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20230620
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記6月(8)リファッション
6月11日。ひさしぶりに映画館で映画を見ました。すごく地味なドキュメンタリー映画。けっして商業ベースで大ヒットなどするとは思えない映画ですが、大型シネマの時間の隙間に一日3回の上映。娘が応募した観覧券が当選したのです。せっかくなので、トークショーのある日曜日に出かけました。
アップリンク吉祥寺。100席ほどのスクリーン3に、観客は半分も入っていませんでした。「日曜日でトークショーもある日なのにこの入りじゃ、平日は100席に観客10人くらいかも」と、娘。
88分の映画最初の3分の1はホンコンのごみ処理問題。香港政府は埋め立てを続けていますが、民間NGOやNPOがリサイクルの事業を立ち上げています。ペットボトルを集めてリサイクルするVcycleやネット販売の子供服おもちゃretycle、廃棄衣料から水や薬品をつかわずに再生撚糸を作る工場。この三者を追ったドキュメンタリー。監督プロデューサー、ジョアンナ・バウワーズ。
すみません、ごみ問題を扱った前半3分の1はすごく眠かったです。撚糸作成のシステムが回り出してから、エドウィン・ケーが古着再生撚糸の工場を成功させる過程を見るのは面白かった。
リファッションの例として展示されていた服
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ファストファッションが流行り、大量生産した安い衣料をあきたらすぐに捨ててまた新しい服を買う、このサイクルを断ち切って、長く愛用する衣裳を着て、捨てるのではなく再活用する、衣料の回転。リファッションドとは、「改めよう」という意味だそう。ファッション「流れ、流行」を、再び生かす。
上映終了後、16時からトークショーがありました。登壇者はeriさんと
蒲田安里紗のふたり。
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・eri
でプとカンパニー代表・アクティビスト。アパレル会社経営・プロダクトのデザイン・古着のバイイング/販売
でプとカンパニー代表・アクティビスト。アパレル会社経営・プロダクトのデザイン・古着のバイイング/販売
・蒲田安里紗
一般社団法人unisteps共同代表理事。「多様性のある健康的なファッション産業に」をビジョンに掲げる一般社団法人unistepsの共同代表をつとめ、衣服の生産から廃棄の過程で、自然環境や社会への影響に目を向けることを促す企画を幅広く展開。種から綿を育てて服をつくる「服のたね」、衣食住やものづくりについて探究するオンラインコミュニティ「Little Life Lab」など。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程在籍
おふたりのお話は、わかりやすく示唆に富む有意義なものでした。
「日本の廃棄衣料のうち、何パーセントが再利用されていると思いますか」というクイズ。40%20%10%1%という数字に観客が手を上げるとき、私は1%に手をあげて「正解」。一番少ない数字だろうと推理したので。娘は10%に挙手。また、衣料リサイクルの知識として、知らなかったことを教わりました。「コットン40%アクリル60%」というような混紡混織の服を買うことがあるのですが、こういう「混ぜ物」は、一番リサイクルしにくいのだ、ということを知りました。これからTシャツは綿100%、セーターはウール100%とか、買う時気をつけることにします。ポリエステル100%でもいいんだけど、とにかく「混ぜるな。危険」。混ぜたものは再生がむずかしくなる。
トークショー終了後の「撮影会」
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また、コットンは地球にやさしくない衣料原料だとはじめて知りました。今までなんとなく綿=自然、石油原料の衣料=不自然、と感じてきたのですが、綿は広大な面積の土地を占有して栽培され、糸にするまで水や燃料などを大量に使う原料なので、化繊に比べて「地球にやさしい」とは言えないのだ、というお話でした。なるほど!
以前、紙パックの牛乳でなく、再利用可能な瓶牛乳を飲もうという運動をしていたエコ意識高い系の人たちがいました。ところが、瓶を集めて洗浄する過程で大量の水を使うこと、トラックなどによる瓶の運搬にガソリンが必要なことなどから、使い捨て紙パックよりも瓶のほうが環境に負荷が大きいことが判明。「コットンのほうが地球環境によい」というのも、一概に言えないことがわかりました。
この「リファッション」上映は、エシカル・ライフ特集のひとつ。
ところが私はこの「エシカル=倫理的な」ということばが好きではありません。嫌いと言うか相性が悪い。地球にやさしい、とか命を大切に、という標語が嫌いなのです。
ニュースをぼうっと聞いていたら、北極の氷が解け続けていて、2030年代のうちに溶けてなくなり、海面は上昇、生態系に重大な影響がでると言っていました。あらま、私まだ生きているつもりの間にそんなことに。洪水は我が後に来たれ。倫理的に意識高い人は、いろいろ環境に気を使いながら生活しているのでしょう。私はゴミの分別はするし、衣服は捨てない生活ですが、地球のためにやっているわけじゃない。自分の生活のためです。
