20240409
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024日本語でどづぞ(12)しのぎを削る
日本語が変化していく予想図のひとつとして「めっきがはがれる」と言う慣用句について、「めっき」の語の内容が変わっていることから、「めっきがはがれる」という慣用句が変化していくかどうか、未来日本語の変化を予想しました。私の未来日本語予想では、「めっき」という語の中身が変わっても、「めっきがはがれる」という慣用句は残るかもしれない、ということ。理由は、慣用句として定着した語は、原義が忘れられても慣用句として生き残る例があるから。
衣食住の慣用句から見てみましょう。
住の慣用句。建築用語、大工用語から成立した「羽目をはずす」「束(つか)の間」「埒(らち)があかない」をみていきましょう。
「羽目」とは「羽目板を羽重ねに張った壁」のこと。羽目のうち一枚でも外してしまえば壁としての機能がなくなります。現代では「羽目」の意味は忘れられていますが、「羽目を外す」全体で、慣用句として使用されています。
「束(つか)」とは、木材と木材を組み合わせてつないだとき、上部の横架材などを支える短い垂直材のこと。短いものの意味から短い時間も表すようになった。こちらも、束の意味は考えずに「つかのま」として慣用句として使われています。
「埒らち」とは囲いや仕切りのこと。主に馬場の周囲に設けた柵のこと。をいう。馬場の仕切りがなくなり、物事が進展していく意味が「埒が明く」。現代語では「埒が明かない=解決せず、ものごとが進展しない」の意味で使うことが多い。
「間尺に合わない(ましゃくにあわない・まじゃくにあわない)」「間尺」は、家屋や建具などの寸法。転じて、物事の計算。割合の意)割に合わない。損益がつりあわない。損になる。
・「衣料の慣用句。
「ことばをはしょる」の「はしょる」はもともとは端折る(はしおる)で、着物の褄や裾を織り上げて、帯に挟むこと。長いものの端を折って短く縮めることから、話などが長いとき省略してわかりやすくすること。
「襤褸(ぼろ)が出る」めっきがはがれると似た慣用句。いちばん上を着飾った衣服でも、中にぼろぼろな着物を着ていれば、それが見えてしまうことがあるということ。
「懐(ふところ)が寒い」。昔は、着物の前合わせの部分ふところに懐紙や財布など大切なものを入れておきました。それらが入っていない懐は薄っぺらくてすかすかしていて寒そうにみえることから、ふところにお金などがはいっていないことをいう。現代において、懐中に財布を入れておくのはごくわずかな和服愛好者だけでしょうが、「懐が寒い」は、使われています。
食・料理の慣用句。
「ごまをする」、昨今の料理好きでも、ゴマをするのに、すり鉢とすりこ木を使う家庭はそう多くない。ごまをするところを一度も見たことがなくても、「ごますり」という語は「上役などにとりいり、お世辞をつかうなどして自分の利益のために動くこと」の意味で用いられており、今後も慣用句としてのこるでしょう。
「味を占める」一度うまい味を味わうと、次も同じことを期待してしまうこと。食べ物以外の行動にも用いる。
「とどのつまり」出世魚のボラは成長してゆくに従って名称が変わり、最後に「とど」といわれるところから)いろいろやって、または、せんじつめていった最後のところ。副詞的にも用いる。結局。畢竟(ひっきょう)。多く、思わしくない結果である場合に用いる。
・「刀剣」の慣用句。
「鎬(しのぎ)を削る」。「しのぎ(鎬)」とは、刀の刃と峰(背の部分)の間で稜線を高くした所。 その鎬が削れ落ちるほど、激しく刀で斬り合うさまを「しのぎを削る」と言いました。互いの刀の鎬を削りあうような激しい斬りあいをする、転じて激しく争うことを表すことばになりました。
現代では、真剣を用いて切りあうことはありませんし、剣道では木刀や竹刀を使いますから、「鎬」が「刀の刃と峰の間の稜線を高くしたところ」などということは剣道経験者も知らないことです。刀剣女子か刀鍛冶以外には縁遠くなった「鎬」ですが、「しのぎを削る」は、原義が忘れられたまま慣用句として成立し、使用されています。「しのぎを削る」は、慣用句としてそのまま残るだろうと思います。
刀剣関連の語では「そりが合わない」。「そり」は、刀とそれを納めるべきさやの反り返りの角度が合わないことが語源ですが、今でもふたつのものがぴったりあうことなないときに使われています。
「火花を散らす(ひばなをちらす)」刀を交えて激しく切り合うとき、刀がぶつかり合って火花が散ることから)互いに激しく争う。
