、日本の習慣について説明し、「今日のロシア料理は、私のおごりだから、たくさん食べてね!」

 ジュンさんは、「グルジア式チーズパイ」を頬張りながら、「先生に教えていただいたのは、読解の授業を10回くらいでした。でも、わたしにとっては、この10回の授業は、人生のなかでとても大きいものになりました。いつも元気で、にこにこしていた先生の授業が大好きでした」と、言ってくれます。(そりゃ、おごられている時に、あなたの授業はつまらなかったとは言えないけれどね)

 東京で忙しい留学生活を送っていると、中国で日本語学習に励んだ日々がなつかしい、とジュンさんは言います。日本語学習で切磋琢磨、助け合い競い合った1年間。
 クラスメートそれぞれ、自分の夢にむかってすすんでいます。ジュンさんも、しっかりと来年へ向けて歩んでいくことでしょう。

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20200806
 2009年に中国赴任したとき、私の読解授業を受けた学生のひとりが、10年後、日本永住権を得て「日本への恩返しとして日本語学校を設立し、学生を育てたい」と決意しました。彼は、現在私が勤務している日本語学校の理事長です。
 客員研究員として大学研究室に籍をおくと同時に日中合弁のIT企業を興し、日本と中国を行き来しています。
 今年の1月に中国に行ったきり、日本に戻ることができず、半年間中国にとどまらざるを得ませんでした。

 ようやく日本入国ができた理事長と。


 中国で結ばれたご縁によって、古稀をすぎても働く場を与えてもらったこと、本当に人生のえにしは巡りめぐっているなあと感じます。

<つづく>
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