20200808
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>大学院入試に挑戦(3)夢に向かって
春庭の日本語教師日誌を再録しています。
中国赴任中に教えた学生たちとは、日本に留学後も交流をしてきました。メールのやりとりだけの人もいるし、食事にいったり、自宅に招いたり。
昨日写真にうつっていた日本語学校理事長とは、音楽趣味が共通していて、いっしょにコンサートに行ったこともありました。
留学期間を終えて帰国してしまうとなかなか出会うこともなくなりますが、日本留学の経験を生かして、それぞれの地域で活躍していることを信じています。
~~~~~~~~~~~~~
2008/05/13
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(4)夢にむかって
ジュンさんのクラス「博士3斑」の15人、私が担任した「博士2班」の22人、北海道から九州まで、日本各地の大学へ留学しました。
ジュンさんは、2006年10月から2007年9月まで、中国教育部直属の教育機関で日本語を学びました。
中国人大学教授たちと、文科省より派遣された日本人講師が協力して日本語を教える、国家プロジェクト。私は2007年度の文科省派遣教師でした。
毎年100人前後の学生が、このプログラムで日本国文部科学省国費留学生となり、日本に留学しています。
100人は、20人ずつ5つのクラスに分かれて日本語を学んでいました。「博士一斑」から「博士五班」まで。
日本に来てしまうと、なかなか、かって同じクラスだった友達にも、会うチャンスはありません。
私のクラス「博士二斑」は、年末とお正月に、東京で「ミニ・クラス会」をして、餃子パーティや「日本の家見学会」をしました。
これは、「博士二斑」の担任リー先生が、現在日本の大学で研究研修期間中で、いっしょに日本にいるおかげ。担任の先生と教え子が同時に日本へやってきた、めずらしいケースです。
ジュンさんのクラス「博士三斑」の担任先生は大阪在住なので、まだ、東京に住むクラスメートたちのクラス会は行われていません。
トンシャオさんは、ジュンさんのかってのクラスメートのひとり。
私は、二人が在籍しているクラス博士三斑の読解授業を担当しました。
日本のロボット工業の文章を読解するときはアトムやアシモの写真、鎌倉の歴史について読むときは、大仏や鶴岡八幡宮の写真など、さまざまな画像を読解の助けとして読んでいきました。
20191222
ぽかぽか春庭にっぽにニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌()
今はインターネットから拾えるので、読解参考資料づくりが13年前に比べればずっと楽でしたが、それをパワーポイント教材にととのえるのに、一晩がかりだった。これも、1年たつ今では、なつかしい思い出。
読解という名の授業なのに、文章を読みとることよりも、「日本文化紹介」の授業になってしまいましたが、ジュンさんもトンシャオさんも面白そうに、日本の生活のあれこれについて聞いてくれました。
トンシャオさんは、私が出講している国立大学のひとつに留学しました。工学部大学院で工業デザインの研究をしています。
理系の彼は、2月の入試に無事合格し、博士後期課程の大学院生になりました。
大学院の研究と同時に、国際教育センターで日本語を学ぶトンシャオさん。
彼と話をしていたら、ジュンさんが2007年後期に留学先の大学で日本語を習ったY先生と、4月からトンシャオさんが学ぶ日本語クラスのY先生は、同じ先生だということもわかりました。
非常勤講師はあちこちの大学を掛け持ちするので、大学が異なっても、同じ先生に習うこともありえます。
私も、国立大学2校と私立大学2校を掛け持ちで週5日授業をしています。
以前から劣悪な条件で働いていた語学教師は、国立公立大学の法人化により、ますます過酷な条件であちこち掛け持ちしています。それでも食べていけません。
ジュンさんとトンシャオさんが1年前、私の教え子だったことについて、偶然のことながら、「これもご縁ですね」と、Y先生と講師室で話しました。
こんな偶然を知ると、100人の留学生が日本全国に散らばってすごしていても、どこかにつながりがあるもんだなあ、と思います。
2008/05/14
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(5)加油!
