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ぽかぽか春庭「グランドホテルロイヤルスイートルームと掛川城」

2020-08-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200816
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記(2)グランドホテルロイヤルスイートルームと掛川城

 掛川旅行2日目。
 グランドホテルロイヤルスイートルームは、このホテルの最高級の部屋。
 たぶん、一生一度の宿泊かも。やたらに広いリビング。和寝室。洋寝室はキングサイズベッド、ひとりで寝るには広すぎるが、真ん中で大の字で寝ましょう。洋寝室のバストイレ化粧コーナー、玄関脇トイレとキッチン。


 部屋の意匠は、社長の趣味とかで、清王朝風。壁紙や調度品が王朝風で、なぜかドラが置いてある。




 たぶん、このホテルで結婚式を挙げたカップルが新婚旅行に出かける前夜を過ごすのに泊まる、という利用法が一番多いのだろうと想像しました。


 ロイヤルスイートルームをひとまわり見渡したあと、駅前からコミュニティバスに乗り、掛川観光へ。

 まず、資生堂アートハウスへ出かけました。タクシーで行こうという娘に、私は、タクシー代ケチって、「掛川コミュニティバスが、資生堂資料館入り口という停留所に止まる」と主張してバス乗車。

 しかし、停留所名「資料館前」と「資料館入り口」とではかなり違うこと、身にしみました。入り口から資料館に着くまで、上り坂をかなり歩きました。
 「コミュニティバスならひとり100円だから」と言い聞かせてタクシー代をケチりましたから、蒸し暑い中の上りにふうふう言っても弱音は吐けません。

 資生堂の企業資料館で見た「化粧品の瓶」コレクションも、歴代ポスターも面白かった。午前中から見学をはじめて、アートハウスを見終わるまでかなりゆっくり時間をかけて見て回ることができました。資生堂アートハウスの紹介はのちほど。
資生堂アートハウスからはさすがにタクシー利用。掛川城公園の観光、復元されている掛川城へ。 

 掛川城は、室町時代中期の文明年間(1469-1487)に、大名今川義忠の重臣朝比奈泰煕によって築城されたと伝えられる城です。
 今川氏衰退後、豊臣秀吉の命により1590(天正18)年に掛川の地に入封しのが、山内一豊です。山内一豊は大規模な城の改修を行い、掛川城は天守閣、大手門などを備えた近世式城郭となりました。豊臣政権には、土木や建築に強い武将が多かった。城はその美しさから「東海の名城」とうたわれました。

 一豊は、徳川家康に「この掛川城をお使いください」と申し出たことを嘉され、家康によって土佐藩初代藩主となり、掛川をはなれました。
 その後1854(安政元)年、安政の大地震によって崩れて以来、長く天守閣は再建されなかったのですが、1994(平成6)年、市民や地元企業の寄付により日本初の「本格木造天守閣」として復元されました。
 大阪城、名古屋城など、復元城郭の多くがコンクリートで建てられたのに対して、日本で初めて「木造の城」として復元された掛川城は、画期的なことでした。

 東京タワーができたとき、それを見上げる都民国民になにがしかの感慨がありました。タワーは敗戦から立ち上がっていく気概の象徴でもありました。掛川城も掛川市民にとって、我が町のシンボルとしてだいじな存在なんだろうと感じました。城のある町、いいもんです。

 掛川市による城の説明
 室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。
 戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。

 現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。
 掛川城周辺には、四季桜、しだれ桜、ソメイヨシノが約130本植えられており、毎年春には多くの人の目を楽しませています。


 私は、建築当時のまま残された城のうち、犬山城、松本城、姫路城を見学してきました。復元された城も大阪城、小田原城を見たのですが、それほど「お城ファン」というわけじゃありませんでした。
 娘は、小田原城見学をした数年前から「旅のテーマのひとつは百名城めぐり」と決めて、百カ所の「お城スタンプ」を集めるといいます。お寺や神社めぐりの御朱印帳を集める人や、百名山登山など、いろんな旅のテーマがありますが、娘が百名城めぐりを思い立ったのなら、私も付き合います。

 掛川城天守閣


 掛川城の城主、山内一豊が務めたのは江戸時代のはじめの10年ほどで、城主は代々変わりました。城内には、城主の歴史や最後の城主から寄贈された甲冑などの展示物がありました。
 四足門も復元されています。

 掛川城天守閣からの眺め


<つづく>
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