
20210722
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2021ことば辞典(1)ノンバイナリー
多様性を尊ぶ春庭。人を画一的な価値観で決めつけることも、大勢の人をひと色に染めようとすることも望ましくないと思ってきました。
子どものころから「変わっている子」「子供らしくない子」としてみなされてきたし、大人になってからは「かわいげのない女」「女らしくない女」と言われてきたので「らしさ」から逸脱することこそ「ワタシらしい」と思って生きてきました。
ジェンダーに関して春庭は。
自分自身の性自認やアイデンティティを考えるうえで、「男性・女性に当てはまらない」という意味を持つ言葉「Xジェンダー、クィア、クエスチョニング、第三の性、ジェンダーレス」など、いろいろな表現も知りつつ、ジェンダーアイデンティティでは女性であると思うし、セクシャリティでも女性なのですが、それでも、「女性規範」にしばられたくない、という思いを持ち続けてきたのです。
歌手宇多田ヒカルのネット発言で、「ノンバイナリー」という言葉を知りました。2019年にはLGBTの人々に知られていたことばだというのですが、アンテナ微弱な春庭は、2021年6月の宇多田ヒカル発言を読むまで知らなかったのです。
バイナリーbinary とは、2進法のことです。コンピュータなどでは、0か1で数字を表します。「1」は01、「2」は10と表します。「3」は11、「4」は110、「5」は101、「6」は111と、0と1だけですべてのことを表す方法です。
つまり、オンとオフの切り替えで、全部が入力できる。コンピュータの世界では、基本の表現です。
世の中、このバイナリーで規定されることが数多く存在します。たとえば男と女。1か0。生きて呼吸をしているか、呼吸していないか。1か0。
1か0で割り切れないことがらも、無理矢理に1か0に決めてきました。たとえば、心臓は動いている脳死状態だと、生きているのか死んでいるのかわからないから、「脳死状態」は0、と決めてしまう。
「男と女」も、従来の社会では、無理矢理に「身体特徴で1か0か決める」と言う乱暴な方法で分けられてきました。しかし、世の中はそんな単純に割り切れない。
身体は女性だが、心は男性、その逆もある。身体は男性で、心は女性だが、恋をする相手は女性、という複雑な場合まで、性自認はさまざまです。
私のように、身体特徴もセクシャリティも女性で、異性愛だが、思考や好みは女性的ではない、という場合もある。好みの問題。従来の小学校などでは、学習用具にピンクと青があったら、無条件にピンクが女の子用、青が男の子用として配布されてきました。私は、ピンクより青のほうがよかったのに。
それらの複雑な性自認を表すことばとして、「Xジェンダー、クィア、クエスチョニング、第三の性、ジェンダーレス」などが使われてきたのですが、一般的にはどちらかというとマイナスイメージのことばと受け取られることが多かったようです。規範から逸脱する、というイメージのことば。
宇多田ヒカルが表現したのは、「ノンバイナリー」です。
2進法のように1か0でふたつにきっぱり分けてしまうのではない、多様なありようを表現しています。2進法では割り切れない存在のしかた。
異性装が好きな人も、性の相手、人生のパートナーとして同性がいいと思っている人も、脳細胞の働き方は男性的であるけれど、趣味嗜好においては女性的、というのまで、とにかく、あらゆるあり方を「自分なりの存在のしかた、行動のしかた」でよいと認める、それを「ノンバイナリー」と言ったのです。
宇多田ヒカルは「私自身、ノンバイナリー」と自身のブログに書いています。私は、このことばを知って、とてもうれしく思います。
私自身はこれまで「ジェンダーフリー」という表現を使って自分自身の性自認に近いかと思ってきたのですが、ノンバイナリーという表現のほうがぴったりするように感じました。
虹の色は7色と思う文化も6色と思う文化も3色という文化もあります。グラデーションで変化するので、色彩名刺の名付けようで色の数も変わるのです。
性自認も多様なありかたを認めるべきだと感じます。
私は「ノンバイナリー」という表現に拍手をおくります。

<つづく>