トンシャオさん、去年は、研究留学生だったから、朝お弁当をつくって持ってくる余裕もあったけれど、2月に博士後期課程に合格し、4月から博士後期課程大学院生になったら、本当に毎日忙しくて、あまりお弁当を作れなくなった、といいます。
大学内の食堂で、お昼ご飯をいっしょに食べることにしました。
5月2日、トンシャオさんとランチ。
図書館近く、大学会館のレストランで。あまりおいしくはないけれど、ワイワイしている生協学食よりは落ち着いて食べることができます。
トンシャオさんの悩みのタネは、やはり日本語。
大学院の指導教官と話すときは、先生が気をつかって専門用語などを説明しながら言ってくれるので、大丈夫だけれど、問題は、大学院生同士のディスカッション。
日本人院生たちの会話は、とても早いし若者言葉も混じるし、専門用語の解説なしに話がすすむので、ディスカッションなのに、自分の意見を言うこともできない、と、トンシャオさんは嘆いていました。
だんだんに耳がなれてくるし、若者言葉も覚えていくから大丈夫、と励ましました。
トンシャオさん、若者言葉の会話に悩みつつも、とても元気で、研究の抱負を語っていました。
また、北京オリンピックに日本人を連れて行くボランティアスタッフに応募したので、運がよければ、スタッフに選ばれるかもしれない。そしたら、この夏にはボランティアとして日本人といっしょにオリンピック見物ができるんだけれど、、、と、言っていました。
「北京オリンピックも見たいけれど、なにより、日本人といっしょに行動していれば、自分の日本語の勉強にもなると思うので」と、語るトンシャオさん。
応募する中国人留学生はとても多いそうなので、「宝くじ」みたい、ということですが、うまく当たるといいね。
「ジュンさんトンシャオさんのクラスもそのうち集まってコンパをすることがあるでしょう、そのときはまた、私やチュンツォン先生も呼んでね」と、トンシャオさんに話しました。
14年前に中国で教えたときの教え子のひとりに、耐震構造の研究をしている女性がいました。
自分が子供のころに経験した四川省の大地震を心にきざみ、地震に耐える建物を研究しようと志したのです。
たぶん、政府の建物などには、耐震構造の研究成果が生されていることだろうと思います。
でも、一般の人の家までは、まだ耐震構造がいきわたってはいない。
彼女が望んだ「二度と地震のために人が死なないように、丈夫な家を研究する」という志が、かなうのはいつの日でしょうか。
きっとその日をめざしていることでしょう。
留学生たち、みな日本での研究生活、かんばっています。
私も授業と研究、がんばるよ。
加油!チャーヨゥ!
