20210720
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>日本語学校夏(4)多様性大論争
「多様性を尊重しよう」という言葉は、今や「世界の合い言葉」的に普及しています。私には「地球にやさしく」という合い言葉と同じくらいうさんくさく感じる言葉です。なぜなら、日本は多様性の尊重が難しい社会だからです。
夫婦別姓の選択でさえ、裁判で合憲とされ「結婚前から続けている仕事を継続するために、もともとの姓を使い続けたい。旧姓使用が認められても不自由さが残るし、何より名前は1番だいじなアイデンティティだ」という当然の主張も受け入れられませんでした。
「家族はひとつの姓にするのが家族制度維持に必要」というのなら、妻が結婚前の姓を名乗り続ける中国では、家族はぶっこわれているはずですが、14億人の家庭、みなしっかり堅持されています。家族は苗字ではなく、愛情で維持されているのです。日本でも、歴史的には、例えば北条政子は結婚したあと源政子と名字を変えるわけではありませんでした。
明治民法以来のたかだか100年にすぎない「伝統」に固守する人々が政権中枢に居座る限りだめなのかも。
個性の尊重だの多様性の重視だのというスローガンがむなしい。
何事にも「同調圧力」という目に見えない力が働きます。国民に奉仕すべき公務員が、上司から「不都合な文書」の改竄を求められれば、ひとりを除いてそれに抵抗することなく、粛々と改竄にしたがった、ということも、そのあらわれのひとつ。上からの命令や「まわりじゅう、みんながそうだから」という同調をもとめる力に逆らえない。
昨今では、マスクなしに電車に乗ったりしたら白い眼が集中する。
葬式のときは黒または黒っぽい服装にすることが求められ、赤やピンクの服で列席すれば顰蹙を買うことは必定。結婚式で、花嫁以外の出席者が真っ白いドレスを着ることも、マナー違反とされます。葬式結婚式など、儀礼の場ですから、儀礼に合う服装をすることに異論はない。儀礼とはそういうものだからです。いやなら列席しないこと。
儀礼などではないの日常の働く場ではどうでしょう。東京駅を降りて霞ヶ関や丸の内方面へ歩いてくを眺めるに、白いワイシャツに灰色、紺、茶色系統のスーツが群れをなして進んでいきます。
デザイン系やIT系の企業の中には「自由な服装」を社風として推奨している会社もあります。しかし、その会社の社員が、役所ほかの場所に打ち合わせなどに向かうときは、プリントTシャツにジーンズ」などで出かけることはほぼありません。それほど「服装規定」は日本社会で徹底しています。
女性の「会社で働く服装」はどうでしょうか。かって、事務員として働く女性は、おそろいの上着を支給され、黒や紺のうわっぱりを着ていたものでした。今は女性におそろいの衣装を要求する会社は、エアラインの乗務員、女性警官など、ユニホームの着用が仕事の一部になっている部署がほとんど。それ以外では女性の服装も自由というところが多いです。
しかし、朝の通勤時間帯に目にするのは、男性のドブネズミ色に準じた女性達の服装。ことにリクルートスーツは、制服かと思うくらいどれも似通っています。会社社会では、それが求められていると求職者が感じたゆえの、おなじようなリクルートスーツなのでしょう。
通勤電車で飛び抜けて華やかな服装を見かけることがあったら、日記に書くかも。たまに、オレンジゴールドに染めた髪の高齢女性が赤いワンピースを着て乗っているのを見たこともあるけれど、車内は、夏も冬もほとんど色味の少ない「日本の社会」です。。
学校教師の場合どうでしょうか。通勤時はスーツやそれに準じる服装の教師も、学校現場では動きやすさを考え、とくに運動会練習や体育授業の指導がある日は、ほとんど一日中、学校規定のジャージ姿という教師も多いです。体育授業以外でも、小学生と接する時間帯は女性教師は、動きやすいTシャツにパンツ姿で教室や校庭、職員室を駆け回っています。
春庭は、若い頃の3年間の中学校国語教師の時代、「スーツは紺黒茶色灰色などの色で、普段は白いブラウスにスカートを基本とする」というような指導を受けた記憶があります。色は深緑になったり臙脂色になったりその都度変わりましたが、基本的には「社会通念」に従い「教師らしいとされる服装」に従っていた覚えがあります。
現在勤務している日本語学校で、春庭の服装は。
ボトムは黒いスラックスが基本。夏用、春秋用、冬用。灰色や紺もありますが、普段はほとんど黒いボトム。それにシャツ、Tシャツ、ブラウスを合わせる。色は私の持っているものは、ほどんどが彩度の低いつまらない服ですが、社会通念にしたがっているわけではありません。鮮やかな色味は、私のぼうっとした丸顔と太い体型にあわないからです。赤やピンクは太い体型がいっそう膨らんで見える。やすみの日は、顔におかまいなしにディズニーキャラの赤でも黄色でも、とにかく安ければ良しのTシャツが中心。
ここまでは、話のマクラです。
いっしょに働く30代の常勤講師S先生。華やかな顔立ちの美人さんで、足がスラリと伸びてスタイルバツグン。中日ハーフのバイリンガル。パソコンで教材を作成する仕事もちゃきちゃきこなし、家庭では小学生を育てるお母さんです。
S先生の好みの服装は、プリンセスのようなデザイン。ひらひらのフリルやレースがいっぱい、スパンコール、フェイクパールが襟元や胸元をきらきら飾る。ミニスカートにピンヒールのハイヒール。レモンイエロー、ピンク、ホワイト、赤が基本。いつもあでやかで華やかで、彼女が移動すると、ディズニーランドのパレードのようにきらびやかです。
私は、この服装について「いつもディズニープリンセスのような服だね」とS先生に言ったことがありましたが、「教師にふさわしくない」と言ったことはありません。避難訓練の日にピンヒールをはいていたときは、さすがに「その靴じゃ、ころぶよ」と注意したことはありましたが。
