
晩香蘆
20230506
ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩初夏(1)晩香蘆、青淵文庫
4月29日の飛鳥山公園。公園の南側に、渋沢栄一が過ごした建物が残されています。(飛鳥山公園内に立っていた広大な渋沢飛鳥山邸宅は、戦災で焼失)
渋沢資料館の付属施設晩香蘆と青淵文庫は、普段は外観のみの観覧ですが、GWの今、内部も公開されていたので、久しぶりに建物の内部を見ることができました。
晩香廬(ばんこうろ)は、1917(大正6)年に落成した洋風茶室で、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って、現在の清水建設が贈りました。青淵文庫、晩香蘆ともに、田辺淳吉の設計。
栄一は、賓客のもてなしにこの晩香蘆を使いました。水屋のほかは一室だけのこじんまりした部屋で客人と親しく過ごすことができました。
晩香蘆の内部

晩香蘆暖炉

晩香蘆に招かれた気分で



青淵文庫は、渋沢栄一の傘寿(80歳)と、男爵から子爵に昇格したお祝いを兼ねて竜門社(渋沢財団の前身)が贈呈した文庫で、1925(大正14)年に竣工しました。 青淵は、栄一の雅号です。




ステンドグラス


タイル



渋沢資料館常設展。入館300円。

渋沢資料館は「養育院の院長さん」という企画展示をやっていました。渋沢栄一が孤児救済のため養育院設立運動を行い、私費も投じて運営を続けたことは知っていましたが、亡くなる直前まで、毎月13日には孤児院へ出向き、児童たちと触れ合い、講話を続けていたこと、知りませんでした。児童は渋沢訪問の折にはおみやげのおやつがもらえることもあり、「院長さん」は大人気だったのだと、写真や児童のお礼の文が展示されていました。
養育院の児童

500の会社を設立して「近代資本主義の父」と称えられる渋沢栄一ですが、親の縁薄い子供たちに「いんちょうさん」と慕われることが、生き甲斐のひとつになっていたことがわかります。
まもなく1万円札の顔になるので、飛鳥山の晩香蘆や青淵文庫も、ますます観覧者が増えていくと思います。
晩香蘆のお客になった気分で。
青淵文庫


渋沢栄一翁と私。91歳まで現役で活躍した翁にあやかりたい。

<つづく>