
20230516
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩初夏(2)ベルギーと日本展 in 目黒美術館
絵を見たくて美術館に出かけることも多いですが、行きがかり上、それほど見たくなかった展覧会に寄ることも。5月9日もそんな一日。
朝、さて、今日は病院の検査があるから、朝ごはんは軽くしとかなきゃと思って出かけました。しかし、受付機に受診カードを入れても「今日の予約はありません」と出る。おかしいなあ。番号札をとって、受付の係員に「予約してあるのに、予約ありませんって表示されるんですけど」と言う。受付の人はカードを調べて「予約は10日ですから、明日ですね」と。
ドヒャー!ついに「毎日が日曜日になった退職者は、曜日がわからなくなるから気をつけよ」と言われていたことが私の身にも起きたのか、と大ショック。5月8日は夫と竹橋の近代美術館に行って、9日は一日ぐうたらしてパソコンの前に座り、10日に検診、というつもりだったのに、中1日がすっ飛んでしまった。
出かけてきてそのまま帰るのも癪なので、電車に乗り目黒美術館へ行く。「ベルギーと日本」という展覧会をやっているのは、竹橋近代美術館で配布チラシを見て知っていたが、それほど見ようという気持ちにはなっていなかった。
太田喜二郎、知らない。呉島虎次郎、名前は知っているけど、倉敷の大原美術館の絵を大原孫三郎に命じられてヨーロッパで買い集めた画家、と思い出すくらいで、大原美術館でどんな絵が児島の作品として並べられていたか、パッと思い出せない。大原美術館にはほかに有名作品がいっぱいあったからね。
とにかく入館。目黒区民になったので、シルバー券が100円割引になり得した気分。これまで目黒区に住んでいても住民票を移していなかったので、割引になっていなかった。
近代日本の画家たちは何がなんでも「おふらんす」。フランス留学を目指して絵の修行に励んだのだけれど、わいわいと人が集まるフランスになじめず、静かなベルギーで絵を学んだ人たちがいました。
ベルギーの印象派の画家。ロドルフ・ウィッツマン。知らない、エミールクラウス、知らない。日本の近代絵画、ことに印象派後期印象派の日本画壇への紹介は、黒田清輝御大のもとフランス絵画が中心であって、ベルギーは傍系だったことがよくわかる。
目黒美術館の口上
戦前の日本人画家の欧米への留学中の作品を収集方針に掲げる目黒区美術館は、ベルギーに留学した太田喜二郎の作品を収蔵しています。当時、パリ留学が主流であった中で、少数ですが、太田と同様にベルギー留学した芸術家がいました。画家の児島虎次郎と、彫刻家の武石弘三郎です。太田と児島は、ともにゲントの王立美術学校に通い、ベルギーの印象派の画家、エミール・クラウスからも学びます。武石は、ブリュッセル王立美術学校を優秀な成績で卒業し、帰国後は肖像彫刻家として人気を博しました。戦前の日本で「炭坑夫の彫刻家」として人気のあったベルギーの彫刻家、コンスタンタン・ムーニエの日本への紹介でも知られています。この度は、この3人の作家と彼らに関連するベルギーや日本の作家以外に、当時の印刷物による紹介や展示などにも着目し、戦前の日本におけるベルギー美術の受容について探ります。
展示は、ルネマグリットの1点を除き撮影自由。観覧者も少なくてゆったりの観覧でした。
・第1章 光をえがく:ベルギーの印象派絵画と日本
ロドルフ・ウィッツマン「水に映ずる家」

ロドルフ・ウィッツマン「風景」

エミール・クラウス「冬の果樹園」1911

フランス留学の外光派
久米桂一郎「夏の夕(鎌倉)1894

ベルギー印象派の画家に学んだり影響を受けたりした日本の画家
太田喜二郎と児島虎次郎と留学中の作品

太田喜二郎「風景」1908-1913

太田喜二郎「樹陰」1911

太田喜二郎「窓辺の夫人」1911-1912

児島虎次郎「和服を着たベルギーの婦人」1909

児島虎次郎「和服を着たベルギーの少女」

児島虎次郎「川辺の風景」1909

ベルギーから帰国後の作品
太田喜二郎「麦秋」1914

太田喜二郎「暖かき日」1915

児島虎次郎「花鋏を持つ婦人」1913

児島虎次郎「親牛仔牛」1916

児島虎次郎「酒津の秋」1917

児島虎次郎「ブールージュの舟宿」1920

日本の印象派
齋藤豊作「羊飼い」

吉田苞(しげる)「赤い支那傘」1926

・第2章 命をかたどる:ベルギーの彫刻と日本
ロダンが現在でも人気の彫刻家であるのに比べ、コンスタンタン・ムーニエは、日本に紹介された当時の人気に比べ、知る人が少ないという彫刻家になっています。私はムーニエ作品をはじめて見ました。
コンスタン・ムーニエ「攪錬工」

吉田三郎「老坑夫」1919

齋藤素厳「東京株式取引所本館建築装飾」1931
農業・商業・工業・交通


第3章 伝える・もたらす:ベルギー美術の紹介
ベルギーと日本は、第一次世界大戦で戦火を受けたベルギーや関東大震災の日本などの相互救済活動など深いつながりを持ち、芸術の交流もさまざまにあったとのことですが、第3章までくると、ちょい疲れて、マグリットの再開に興味を惹かれたほかは、ちゃっちゃっと早足で見て過ぎました。そう広くもない館内なのに。
武石弘三郎は、ベルギー留学時代に太田喜二郎・児島虎次郎と3人組として仲良くすごしたそうですが、彫刻をじっくり見ることが苦手なので、またいつかであったときにゆっくりと。
思いがけず見ることになった目黒美術館。とてもよい展示でした。
<おわり>