春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「旧赤星鉄馬邸」

2023-05-13 00:00:01 | エッセイ、コラム

 旧赤星鉄馬邸南面

20230513
ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩(2)旧赤星鉄馬邸

 朝、テレビをつけたら「以上、実業家旧邸公開のニュースでした」と、アナウンサーが言って次のニュースになりました。検索して武蔵野市が旧赤星鉄馬邸を期間限定で公開しているのだとわかりました。こりゃ、でかけてねばなるまい。ニュースで報道したらたちまち物見高いじじばばでいっぱいになるだろうと予測はついたのだけれど、10日-16日という短期間の公開で、週末は混むだろうから、平日金曜日に出向きました。予想通り、玄関から入場待ちの列が延々。係員は「1時間待ちです」と叫んでいる。

 最後尾について、文庫読みながら待ちました。私のうしろの婆さんは「ニュース見て、杉並区から来たんです」と、婆さんのうしろの爺さんに話している。爺さんは近所の人で「きのう女房が見にきたら、ほどんど人がいなかったって言うから来てみたんだけど」と。NHKニュース影響大。11時20分に並び始めて12時10分に入館。50分待ち。

 1階間取り図


 赤星鉄馬(1882-1951)は、大正昭和の実業家。1923年の関東大震災で六本木(現在は国際文化会館が建っている土地)の邸宅が倒壊したために、吉祥寺に4500平米の土地を買い、アント二ン・レーモンド(1888年 - 1976 )に設計を依頼。昭和9年に竣工。



 戦後、GHQの接収を経て、鉄馬の死後、1956年にナミュール・ノートルダム修道女会が購入。2021年、武蔵野市に建物を寄贈。武蔵野市は土地の買収をしたのち、市民が利用する施設としてアイデア募集中。2022年10月に抽選によりガイドツアーを実施し、今回は抽選無しの1週間の限定公開となりました。

 邸宅は修道会が増築した部分を除いても、1階13室、2階15室という大邸宅。2階の一部に公開していない部屋もありましたが、ほとんどを写真OK(フラッシュ禁止)で見て回ることができました。人数制限をして入場させているので、少し待てば人を避けて撮影できます。たぶん、建築写真集もでることでしょうが、下手な写真でも自前のものがあれば「建築わかってないけれど、物見高いだけで見て回る婆さん」のひとりとしては、自分の目と気分で見て回った気がしてうれしい。

 玄関東側外観


 玄関わきの円筒は、階段室の外観


玄関のひさしは、丸いガラスの明り取りつき。

 玄関ドアわき

 メインの階段


 玄関入って最初の部屋は居間食堂。畳にすると36畳の広さ。


 部屋のつくりでは、アントニンの妻ノエミがデザインした作り付けの家具がとてもよかったです。ノエミは夫が1919年にライトと共に来日したのを追って、1921年に来日。アントニンは、旧帝国ホテル設計を行うフランク・ロイド・ライトの助手として働いたのち独立。アントニーレーモンド設計事務所は前川國男、吉村順三 などを育て、現在も設計事務所として活動しています。太平洋戦争中は1916年に国籍を取得していたアメリカで暮らしましたが、戦後日本にもどりました。アントニンは、85歳まで44年間日本で暮らしました(生まれた時はハンガリーオーストラリア帝国生まれ。現在はチェコ共和国ボスニア州)。
 1973年、建築家を引退しアメリカに帰国。3年後の1976年、ペンシルベニア州ニューホープで死去。88歳。 

 鉄馬の書斎テーブル

 書斎廊下側の明り取りは、玄関の丸い明り取りと同じデザイン


 ノエミのデザインした作り付け家具。アメリカから取り寄せた木材を使用。


 赤星鉄馬については、与那原恵の評伝『赤星鉄馬 消えた富豪 』(中央公論新社)を読んでみたい。父が武器商人として築いた莫大な資産を継承したが、事業で得た資金の多くを学術団体啓明会につぎ込んで学者を支援し、戦後は、岩崎財閥や三井住友などのように財産の保全をはかることなくひっそりと消えていった富豪というので、私としては好みのお金持ち。

 和室
 洋室


 旧赤星邸は、1956年にナミュール・ノートルダム女子修道会が修道女養成に使用してきました。最後のシスターが独り立ちしたあと、武蔵野市に建物を寄贈。武蔵野市は土地を買収しました。レーモンドの建築作品のうち、多くが取り壊され現在は見ることが少ない状態で、女子修道会という浮世離れしたところが使い続けてくれたおかげで、建物が壊されずに残った、と言えます。
 武蔵野市は、市民が活用できるアイデアを募集中です。ぜひ、今後建物を保全しつつ一般の人々が利用できるようにしてほしいと思います。

 何面のベランダ


 旧山口萬吉邸のように、企業が購入してしまうと「会員制レストラン」などになってしまい、見る機会がなくなってしまいます。
 美しい建築は、街のランドマークとして残していってほしいです。私のような素人が見学したところで、世のため人のために何もならないのはわかっていますが、私は、ただ「見たい」

 広大な庭園



<おわり> 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする