20230820
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩衣装を見る(1)「 in 杉野学園衣裳博物館
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杉野学園衣裳博物館は、1957に開館。日本初の衣装博物館です。杉野学園創始者杉野芳子(1892-1978)が収集した西欧衣裳、世界各地の民族衣装、杉野芳子がデザインした服を展示しています。私がここを観覧したのはいつだったか覚えていないくらい昔のこと。たぶん50年くらい前。
今回は「色をよそおうー黒いドレスを中心に」を見ました。
会期:4月10日-7月28日
日曜祝日や夏休みなど大学休学中は閉館。土曜開館日はHPで確認すべしとのこと。

1階のメインテーマ展示。
20世紀の前の西洋女性衣装として、黒い色のドレスは、ヴィクトリア女王が喪服として着た程度で、日常着やおしゃれ着として着られることはありませんでした。黒は男性衣装の色であり、男性が自分の権力や財力の反映として連れの女性の衣服をを飾り立てました。華やかな色彩の流行のドレスで社交の場に出ていく服は、男性の財力のみせどころでした。極端にウエストを細くしぼったり、コルセットでがちがちに固めたり、クリアノンというクジラの骨などでつくられたスカートをふくらませる下着をつけて、女性は男性の「飾り」として美しくかわいらしく存在していました。
黒を女性のおしゃれなドレスに仕立てたのはココ・シャネルです。もともと男性の乗馬服を自分用に仕立て直すところからデザインを始めたココは、「リトルブラックドレス」と名付けたドレスを発表しました。男の衣服の色だった黒を女性の衣服にデザインし、女性が男性と同じように能力を発揮しようとしていく欧米社会に新風をもたらしました。第1次世界大戦で従軍する男性の代わりに、社会で働くようになった女性たちは、シャネルのドレスを歓迎しました。コルセットなどを取り払い、働きやすく動きやすい服を着て、女性たちはさっそうと働きました。
1階メインテーマ室には、ココシャネルや杉野芳子がデザインした黒いドレスが展示されていました。


2階は杉野芳子がデザインした洋服。



杉野は、1926(大正15)年に洋裁学校「ドレスメーカー女学院 」を設立。昭和初期には、洋服というものを身近に見たこともない生徒が多くいたため、さまざまな洋服を自分で仕立てて教育していったと、中2階のビデオで解説されていました。型紙(ドレメ式)によって、日本社会に洋服を自分で仕立てる文化を広めていきました。女性の職業として、洋裁店で働いたり、店を経営することが女性の社会進出のひとつの方法になりました。看護婦か学校教師以外に働く女性の場が広がりました。
展示室内「撮影ご遠慮ください」のプレートがありましたが、「遠慮しない」と決めて、勝手に撮影。杉野芳子が1978年に亡くなって45年なので、まだデザインの著作権は残っていますが、この写真により、杉野のデザインを盗用して服を作ろうと思う人もいないと思うので、掲載します。問題あれば削除しますが。
3階は、杉野が収集した世界の衣服を展示。来期に民族衣装展があるため、民族衣装展示はなく、今回の展示は日本の伝統衣装十二単直衣狩衣と江戸火消装束、19世紀の西洋の衣服が展示されていました。




博物館では、著作権のほかに所有権というものがあり、「撮影ごえんりょください」の館が多いのですが、美術館博物館にも他の観覧者にも迷惑をかけることはないと判断した場合に、えんりょしません。あしからず。


私はずっと装苑派でした。文化学園の博物館はぐるっとパスで見られるので、ときどき行きましたが、ドレスメーカーの杉野学園には縁がなく、衣裳博物館も何十年も前に一度いったきり。
それでも1度いったことあるから大丈夫というつもりで歩き出したら、見事に道を間違えていて、1時間も歩くことになりました。ほんとは駅から徒歩5分です。
目黒駅アトレからの出口を間違えて、JR線路の反対側を歩いてしまったのです。私が杉野衣裳博物館に行ったのは、目黒駅にアトレなどなかったころでした。JRの線路をはさんだ反対側にでてしまったことはすぐわかったのですが、どこかに反対側に渡る陸橋などがあるだろうと、どんどん下って行ったのですが、反対側に出るところはなく、もうすぐ五反田というあたりまで来て、高速道路の下の道で反対側に出る。そこからは上りで目黒駅方面をめざす。またまた道を間違えて、スマホの地図を取り出す。最初から地図見ればいいものを、たしかこの道だと思い込みで歩き出すからこんな目に。
ジム通いなどできずに足腰弱りがちな高齢失業者にとって、歩くことはなによりの「足鍛え」と思って暑い中歩きました。柳生藩の下屋敷跡が公園になっている脇などを歩き、「ぜったいに自分から訪問しようとは思わない場所」を歩けたので、よしとします。次は「1度きたはず」なんて思わずに、最初からスマホ地図見ます。
目黒駅から杉野学園までの道はドレメ通りと名付けられていて、本館博物館体育館、2号館から5号館まで建物があります。博物館の閉館時間まぎわにやってきた青年は、杉野服飾大学の学生だったのでしょうか。ファッショにかかわる男性も増えてきたのだと思いますが、今思いつく「私でも名前を知っているファッションデザイナー」は、圧倒的に文化のほうが多い。ドレメで知っていたのは島田順子くらい。がんばれドレメ!
暑い一日の、足腰鍛錬の時間でした。熱中症にならないでよかった。
<つづく>