20200822
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩夏(1)掛川二の丸御殿、竹の丸旧松本家住宅
掛川の誇る建築物。再建された木造天守閣の掛川城のほかも重要な建物があります。二の丸御殿です。
明治以後、各地の城郭内御殿建築の多くは残されていません。
現存する城郭御殿としては、京都府の二条城や高知県の高知城、埼玉県の川越城など、全国でも数箇所しか残されていません。高知城と川越城には本丸御殿、掛川城と二条城に二の丸御殿が残されています。天守閣が見張り台防御の要また城下町のシンボルとして存在したのに対して、御殿は城主夫妻の日常生活の場と政務の建物でした。
掛川城二の丸御殿は、藩主公邸と執務部屋として使用されました。謁見や執務室、目付・奉行などの役職の部屋など、様々な用途に用いられた二の丸御殿、重要文化財です。
現存の御殿は、1855(安政2)年から1861(文久元)年にかけて城主太田資功によって再建されました。1854(嘉永7)年に発生した大地震で旧掛川城が倒壊した後の再建です。復元された城郭や藩主御殿は各地にありますが、江戸時代の建物が残されているのは貴重です。
掛川城天守閣から見た二の丸御殿

二の丸御殿は維新後、徳川家兵学校と勤番所に転用、さらに明治の廃藩置県後に小学校、女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され、残されてきました。1972年(昭和47)年)から1975(昭和50)年に修復工事が行われ、1980年に重要文化財指定を受けました。
二の丸御殿の座敷

二の丸御殿の廊下

二の丸御殿から天守閣を見る。雨のため、お城がぼうっと見えます。

私は、近代洋館見学が好きですが、近代和館も見て歩いています。明治の建築は、接客用の洋館と家族の生活用和館がセットて建てられることが多かった。都内に残されている前田侯爵家住宅や三菱の岩崎家住宅もそうです。洋館見学をして回っていると、ついでに和館も見学するので、和館の建築用語などにも少しずつ詳しくなりました。
掛川市の「竹の丸松本住宅」は、明治から大正にかけて建てられた和館です。
掛川市の説明
掛川市竹の丸は、江戸時代より続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が明治36年に本宅として建築しました。
離れ2階は大正9年頃増築され和洋折衷のつくりとなっています。
近代和風建築の美しさと、松本家の建築に対するこだわり、それに応える職人の技術の高さをご覧いただけます。
旧松本家玄関

旧松本家住宅 間取り図 母屋1階

離れ 1階2階

旧松本家住宅の室内。

掛川の名産品、葛布の織機の展示

明治時代に建てられた母屋ですが、2階は大正時代の増築。2階に新しい気分を与えたかったのか、ベランダの柵はちょっと大正モダンな雰囲気。ベランダ越しに母屋を見る。

<つづく>
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩夏(1)掛川二の丸御殿、竹の丸旧松本家住宅
掛川の誇る建築物。再建された木造天守閣の掛川城のほかも重要な建物があります。二の丸御殿です。
明治以後、各地の城郭内御殿建築の多くは残されていません。
現存する城郭御殿としては、京都府の二条城や高知県の高知城、埼玉県の川越城など、全国でも数箇所しか残されていません。高知城と川越城には本丸御殿、掛川城と二条城に二の丸御殿が残されています。天守閣が見張り台防御の要また城下町のシンボルとして存在したのに対して、御殿は城主夫妻の日常生活の場と政務の建物でした。
掛川城二の丸御殿は、藩主公邸と執務部屋として使用されました。謁見や執務室、目付・奉行などの役職の部屋など、様々な用途に用いられた二の丸御殿、重要文化財です。
現存の御殿は、1855(安政2)年から1861(文久元)年にかけて城主太田資功によって再建されました。1854(嘉永7)年に発生した大地震で旧掛川城が倒壊した後の再建です。復元された城郭や藩主御殿は各地にありますが、江戸時代の建物が残されているのは貴重です。
掛川城天守閣から見た二の丸御殿

二の丸御殿は維新後、徳川家兵学校と勤番所に転用、さらに明治の廃藩置県後に小学校、女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され、残されてきました。1972年(昭和47)年)から1975(昭和50)年に修復工事が行われ、1980年に重要文化財指定を受けました。
二の丸御殿の座敷

二の丸御殿の廊下

二の丸御殿から天守閣を見る。雨のため、お城がぼうっと見えます。

私は、近代洋館見学が好きですが、近代和館も見て歩いています。明治の建築は、接客用の洋館と家族の生活用和館がセットて建てられることが多かった。都内に残されている前田侯爵家住宅や三菱の岩崎家住宅もそうです。洋館見学をして回っていると、ついでに和館も見学するので、和館の建築用語などにも少しずつ詳しくなりました。
掛川市の「竹の丸松本住宅」は、明治から大正にかけて建てられた和館です。
掛川市の説明
掛川市竹の丸は、江戸時代より続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が明治36年に本宅として建築しました。
離れ2階は大正9年頃増築され和洋折衷のつくりとなっています。
近代和風建築の美しさと、松本家の建築に対するこだわり、それに応える職人の技術の高さをご覧いただけます。
旧松本家玄関

旧松本家住宅 間取り図 母屋1階

離れ 1階2階

旧松本家住宅の室内。

掛川の名産品、葛布の織機の展示

明治時代に建てられた母屋ですが、2階は大正時代の増築。2階に新しい気分を与えたかったのか、ベランダの柵はちょっと大正モダンな雰囲気。ベランダ越しに母屋を見る。

<つづく>