
20211019
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏(1)広島美術館コレクション展 鴨居玲礼賛in そごう美術館
広島美術館所蔵の「近代日本の洋画」
美術館巡りは好きだけれど、さすがに広島は遠いと思っていたら、美術館のほうがこちらに出張ってくれました。
口上
公益財団法人ひろしま美術館は、広島銀行の創業100周年を機に、「愛とやすらぎ」をテーマに掲げて設立された。印象派などのフランス近代美術だけでなく、洋画を中心とした日本近代美術のコレクションでも有名だ。
本展は、その日本洋画コレクションから、黒田清輝や安井曾太郎、佐伯祐三、小磯良平らの作品約70点を紹介する。日本洋画は、油彩という新しい技法を取り入れることで、日本独自の感性を守りつつ花開き、黄金期を迎えた。黒田清輝の作品を出発点に、それ以降の大正・昭和期
本展は、その日本洋画コレクションから、黒田清輝や安井曾太郎、佐伯祐三、小磯良平らの作品約70点を紹介する。日本洋画は、油彩という新しい技法を取り入れることで、日本独自の感性を守りつつ花開き、黄金期を迎えた。黒田清輝の作品を出発点に、それ以降の大正・昭和期
に活躍した作家の作品を通して、近代日本洋画の流れを知ることができる。
近代日本の洋画については、竹橋の近代美術館などでかなり数多くの絵を見てきました。昨年倉敷の大原美術館で何点かの「有名作品」を見ることができ、広島美術館の作品も見たいと思ってきましたので、そごう美術館で広島のコレクションを全部ではないもの見ることができ、見どころの多い展覧会でした。
近代洋画を牽引してきた黒田清輝の作品
「白き着物を着せる西洋婦人」1892年

安井曾太郎1888~1955 「画室」1926

本当を言うと、私は黒田清輝や安井曾太郎ら、功成り名誉も得たいわゆる「洋画界の重鎮」「文化勲章ほかの栄誉もいっぱい」的な画家よりも、青木繁、靉光、松本俊介、田中一村ら、「国家による受勲などには無縁だった画家」をひいきしております。
絵は絵として純粋に見ればいいので、画家の生涯などを引き合いに出して鑑賞すべきではない、という見方もわかります。わかるけれど、絵でも小説でも、作家の生活・作家の視点というものは作品に現れずにはいられない、と感じます。
スペイン内戦への抗議をこめて絵筆をふるうピカソのキャンバスの前で、ピカソの愛人ふたりがとっくみあいの大乱闘を演じていた、というゴシップとともにゲルニカを鑑賞するのが好きな、「ゴシップ鑑賞法」というのが私の鑑賞スタイルなので、これはこれで私の見方。
広島美術館所蔵の作品の中、私が見たいと思っていた「鴨居玲(かもいれい)1928~1985 」の作品が会場最後のコーナーにまとまっていたのは思わぬ収穫でした。
広島美術館の鴨居玲所蔵作品は7点、ということなので、全部出しだったかと思います。
玲の姉下着デザイナー・エッセイストの鴨居羊子については、その下着が社会問題的にとりざたされていたころから盛名を目にしていました。白キャラコのシミーズなんぞ着ていた田舎娘には無縁のデザインでした。
弟玲が画家であることを知ったのは、司馬遼太郎のエッセイによって。司馬は小説家になる前、新聞社学芸部で美術と宗教を担当する新聞記者でした。鴨居羊子も、玲と羊子の父がシャーナリストだったあとをつぎ、大阪読売の学芸部担当記者。司馬とは交流がありました。
1968年の鴨居玲初個展のときから、司馬と玲は姉の紹介で知り合い親交を続けました。
玲はスペインフランスでの画業から帰国し、金沢で教職を得るも、心臓病や創作の行き詰まりに悩み、57歳で自死。
司馬による鴨居玲の画業紹介エッセイは、愛情にあふれ、玲の作品を一度も見たことがなかった私にも「いつか見たい」と思わせました。ことに司馬は「私の村の酔っぱらい」をたたえていました。
思いがけず、広島美術館展で鴨居玲の作品を見ることができました。時代順の展示でしたから、戦後の画家である鴨居玲が最後の展示室になったのも、当然ですが、絵を見るのは「楽しく明るい絵に限る」主義の娘は、鴨居玲の展示コーナーは、「こういう暗い絵、見てるとつらくなってくるから」と、素通りで会場外へ出ていきました。
私の村の酔っぱらい


私には「3人の酔っぱらい」も、「村の酔っぱらい」も、ようやく観覧かなった絵です。
娘が言うとおり、鴨居の絵は、色調もフォルムも「見ていてつらくなる」
のかもしれません。
酔っぱらいたち、ダメダメ人間で、しょうもない、だらしない姿です。でも、人間の真実をはらんだ姿です。たぶん、私の中のダメダメでしょうもない心が、いようご同輩!と、いっしょに飲んだくれたくなるのです。
どうしょもないわたしたちが肩組んで、だみ声張り上げてでたらめな歌でも歌ってよろけて村の道にぶっ倒れたりするのです。
もし、鴨居玲が長生きして功成り名とげ、文化勲章なんぞをぶら下げて洋画界の重鎮になったとして、私の「村の酔っぱらい」への見方がかわるでしょうか。いや、重鎮になれるような鴨居なら、酔っぱらいに注がれた視線は違ったものになったのではないか。
私には、鴨居の生きた軌跡が鴨居の視線を生み出したのだと思えるのです。
<つづく>