20240321
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(4)ギャル語訳ハルはあけぼの
春庭の過去コラムの中で、「人気記事」として閲覧回数の多い記事のひとつが「ギャル語訳枕草子」です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
2012/07/15
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>未来日本語(2)ギャル語訳『春はあけぼの』
現在私たちがつかっていることばの大半が、何年か前、何十年か前、何百年か前には、その時代の年寄り達が「とうてい受け入れらぬ」と拒絶していた「新語」なのです。
まあ、年寄りの楽しみとしては、どの語が将来の日本語として残るのか、それを見極めることくらいでしょうか。
なんでも賭け事にするロンドンブックメーカーでは、すでに「将来の日本語」のオッズなんぞが決められているのかも。「2200年、日本語の使用者は、数家族。この家族の一員に選ばれると、伝統芸能保持者として日本語朗読の家業をつがなければならない。他の日本人は全員英語を使用」という未来、オッズはいくつかしら、なんてね。
日本語そのものが残るかどうかという瀬戸際ですが、各地方言はというと、すでにレッドゾーンに来ている地方語もある。
標準語の普及によって、各地で純粋方言を話す若者はいなくなり、新たに「新方言」が生まれているという調査は、井上史雄らによって報告されています。
また、「なんちゃってホーゲン」「方言コスプレ」として、いろんな地域の方言をおもしろおかしくとりまぜながら、若者言葉にしていっている、という現象もあります。
ともあれ、各地の言語文化、方言も私たちの大切な「文化遺産」だ、という春庭の講義を受けた地方出身の学生は、にわかに方言のおもしろさにめざめ、演習発表で「方言訳古典」を披露しました。
以下、新潟弁訳の「春はあけぼの」です。(2012年6月の授業での新潟出身の学生が発表したものですが、彼自身の訳ではなく、方言変換サイトがあるのだそうです)
「春は朝げ。だんだんしーろなってくる山のてっこ、ちっと明ーるなって、紫みとーの雲が ほーそくたなびいてるがん」
では、以下、春庭の超翻訳。
21世紀ギャル語風訳の「枕草子・春はあけぼの」と、元ヤン風訳の「夏目漱石・我が輩は猫である」。
春庭訳は、あまり面白くない。春庭は、20世紀近代教養主義の中で生い育ちましたので、そうはぶっとべない。22世紀には、もっとぶっ飛んだ日本語になっているだろと思いますが、21世紀ギャル語の「春はあけぼの」の試み。
ギャル語「春はあけぼの」
春ってゆーかー、アケボノがよくなくなくね?つーかさ、なにげに白っぽくなってくみたいなー山際とかー、ちっと明るくなってぇ。でさー、紫っぽくなった雲が細くなって超たなびいてるのとかあ、ありえなくね?超ウケルー。
ルー語&スギちゃん風「夏は夜」
へい、ユー、サマーはナイトだぜぃ!ムーンナイトはオフコース。ダークナイトは、モアテンションあげあげぇ。ほ、ほ、ほたるがフライアンドフライ。ワン オア ツーが、ツイートしながら光ってるぜぃ、ワイルドだぜぃ。雨なんかふるっつうのも、ワイルドだぜぇ。
元ヤンキー風「我が輩は猫である」
ジブン、ネコッす。なまえってか、まだねーよ。どこでシャバに出たかとかシカトっす。何かこう、うすっくれぇジメーっとしたとこでニャーニャー泣いてた事だけのこってるっす。ジブン、ここでショッパナ、人間にガンつけたんっすけど、あとで聞くとそいつら、セイガクっつう人間中で超カスなヤツラだったつうか、このセイガクっつうのは、時々ジブンらをつかまえて煮て食うらしっす。オィーッス。喧嘩上等。
こうなると英語のほうがわかりやすい、というお方も出てくると思うので、参考までに。
春アケその1 In spring it is the dawn that is most beautiful. As the light creeps over the hills, their outlines are dyed a faint red and wisps of purplish cloud trail over them. (Ivan Morris)
春アケその2 In spring, at dawn, the dark mass of the mountain lightens little by little at the edge and slowly the blue mists float away. How lovely. (Nobuko Kobayashi)
猫その1 I am a cat. As yet I have no name. I've no idea where I was born. All I remember is that I was miaowing in a dampish dark place when, for the first time, I saw a human being.
ここで言っておきたいのは、猫が「我が輩」と自称するニュアンスは、「I am a cat.」という訳では永遠に出ない、ということ。日本語は日本語なので。
I am a cat.では「私は猫です」という意味しかない。まだしも「ジブン、猫っす」のほうが、猫ごときが「我が輩」を自称としている虚勢を出していると思うが如何。
最後に、1978年に出た、橋本治の「桃尻語訳枕草子」から。もはや、以下の訳そのものが古典です。
春って曙よ!
だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!
夏は夜よね。月の夜はモチロン!闇夜もねエ・・・・・・。
蛍がいっぱい飛びかってるの。あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりボーッと光ってくのも素敵。雨なんか降るのも素敵ね。
秋は夕暮れね。
夕日がさして山の端にすごーく近くなったとこにさ、鳥が寝るとこに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛び急いでくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵!日が沈みきっちゃって、風の音や虫の音なんか、もう・・・たまんないわねッ!
冬はつとめて(早朝)よ。雪が降ったのなんか、たまんないわ!
霜がすんごく白いのも。
あと、そうじゃなくっても、すっごく寒いんで火なんか急いでおこして、炭の火持って歩いてくのも、すっごく”らしい”の。
昼になってさ、あったかくダレてけばさ、火鉢の火だって白い灰ばかりになって、ダサイのッ!
平成ギャル語訳に比べれば、桃尻語訳のなんと典雅で格調高いとおもわれるのではないでしょうか。
ギャル語でも方言でもいい。日本語、生き延びてほしいです。
小生、完爾として22世紀の日本語を待ち、あまんじて其を受容するに忍びがたきをしのび、耐え難きを耐えんとす。敬具。
はは、22世紀には生きちゃいないが。
~~~~~~~~~~~~
20240321
平安時代を舞台にした大河ドラマ「光る君へ」、毎週見ています。史実離れのロマンス先行も、物語を色濃いものにするためと、楽しんでいます。
枕草紙の作者、清少納言を演じるファーストサマーウイカもなかなかのキャスティング。サマーを嘉して「夏は夜」を令和ギャル語で。
「てゆーか、夏は夜、エモいっつーの。月の夜、レベチ。闇夜のブラックもハオ好かわちぃ。ほたる、キャパい、爆イケ密で~す。いっコにコが、ぱお~とフライングも、とーとい。雨なんか降ってるの、ギャルみ深~い。知らんけど」
この令和ギャル語も、来年あたりにはたちまち古ぼける日本語の運命。知らんけど。
<つづく>