「元の鞘に収まる(もとのさやにおさまる)」抜いた刀を元の鞘に入れることから)仲たがいまたは離婚したものが、再びもとの関係にもどる。
「切羽詰まる(せっぱつまる)」「切羽」は、刀の鍔(つば)の両面が柄(つか)と鞘(さや)とに当たる部分に添える薄い金物のこと。切羽が詰まると刀が抜き差しならなくなるところから)物事がさし迫って、どうにもならなくなる。最後のどたん場になる。抜き差しならなくなる。
・「神仏」の慣用句
「引導をわたす」元は、葬式に際し、導師の僧が棺の前で、死者がさとりを開くよう説ききかせる意。相手に最終的な宣告をしてあきらめさせること。
「台無し」。寺の中やお大尽の床の間には立派な仏像を据え置くのですが、仏像が「蓮華座=台」に乗っていないと、価値が薄れた像に見られる。台無しとは、仏像としての威厳が損なわれるように、人が名誉面目を失うこと。すべてのものごとにおいて、全体が悪くみえてしまうこと。
「火の車(ひのくるま)」仏教で、生前悪事を犯した者を乗せて地獄に運ぶという、火の燃えている車のこと。その車に乗っているように苦しいことから)家計が非常に苦しいこと。生計のやりくりに苦しむこと」
「有卦に入る(うけにいる)」「有卦」は陰陽道で吉にあたる年まわりのこと。よい運命にめぐり合わせる。幸運をつかむ。調子にのる。
・「文学・音楽・芸事」の慣用句
「平仄が合う」。漢詩文を作る際、行末の音を合わせること。
「板につく」。舞台を板と呼ぶ演劇関係者が、上手に演じていること。
「出る幕がない(でるまくがない)」演劇で、その役者の出演する場面がないの意から)出ていって力を発揮する機会がない。
「二の舞を演じる(にのまいをえんじる)」「二の舞」は、舞楽の曲名。安摩(あま)の舞の次にそれにまねて演じる滑稽な舞のこと。人のまねをする。特に、前の人の失敗を繰り返すこと。
「呂律が回らない(ろれつがまわらない)」元は雅楽でいう「呂」の拍子と「律」の拍子が合わないこと。転じて「呂律」は、ものを言う時の調子、ことばの調子やことばがはっきりしないこと。小児や酔っぱらいなどが、舌がうまくまわらず、ことばが不明瞭になる。
・「趣味・道楽・遊び・その他」の慣用句
「おもちゃ」。元は子供が「お持ちあそぶ」もの。「おもちぁ」からおもちゃへ。現代語では手に持っていてもいなくても、子供が遊ぶものはおもちゃ。
「思う壺」サイコロを壺に入れて振り出す賭博で、思ったとおりの目がでること。
「いい目がでる」さいころ遊びで、勝ちにつながる目がでること。さいころ以外の場面でも使用する。
「一か八か」結果はわからずとも、思い切って賭けてみる。カルタ賭博からきた慣用句。
「一目置く(いちもくおく)」囲碁で、弱い方が先に一目を置いて対局を始めることから、自分よりすぐれている者に対して、敬意を表して一歩譲る。一目を置く
「色眼鏡で見る」。現代人がサングラスをかけていても、人やものを偏見を持ってみることにはならないが、慣用句としては使う。
「おじゃんになる」江戸の火消しが消火作業後に鎮火を知らせた鐘の音が「じゃんじゃん」と聞こえたことから、すべて燃え落ちたあとで、物事が不成功に終わる。駄目になること。(道具屋のオチが有名)
「折り紙付き」鑑定結果を証明する折紙が付いている意から、事物の価値や人物の力量、資格などが、保証するに足りるという定評のあること。また、武芸や技芸などで、一定の資格を得た人。悪い意味でも、「折り紙付きの不良」などと
「笠に着る(かさにきる)」権勢のある者をたのんで威張る。また、自分の側の権威を利用して他人に圧力を加える。
「片棒をかつぐ」駕籠(かご)の、先棒か後棒かのどちらか一方をかつぐということから、ある企てや仕事に加わってその一部を受け持って協力する。
「金に糸目を付けない」この糸目とは、凧あげをするとき、空中でのバランスを取るため糸に錘の金属をつけておくこと。現代語では「金銭」の意味に受け取られているが、もとは錘。
「きめ細やかな」元の意味は「木目が細かくまっすぐな木の表面」であるが、「肌理」など、皮膚や布目にも用いる。
「琴線にふれる」琴の糸がよい音でなるように、心の中の糸が感動で鳴り響くように思うこと。
「二進も三進も(にっちもさっちも)算盤(そろばん)の割り算から出た語で、計算のやりくりの意。行き詰まって身動きができないようす。どうにもこうにも方法がないこと。
以上、慣用句に使われた元の語の意味が分からない場合でも、慣用句として使われ続けることばを並べてみました。
ほかにもまだたくさんありますが、「綿のように疲れた」のでここまで。我が家に一番ふさわしい慣用句は、むろん「火の車」です。
<つづく>