~~~~~~~~~~~~
20200808
中国に3回赴任した内、最初の年1994年に教えた学生は、今中国社会の中枢で活躍していることと思います。四半世紀の年月は、彼らにとってどんな日々だったことでしょうか。一方春庭は、相変わらずの日本語講師。
今は、中国から来日できない留学希望者に、オンライン授業を行っています。パソコン操作もままならない私には、うまくいかないことの多い授業になりますが、学生たちは、Zoomを利用して元気に授業に参加しています。
コロナ感染が収束しないと、入国許可がでません。一日も早く、4月入学だった学生たちが来日できるように願っています。
かいこうずの花

かいこうずは、別名アメリカデイゴ。沖縄などにもデイゴの花が咲きますが、かいこうずは鹿児島県の県花になっています。名前はアメリカですが、原産地はブラジル。江戸時代に日本にもたらされ、南国に花を咲かせました。今では鹿児島県の花。
これは、外国から日本にやってきて、日本語を学んだ留学生と同じですね。鹿児島県を代表する花になったかいこうず。留学生の中にも、故国と日本の架け橋となって花を咲かせる人がいると思います。
<おわり>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>大学院入試に挑戦(3)夢に向かって
春庭の日本語教師日誌を再録しています。
中国赴任中に教えた学生たちとは、日本に留学後も交流をしてきました。メールのやりとりだけの人もいるし、食事にいったり、自宅に招いたり。
昨日写真にうつっていた日本語学校理事長とは、音楽趣味が共通していて、いっしょにコンサートに行ったこともありました。
留学期間を終えて帰国してしまうとなかなか出会うこともなくなりますが、日本留学の経験を生かして、それぞれの地域で活躍していることを信じています。
~~~~~~~~~~~~~
2008/05/13
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(4)夢にむかって
ジュンさんのクラス「博士3斑」の15人、私が担任した「博士2班」の22人、北海道から九州まで、日本各地の大学へ留学しました。
ジュンさんは、2006年10月から2007年9月まで、中国教育部直属の教育機関で日本語を学びました。
中国人大学教授たちと、文科省より派遣された日本人講師が協力して日本語を教える、国家プロジェクト。私は2007年度の文科省派遣教師でした。
毎年100人前後の学生が、このプログラムで日本国文部科学省国費留学生となり、日本に留学しています。
100人は、20人ずつ5つのクラスに分かれて日本語を学んでいました。「博士一斑」から「博士五班」まで。
日本に来てしまうと、なかなか、かって同じクラスだった友達にも、会うチャンスはありません。
私のクラス「博士二斑」は、年末とお正月に、東京で「ミニ・クラス会」をして、餃子パーティや「日本の家見学会」をしました。
これは、「博士二斑」の担任リー先生が、現在日本の大学で研究研修期間中で、いっしょに日本にいるおかげ。担任の先生と教え子が同時に日本へやってきた、めずらしいケースです。
ジュンさんのクラス「博士三斑」の担任先生は大阪在住なので、まだ、東京に住むクラスメートたちのクラス会は行われていません。
トンシャオさんは、ジュンさんのかってのクラスメートのひとり。
私は、二人が在籍しているクラス博士三斑の読解授業を担当しました。
日本のロボット工業の文章を読解するときはアトムやアシモの写真、鎌倉の歴史について読むときは、大仏や鶴岡八幡宮の写真など、さまざまな画像を読解の助けとして読んでいきました。
20191222
ぽかぽか春庭にっぽにニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌()
今はインターネットから拾えるので、読解参考資料づくりが13年前に比べればずっと楽でしたが、それをパワーポイント教材にととのえるのに、一晩がかりだった。これも、1年たつ今では、なつかしい思い出。
読解という名の授業なのに、文章を読みとることよりも、「日本文化紹介」の授業になってしまいましたが、ジュンさんもトンシャオさんも面白そうに、日本の生活のあれこれについて聞いてくれました。
トンシャオさんは、私が出講している国立大学のひとつに留学しました。工学部大学院で工業デザインの研究をしています。
理系の彼は、2月の入試に無事合格し、博士後期課程の大学院生になりました。
大学院の研究と同時に、国際教育センターで日本語を学ぶトンシャオさん。
彼と話をしていたら、ジュンさんが2007年後期に留学先の大学で日本語を習ったY先生と、4月からトンシャオさんが学ぶ日本語クラスのY先生は、同じ先生だということもわかりました。
非常勤講師はあちこちの大学を掛け持ちするので、大学が異なっても、同じ先生に習うこともありえます。
私も、国立大学2校と私立大学2校を掛け持ちで週5日授業をしています。
以前から劣悪な条件で働いていた語学教師は、国立公立大学の法人化により、ますます過酷な条件であちこち掛け持ちしています。それでも食べていけません。
ジュンさんとトンシャオさんが1年前、私の教え子だったことについて、偶然のことながら、「これもご縁ですね」と、Y先生と講師室で話しました。
こんな偶然を知ると、100人の留学生が日本全国に散らばってすごしていても、どこかにつながりがあるもんだなあ、と思います。
2008/05/14
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(5)加油!
トンシャオさん、去年は、研究留学生だったから、朝お弁当をつくって持ってくる余裕もあったけれど、2月に博士後期課程に合格し、4月から博士後期課程大学院生になったら、本当に毎日忙しくて、あまりお弁当を作れなくなった、といいます。
大学内の食堂で、お昼ご飯をいっしょに食べることにしました。
5月2日、トンシャオさんとランチ。
図書館近く、大学会館のレストランで。あまりおいしくはないけれど、ワイワイしている生協学食よりは落ち着いて食べることができます。
トンシャオさんの悩みのタネは、やはり日本語。
大学院の指導教官と話すときは、先生が気をつかって専門用語などを説明しながら言ってくれるので、大丈夫だけれど、問題は、大学院生同士のディスカッション。
日本人院生たちの会話は、とても早いし若者言葉も混じるし、専門用語の解説なしに話がすすむので、ディスカッションなのに、自分の意見を言うこともできない、と、トンシャオさんは嘆いていました。
だんだんに耳がなれてくるし、若者言葉も覚えていくから大丈夫、と励ましました。
トンシャオさん、若者言葉の会話に悩みつつも、とても元気で、研究の抱負を語っていました。
また、北京オリンピックに日本人を連れて行くボランティアスタッフに応募したので、運がよければ、スタッフに選ばれるかもしれない。そしたら、この夏にはボランティアとして日本人といっしょにオリンピック見物ができるんだけれど、、、と、言っていました。
「北京オリンピックも見たいけれど、なにより、日本人といっしょに行動していれば、自分の日本語の勉強にもなると思うので」と、語るトンシャオさん。
応募する中国人留学生はとても多いそうなので、「宝くじ」みたい、ということですが、うまく当たるといいね。
「ジュンさんトンシャオさんのクラスもそのうち集まってコンパをすることがあるでしょう、そのときはまた、私やチュンツォン先生も呼んでね」と、トンシャオさんに話しました。
14年前に中国で教えたときの教え子のひとりに、耐震構造の研究をしている女性がいました。
自分が子供のころに経験した四川省の大地震を心にきざみ、地震に耐える建物を研究しようと志したのです。
たぶん、政府の建物などには、耐震構造の研究成果が生されていることだろうと思います。
でも、一般の人の家までは、まだ耐震構造がいきわたってはいない。
彼女が望んだ「二度と地震のために人が死なないように、丈夫な家を研究する」という志が、かなうのはいつの日でしょうか。
きっとその日をめざしていることでしょう。
留学生たち、みな日本での研究生活、かんばっています。
私も授業と研究、がんばるよ。
加油!チャーヨゥ!
~~~~~~~~~~~~
20200808
中国に3回赴任した内、最初の年1994年に教えた学生は、今中国社会の中枢で活躍していることと思います。四半世紀の年月は、彼らにとってどんな日々だったことでしょうか。一方春庭は、相変わらずの日本語講師。
今は、中国から来日できない留学希望者に、オンライン授業を行っています。パソコン操作もままならない私には、うまくいかないことの多い授業になりますが、学生たちは、Zoomを利用して元気に授業に参加しています。
コロナ感染が収束しないと、入国許可がでません。一日も早く、4月入学だった学生たちが来日できるように願っています。
かいこうずの花

かいこうずは、別名アメリカデイゴ。沖縄などにもデイゴの花が咲きますが、かいこうずは鹿児島県の県花になっています。名前はアメリカですが、原産地はブラジル。江戸時代に日本にもたらされ、南国に花を咲かせました。今では鹿児島県の花。
これは、外国から日本にやってきて、日本語を学んだ留学生と同じですね。鹿児島県を代表する花になったかいこうず。留学生の中にも、故国と日本の架け橋となって花を咲かせる人がいると思います。
<おわり>