春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「旧前田侯爵邸洋館」

2023-06-25 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230625
ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩梅雨時(1)旧前田侯爵邸洋館

 何度も訪問してきた旧前田侯爵邸ですが、前回は洋館だけ見学し、和館は見ませんでした。それも、入り口のところでカメラの電池が切れ、写真がとれなかったので、今回は洋館、和館を回ってたくさん写真を撮りました。洋館も和館も撮影はフラッシュをたかない、見学者を写し込まない、などのマナーを守れは、自由に撮影できます。東京都は無料公開していますので、ゆったりのんびりすごすことができます。今回私は、日本民芸館とセットにして回りました。

 前回来訪したあと、館の中は修繕工事がなされており、絨毯やカーテンが復元され新しくなっていました。絨毯カーテンなどに新調した感じが強く、古びた館のイメージを残している人には、レトロ感が少ないと思うかもしれません。保存されていたカーテン生地などからの復元した、とのことなので、新築なった昭和のはじめにおやしきに招かれた気分で回りました。

 明治~昭和前期は、通常和館で家族が暮らし洋館は客人接待用に使用るすお屋敷が多かったということですが、ヨーロッパ生活が長かった前田利為侯爵は、家族ともども2階洋室に暮らしました。洋館1階は晩餐会などの社交用、和館は外国人接待用に用いていたということです。
 前田家の庭園の芝生は、現在は目黒区立駒場公園として利用されています。

 東京都公園課の邸宅解説
 前田利為(1885-1942)は、加賀百万石といわれる大大名、前田家第16代当主にして侯爵です。江戸期に上屋敷があった本郷に維新後も本邸がありましたが、関東大震災後に東京帝国大学と土地を交換し、現在の駒場を新邸と決定しました。本郷邸は広すぎて生活に向かないと考えた利為は、駒場本邸では質素な暮らしを望んだといいます。
 設計に当たっては、建築委員会を開き、その決定を海外赴任中であった利為に報告し判断を仰ぐというやり方でした。
 旧前田家本邸の設計者
 旧前田家本邸の設計には多くの人がかかわっています。設計監督者は、東京帝国大学教授であった塚本靖工学博士です。実際の設計は、洋館が宮内省内匠寮工務課技師の高橋貞太郎、和館が帝室技芸員の佐々木岩次郎がしたと考えられます。茶室待合は木村清兵衛、暖房や電気設備の設計もそれぞれ専門の工学博士に依頼されました。
 当時の日本における、最高の設計者たちが集められていたのです。
 高橋貞太郎(1892-1970)について…
 東京帝国大学を卒業し、内務省、宮内省の技師として活躍します。聖徳記念絵画館や学士会館、独立後は高島屋東京店などを手掛けています。
 佐々木岩次郎(1853-1936)について…
 京大工の名家に生まれ、大正6年に帝室技芸員となりました。平安神宮や浅野総一郎邸(現存せず)等も手掛けています。
 前田邸略史
1928(昭和3)年に事務所、育徳会、倉庫が完成。
1929(昭和4)年和館上棟、洋館竣工。当主駐英大使館武官から帰国。
1942年(昭和17)利為、ボルネオ沖で搭乗機 墜落により利為死去。
1945-1957 GHQにより接収。
1967(昭和42)洋館が東京都近代文学博物館として開館。都立駒場公園開園
2013(平成15)重要文化財に指定。名称を「旧前田本邸」とする。

 正門も旧門衛所も重要文化財です。



 育徳会は、旧前田家の所蔵品を管理してきた公益財団です。育徳会建物は本邸より先に竣工していますが、現在は見学できません。前田家所蔵品は、石川県立美術館などが公開を担っています。


 洋館正面  車寄せから玄関へ


 本邸南面ベランダ側(公園側)

東南の角   
   
南側の窓から見える室内

 洋館南側ベランダ


 ベランダに置かれた鉢


 邸内の写真は、プロが撮影した写真集も出版されていますから、きれいな写真はそちらを眺めるとして、私が撮影したのは、物忘れ老人の思い出喚起用です。

 入口から入ると、階段のあるエントランスホールが広がっています。

 階段の下にはイングルヌックと呼ばれる談話室がしつらえられています。客室のもてなしや大食堂での宴会とは異なる親密なおもてなしに、暖炉のある空間が利用されました。イングルヌック仕切りの掘り込みのあるアーチ
 階段の意匠


 階段踊り場のステンドグラス
 階段上の踊り場から見るステンドグラス 階段上踊り場の手すり


 本邸1階
 小客室、大客室、大食堂は、社交用


 ベランダ側の窓には、鉄製の飾り。


 家族用の小食堂 食器棚
 配膳室から食事を提供する造り込みの家具  彫刻のある木の壁


 本館2階
 夫妻寝室 夫人室 利為書斎、長女次女三女三男の居室、女中室、従者室、会議室などがありました。使用人は100人から140人ほどが常時「お仕え」していたとのこと。

 展示されていた椅子もとても由緒正しそうなもので、「触るな」とご注意が。唯一座ってよかった次女居室の椅子。ラブチェアですが、ひとりで座れとの注意書き。

 侯爵書斎の絨毯も復元されてきれいになっていました。


 寝室の鏡台、ベッド
 書斎前の前室絨毯

 長女、次女の居室

 
 廊下


 2階女中室は、6畳間ほどの畳敷が2室ありましたが、たぶん、高級なほうのおそば仕え女中用。邸内で働く女中は、金沢の女学校の成績優秀者から選抜されて「行儀見習い」として侯爵家に仕え、嫁に出るときの「箔づけ」になったそう。わぁお、世が世なれば、私なんぞ女中さんにもなれなかったと思います。世が世じゃなく現代だから、こうやって東京都の施設として公開されていてありがたし。


 洋館の中庭側            

 東側から見る2階テラス
 

 本館東側(東側の出入り口は、使用人と出入り業者用)
 洋館と和館をつなぐ渡り廊下を東側から見る


 邸内の暖炉は、建築当初のものがほとんどそのまま残されています。


 照明具も写真などの資料をもとに修理がほどこされてたり、復元されたりしていました。

 壁の飾りもデザインいろいろ

 ドアノブは、どれが復元ものでどれが修理されたものか、不明
 
 床の組木細工

 
 壁の金唐革、寝室の壁紙

 
 昭和前期までのお屋敷、耐震工事などに加えて、家具や邸内の修復がなされてきました。古いものをそのまま残すことも必要ですが、都内のお屋敷は米軍接収時代に、貴重な金唐革の壁に「古ぼけているから」と、GHQの居住者がペンキを塗りたてたりしたので、昔の写真などを元にした復元工事は必須と思います。

 絨毯の新品ピカピカは、もうちょっと古い雰囲気があったほうがよかったかな、という感想もありますが、いずれにせよ、前田邸は東京都の大事な財産と思います。

 前田邸と私
  

小食堂で

 
<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする