20211202
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩秋(3)武蔵野図屏風
日本画の題材のひとつに、歌枕(日本各地の有名な光景のうち、和歌に読み込まれた名所旧跡)を絵に描く、という描き方があります。
たとえば、「白河の関」という歌枕、平安初期に大和朝廷の力が奥州に広がったころ作られた関所のひとつですが、京都関西の人々はほとんど実際には訪れることもない遠い地名です。平安中期にはすでに廃止され、どこに関所があったのかもわからなくなっていました。
しかし、能因法師が「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
と和歌に詠んだことにより、都の人々は「白河の関」という地名を聞けば能因法師の歌を思い起こし、遠い奥州のはるかな土地に想像力をかきたてられたのです。
平安・鎌倉の昔、武蔵野は都人にとってススキほかの雑草が生い茂る、広々としたというより茫漠というしかない原野でした。
武蔵野に赴任した役人(たとえば更級日記作者の父)などから伝え聞いた話をもとに歌が詠まれ、新古今集などに伝えられました。
「武蔵野」という地名も、都の人にとっては、奥州におとらず「遠いロマンの地」でした。
「行く末は空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月影(『新古今集』)」
「武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて 草にこそ入れ(『続古今和歌集』)
「武蔵野は月の入るべき嶺もなし尾花が末にかかる白雲(『続古今和歌集』)」
これらの和歌をもとに、「むさしの図」は屏風絵の題材などに好まれました。
これらの「武蔵野図」のひとつ、サントリー美術館所蔵の国宝です。


2020年9月から2021年9月まで、にサントリー美術館の年間パスを購入して、展示されていた「武蔵野図」を見ました。
東京国立博物館の展示でも「武蔵野図屏風」がありました。
私の撮影したものだと、あまりよく映っていません。


私は、サントリーの武蔵野図も東博の武蔵野図も、同じようなものだと思っていて、どちらも「ふむ、武蔵野の野原と月の取り合わせ」と、眺めていました。
ずっと見栄えのいい武蔵野図屏風左隻

美しい武蔵野図ですが、描いた人は不明。だれが、どんな人の注文に応じて武蔵野の情景をかいたのだろうと、想像するのも見る人の愉しみ。
絵ハガキでもカレンダーでも「絵を見ることは楽しい」という粗雑な感性の持ち主春庭です。「どの武蔵野図もすてき」という程度で、どれがどれやらわからないのも困ったもの。考証を重ねたり構図や顔料の組成を研究するなどの本格的な美術鑑賞もありでしょうが、いくつもある「武蔵野図」の区別もつかず楽しむという見方でも、絵を見ることを楽しめた、という点では同じ(負け惜しみ)
<つづく>