
豊橋市公会堂
20210701
ぽかぽか春庭アート散歩>2021建築巡り春(1)豊橋市公会堂
愛知県豊橋市を訪問。緊急事態宣言が解除され、都外に出るのもそうそうお咎めはないか、と、おっかなびっくりの旅でしたが、豊橋、蒲郡、豊川と、お天気にも恵まれ、桜日和のよい日々をすごすことができました。
3月24日、新幹線ひかりを降り、駅から歩きました。娘が「建物見物趣味の母に合わせたアレンジ」という訪問先のひとつは「豊橋公会堂」。
3月21日以後は、通常の公開時間(基本午前9時から午後9時まで)ということで、私と娘は午前10から1時間ほどの観覧でした。
豊橋市公会堂は、中村與資平(1880-1963)の設計で1931年に竣工。鉄筋コンクリート造(屋根は鉄骨トラス造)3階建。国の登録有形文化財。
豊橋市の口上。
豊橋市公会堂は、ロマネスク様式で正面両側のドーム頂上までの高さは、16mもあり市内の鉄筋コンクリート造りの近代的建築物の発祥ともいわれています。また、風格のある雄姿、意匠など建築界においても高く評価されています。講演会や各種式典はもちろん、歌謡大会、舞踊大会などが数多く開催され市民に親しまれています。
公会堂東側

外観はルネサンス風。スペイン風の円形ドームは、スパニッシュ・コロニアル・リバイバルという1910-20年代にカリフォルニア州で流行したスペイン統治時代の建築様式の復興を試みたスタイルを模倣した、ということで、玄関内のもとになった建築物の写真が竣工当時の公会堂と並べて展示してありました。

講堂客席部を中心に改修をしてありますが、外観はもちろん、ほとんどのドアや窓サッシ等は当時のまま。戦中に供出された金物も一部復元され、正面外観を飾っています。
室内

スクラッチタイルが柱を飾る玄関

半円形ドームを飾る4羽の鷲のレリーフ。本物は建物東側に展示され、現在ドームに飾られているのはレプリカです。金属製の本物は、重すぎてドームの耐震基準を満たせず、レプリカを載せたのだそうです。

こんな裏話を聞けたのも、他に観客がおらず、私と娘のために案内してくれた係員が懇切丁寧に説明してくれたおかげ。普段、公会堂は市民のためのコンサートや演劇用のホールとして公開されており、使用されていないときは公開されていても、市民の訪れもないので、わざわざ建物を見に来た観客は珍しかったみたい。
屋上にあがってドームを見る


設計者の中村與資平は1905(明治38)年に東京帝国大学を卒業した後、 辰野金吾の事務所に入りました。朝鮮銀行本店(現在の韓国銀行)を設計ののち、独立。 朝鮮で設計活動をおこないました。1923(’大正12)年に帰国し、東京で事務所を開き、関東大震災後の日本の建築界に貢献しました。
中村は辰野事務所で「辰野式」とも呼ばれる様式建築を会得し、朝鮮での活動の間、ドイツ人の若い建築家アントン・フェラーからモダン建築を学びました。アントン・フェラーはドイツ軍に従軍中、第一世界大戦で ロシア軍の捕虜となりシベリアから脱走してきたのです。中村は、様式建築とモダン建築両方をこなせる幅広い建築家でした。
スパニッシュ・コロニアル・リバイバルのスタイルを「取り入れた」というより、写真で見る限りでは「まんまそっくり」のデザインで、このころの新進建築家が「辰野式」から飛躍しようと懸命に自分のスタイルを探し求めていたそんな心意気が感じられる屋上の半円形ドームと4羽の鷲でした。
「いつもは案内しないことになっているんだけど」と言いながら、屋上ドームへ上がる階段を開けてくれた係員さん、ありがとうございました。
もとはドームを飾っていたのですが、改修の耐震工事調査によって、元の鉄製のワシでは、重すぎて建物がもたないことがわかりました。そのため、屋上にはレプリカを飾り、元の鷲は、玄関横に転じされています。

内部のステンドグラスなどは、できる限り現物を修理して用い、足りない部材は補修して、元の建物を再現しているそうです。
ステンドグラス、柱の彫刻など。


ベランダの柱の装飾

豊橋市が公会堂の建物を大切に保存しようとしていることがよくわかった建物見学になりました。

<つづく>