私は、国内の学校教育の場で女性教師にどのような服装が暗黙のうちに求められるか承知していたし、それを逸脱すると、鬼より怖いPTAママたちから大ブーイングが出ることも知っていました。
しかし、日本語学校においてまで「女性教員に求められる社会通念上の服」を要求することはない、と思っていました。だから、S先生の服装も「この、華やかで明るい雰囲気は、ドブネズミ色に画一されている日本の働き手にはない感覚だ」と思って、ミニにピンヒール、フリルいっぱいの服の好みを貫く姿にエールを送っていました。
彼女が服を買うのは、中国サイトの通販だ、ということも聞き出しました。日本だと、原宿の「ガーリッシュスタイルの店」とか、「ロリータスタイルの店」以外にはあまり見かけない。
幸いにも、鬼よりこわいPTAママは、日本語学校にはいません。みな自国で娘息子の無事な留学生活を願っているのみで、女性教師の服装にあれこれ言いだすことはない。
日本語教育の現場は、さまざまな国籍さまざまな文化の人々が集まる場です。私は、世界100ヵ国の国籍の留学生に出会ってきましたが、いちばん基本に「どの言語どの文化に対しても敬意を持ち、留学生の文化を尊重する」ということと、そのうえで日本の文化を吸収してもらう、という方針を持って留学生教育にあたってきました。
ところが。大爆弾が投入されました。いっしょに授業を受け持つ60代の女性非常勤講師から、クレームが寄せられたのです。「私がこれまで勤務したことのある学校では、女性教師にはフォーマルまたはフォーマルに準ずる服装が求められてきたが、S教師の服装は学校現場にそぐわない。教師にふさわしい服装をするよう、学校が注意すべきだ」という内容の激烈な非難メールでした。
校長は「日本語学校は基本的にあらゆる文化を尊重する場であるので、教師の服装は、汚れやほつれのない、清潔なものであるなら教師にまかせている。教師にふさわしい服がどのようなものであるか、というのも、個人の判断によってことなる」という返信を出したところ、さらに非難の調子が大きくなり「キャバ嬢のような服」とまで書かれていた、ということでした。困ったなあ。それほどミニスカートがめざわりなのか。
春庭は、これまでの生き方として、個人の自由を尊重し、他者の生きる尊厳を損なわないのであるなら、あらゆることにOKを出してきました。1970年代にも、今でいうGLTBもOKと思ってきたし、1970年代には主流であった「女性は30前に結婚して家庭に入り子供を産み育ててこそ一人前」という考え方に、私は従わなくてもよい、と考えてきました。基本は「精神的に自己管理ができ、自分の生きる道は自分では決めることができ、自分の食い扶持は自分で稼ぐ生き方」です。
結果として法的に結婚してふたりの子を育てたることになったけれど、一人で生きる人生になったとしても、決して後悔せずに働き続けた、と思っています。
「日本語学校における女性教師の服装」という問題をこれまで一度も考えたことがなかったので、60代女性講師の激烈非難に対して、服装について考えるよい機会となりました。
結論。「フォーマルあるいはセミフォーマルどぶねずみ色の服装で授業をすべきだ」という女性講師の主張に従う必要はないと考える。女性講師は、一昔前の「ミニスカートが男子学生の劣情をを招く」という感性を持ち続けているのだろうと思います。そういう感性の持ち主は、自分自身の服装においては、どぶねずみを続けたらいい。他者の服装の好みについてまで、「社会通念」に従うべきだと押し付けるべきでない。
昨今の男子学生、見たいと思ったら、インターネットで大股開きの写真だろうと、「若い女性の体位100ポーズ」だろうと、あらゆる画像映像を見ることができるのです。30代の子持ち教師がミニスカートを履いたくらいじゃ、劣情の持ちようもない。(むろん、年増好みの男性もいることだろうが)
多様性を認め、どのような文化もどのような好みも、どのような性的嗜好も、個人の好みが他者を傷つける存在でない限り、共存していきたいと願っています。
自分の主張を貫くことは大事なことです。
60代講師が「社会通念上の女性教師の服装」を続けることは、尊重します。彼女が同僚の服装の趣味に対して非難する自由も認めます。しかし「校長は学校教師の服装を規定すべきだ」には同意しません。私はわたしの好みで服装を選んでおり、校長に「女性教師は地味な服装をせよ」と命じられたからではありません。
多様な文化を持つ異文化の衝突の場である日本語学校で「多様性はいいことだ、しかし女性教師は地味な服装に統一せよ」というのでは、教師が多様性を否定することになる。
「民族の多様性を尊重する」と言いながら、政府に反論する新聞をつぶしにかかるどこかの政府と同じ。(香港のりんご新聞、廃刊、主筆は逮捕。議員は政府の方針に逆らわないという宣誓書を提出しなければ議員を続けられないというので、多数の民主派議員は辞職)
「女性教師の服装」からはじまった多様性について考える時間。ちょうど夫婦別姓に合憲判決がでたところだったので、日本においては多様性なんざまだまだ道遠し、と感じてすごす日々です。
勤務校のシンボルマークのひとつが、虹マークです。レインボーフラッグは、多様性を支持する人々にとって、「それぞれの色がそれぞれの価値を持ち、何を自分自身のアイデンティティに取り入れるかは、個人の自由」という意味で用いられています。(デザイン教育の専門家である校長のデザインです)
レインボーカラーはGLBTのシンボルカラーとして語られることが多いですが、私は、性自認や生き方の自由もすべてふくめて「みんな違ってみんないい」の象徴であると思っています。

<おわり>