20211017
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021秋映画(1)キネマの神様
原田マハは好きな作家のひとり。特に美術関連物は、キュレーターとして美術館で働いていた原田のアートへの愛が感じられて好き。キネマの神様も、映画愛あふれる小説だったけれど、山田洋二が監督するなら、きっと「家族愛」とかが主になる脚本だろうなと予測して、映画は映画で別物で楽しもうと、飯田橋ギンレイに出かける。以下ネタバレありの感想です。
山田洋二監督の脚本、現代シーンと過去シーンの行ったり来たり。
予想通り、原作は、現代シーンの一部分人物設定のみに生かされていますが、大部分はオリジナル。山田監督が助監督をしていた時代が反映されています。
ギャンブルで借金まみれでアル中、家族に迷惑かけっぱなしのダメおやじ(沢田研二)。どうしてもだめ夫を見放せず、ついつい借金も工面して始末してしまう妻(宮本信子)。しっかり者で大会社に勤務したことで「自慢の娘」になったのに、失業してしまった娘(寺島しのぶ)。原作では独身の娘が、映画では引きこもりの一人息子を抱えるシングルマザー。この引きこもりクン(前田おとうと)は、原作では娘の上司シングルマザーの息子で、決定的な働きをするのだが、映画版での働きはリメイクアドバイザーで、原作よりは貢献度薄い。
山田脚本のかなめとなった過去パート。山田自身の助監督時代への郷愁や監督やスタッフへのオマージュをからめたオリジナルストーリーです。
オリジナルストーリーなので、原作とは完全に別物の映画として見ることができ、原作支持者からのクレームは一部にとどまると見た。
なんといっても、原作者原田マハが、映画脚本を気に入り、自らの筆でノベライズを書き、「キネマの神様ディレクターズカット版」として出版しているのです。
過去パートと現代パートのWキャスト、沢田研二菅田将暉、宮本信子永野芽郁、小林稔侍野田洋次郎 。過去パートの花形女優北川景子、映画監督のリリーフランキー、現代パートの寺島しのぶ、前田旺志郎、志尊淳、片桐はいり。片桐はいりには、常連客じゃなくて、もぎり嬢を演じてほしかった。もぎりよ今夜もありがとう。
志村けんが主役「ゴウ」の撮影開始前にコロナ急逝したことは残念きわまるけれど、志村の若いころが菅田将暉だと、過去のゴウがカッコよすぎに思えるから、沢田=菅田で私はOK。娘は、「ジュリーが演じていると、いくらダメぶりを演じても、どこかカッコよさがにじみ出ちゃって、本物のダメダメには見えない」と言うのだが。
原作の、「ローズバットを名乗る匿名の英語話者と、丁々発止のやりとりを続ける映画評のネットコラムを通じて友情をはぐくむダメおやじ」のイメージは、志村けんが似あっていたと思います。
映画現代のゴウ。映画好きで、ギャンブルとアル中の合間に出かけてる場所は、親友の「テラシン」が経営する映画館。家にいずらくなると映画館に潜り込んでいます。妻のよし子は映画館の清掃パートで働き続けていまするが、今回のようなゴウの多額の借金はしりぬぐいしきれない。
ゴウの過去を「監督として新作に取り組む直前に挫折した男」にして、映画全盛期の撮影所のエピソードを脚本にした山田洋二のアイディアは、演者の好演があって成功しています。撮影所近くの食堂の娘よし子、撮影助手テラシン、女優の北川景子、映画監督リリーフランキー。みないい。
飯田橋ギンレイ。ロードショー封切から1年くらいたってから名画座にまわってくるのが、通常のサイクル。2021年8月封切の『キネマの神様』が、シネコンロードショー並みに早く、2021年9月にギンレイにかかったのは、理由があります。
映画の最後のクレジットに「飯田橋ギンレイ」とあることに、娘と夫が気づきました。モギリさんと顔なじみになっているらしい夫は、「クレジットの理由」を聞いたんですって。
1)テラシンの映画館「テアトル銀幕」の映写室にあるフィルム映画の映写機器は、ギンレイ保存のものを貸し出したのだそう。(映画会社もデジタル化の波のあと、古物映写機は処分されてしまったのだと)
2)原作の「テアトル銀幕」は、飯田橋ギンレイがモデル。
以上2点の理由で、こんなに早い上映となったのだって。
ギンレイがモデルであるなら、私としては。
テアトル銀幕のアルバイト志尊淳を、かってギンレイでアルバイトしていた森田芳光にあこがれる学生であることにして、「いま、映画撮ってるんですけど、、、 」的なこと言わせてほしかった。『ライブイン茅ヶ崎』っぽい自主制作映画をちょこっと上映して、ゴウに「こんなんじゃ映画って言えねー」なんぞと批評させる。
そのうち、原田マハのノベライズも読みたいです。
<つづく>