「地球にやさしい生活」という標語が、私たちのまわりを取り囲んで久しい。私は常々「80億人の人間がいなくなれば、地球は破壊に至ることなく保全されるのだから、人間がいっせいに地球からいなくなるのが、一番地球にやさしい行動だ」と主張してきました。「地球にやさしい生活」なんていわずに「人間がエゴを続けていくために、人間のためにここちよい地球を保て」という真実を言うべき、と思っています。そして、人間に心地よい生活は、必ず生態系をこわし、自然環境を破壊せずにはいられない。人間にこことよい生活=地球を破壊する生活。これが真実。食料も衣料も私たちが快適に生活する限り、地球にやさしくしてはいられない。
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私は7時すぎにスーパーへ買い物に行き、半額になっている野菜や肉、魚を買い求めます。野菜半額コーナーには「食品ロス削減にご協力ください」というプレートが出ています。食品ロス削減のためと思って半額野菜を買う人もいないことはないのだろうけど、このプレートを見るとケッて思います。私はただ安いから「失業無収入の家族にやさしい」と思って買っています。
ブランドメーカーが仕立てたフェイクファーの高級コートを買う人が「生き物の命を奪う毛皮は着ません」なんてコメントをとうとうと述べているのを見ても、ひがみ春庭はやっぱりケッて思います。ブランドのお高いコートを買うお金があったら、その分のお金で野生動物保護にでも寄付したらいいだろうに、と感じてしまうのです。
何を着るのも自由です。装うことは、人類が裸をやめてからたぶんずっと人間の証として私たちの生活にありました。イチジクの葉っぱで下腹を覆い隠すのも、Tバッグを身に着けてクラブのお立ち台で踊るのも、すべて好き好き。
私は襟元がよれよれになったTシャツは寝間着兼用部屋着にし、この30年間で衣服を処分したのは、2011年の一度だけ。地震で食器棚から落ちて割れた茶碗を片付けながら、家の中をかたづけよ、という天からの声と思いました。「着られない服は処分しなければ」と思いながら捨てることができずにいた若いころに来ていたワンピースやスーツ、もはやこのサイズに我が身が戻ることはない、と思いつつも捨てることができずとっておいた服を処分しました。東京都の一番大きいのごみ袋に3~4袋あったと思います。古着処分の日に玄関前にだしました。
ときどき、捨てずに取っておいてもよかったなあ、と気に入りだった服について思い出すこともあります。はじめて職場にでるときアヤ伯母が仕立ててくれた思い出のスーツとか。
ものを捨てない生活をしているので、家の中はものが山盛り。床上収納をし続けているので、足の踏み場がなくなって、ものを足でよけながら歩く家の中。それでも「エシカル=倫理的な」は好きになれない。
中でも相性が悪いのは、ヴィ―ガン。
英語では「vegan」。 完全菜食主義者のことで、ヴィーガンは牛肉をはじめ、豚肉、鶏肉の肉類、魚介類だけでなく卵や乳製品、はちみつ、ゼラチンなど動物性食品をいっさい口にしない人のことを言います。
「ヴィーガニズムの概念を「人間は動物の搾取なしで生きるべきであるとする主義」と定め、「食物、売り物、労働、狩猟、実験およびその他のあらゆる用途の為の人間による動物からの搾取を終わらせる」ことを目的に「個人的な状況が許す限りこの理想に近い生活をすることに努めている人」をヴィーガンとしている」
でも、私は、ヴィーガンの人に確認したいことがあります。動物ってどこで線引きをするのか。植物の命は奪ってもいいのか。 光合成ができる動く生き物みどり虫(ユーグレナ)は動物なのか植物なのか。ヴィーガンの人たちは、ウミウシ、ホヤ、線虫やミミズ、いったいどこで線引きをしているのでしょう。粘菌はある時期は移動を続ける動く生命で、ある時期は菌糸によって繁栄する菌糸類です。動いているときは動物で食べてはいけないけれど、菌糸のときは食べていいのか。
イスラム教の人が豚肉を食べないことや、ヒンズー教の人が牛肉を食べないのは理解できます。宗教の禁忌を守る人を尊重します。でもヴィーガンの人が「動物の命を奪うことはしない」というのは納得できない。
なぜなら、近年の研究では植物もさまざまな手段でコミュニケーションを取り合う生き物であることが判明してきました。葉っぱが虫に食われている時、葉っぱから物質を出して、虫の捕食者に「今葉っぱが食べられているから、この虫を退治して」と知らせるのがわかってきたし、根っこを菌糸がとりまき、菌糸は森の地面全体に張り巡らされてコミュニケーションをとりあい、栄養の足りない若木があったら、親木から栄養を分けてもらって菌糸が若木に養分を届けるとか、助け合っている、という科学番組を見てきました。植物のコミュニケーションも実に多彩で緊密です。
ヴィーガンの方々が「人間は動物の搾取なしで生きるべき」とおっしゃるなら、もう一歩進めて、人間はあらゆる生命すなわち動物も植物も搾取なく生きるべき」と考えていただけるよう、お願いしたい。現代科学の最先端では、細胞を培養して肉もどき(培養肉)を製造する方法も開発されているのだそうです。
植物だって生き物。生命そのもの。なぜ、動物は食べずに植物は食べてもいいなんていうことが考えられるのか。草木虫魚、すべて命。目に見えない微生物も菌糸もすべてつながり合い助け合う、地球に生きる等しい命です。だから、ヴィーガンの人の「動物は食べない」という考え方を「宗教的な禁忌」と説明されない限りは納得できない気がします。ヴィーガンの人に質問した時は「絶対に宗教なんかじゃない、思想です」という回答でしたが。ヴィーガンを否定はしません、だから「動物の命をいただくとき、ありがとうと言って命に感謝しながら食べます」という「全部食べる派」をも、否定しないでいただきたい。
私の、「服は捨てない。ボロになって雑巾にするまで使い倒す。食は半額物を買う。ヴィーガンに納得できない」は、当分続きます。
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<つづく>