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ぽかぽか春庭「田中一村展 in 東京都美術館」

2024-11-10 00:00:01 | エッセイ、コラム


20241110
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩みのりの秋(2)田中一村 奄美の光魂の絵画展 in 東京都美術館

 2021年2月24日、娘といっしょに千葉市美術館で田中一村展を見ました。

 それから3年で一村はメジャーな画家になり、ファンも広がったと思います。何度も応募を繰り返しては落選の通知を受け続け、中央画壇の動向とは無縁を貫き、ひたすら己の画風を極めようと格闘した画家一村。
 11月1日金曜日、東京都美術館はけっこう混んでいたけど、金曜日は20時までやっているから、気持ちはゆったり。

 東京都美術館の口上
 自らの芸術の探究に生涯を捧げた画家・田中一村(たなか・いっそん/1908-1977)。
 本展は、一村の神童と称された幼年期から、終焉の地である奄美大島で描かれた最晩年の作品まで、その全貌をご紹介する大回顧展です。
  世俗的な栄達とは無縁な中で、全身全霊をかけて「描くこと」に取り組んだ一村の生涯は、「不屈の情熱の軌跡」といえるものでした。
 自然を主題とする澄んだ光にあふれた絵画は、その情熱の結晶であり、静かで落ち着いた雰囲気のなかに、消えることのない、彼の魂の輝きをも宿しているかのようです。
 本展は、奄美の田中一村記念美術館の所蔵品をはじめ、代表作を網羅する決定版であり、近年発見された資料を多数含む構成により、この稀にみる画家の真髄に迫り、「生きる糧」としての芸術の深みにふれていただこうとする試みです。

 地下1階は一村がまだ米村と名乗っていた時代の若い作品など、7歳のころからの作が並んでいます。父に手ほどきを受け、神童と呼ばれていたのもうなずける達者な筆です。
 1階は、「ここから一村の号を使い始める」という分かれ目もあり、画風を確立しようと格闘している見ごたえのある作品が続きます。2階は、奄美大島へ移住後の絵を含め、島で染め物工房で働きながら画材を買うお金を貯め、孤独極貧の中で描いた魂の絵に心奪われます。
 半分は千葉市美術館で見た絵でしたが、 半分は個人蔵などの初めて見る作品でした。
   
「秋色」1930年代    「秋色」昭和10年代
       

「棕櫚」昭和10年代「柿に懸巣」昭和20年代「枯れ木にきつつき」昭和20年代 
  
 一村が描く鳥は、スズメもキツツキも、丹念に観察し細かい描写もおろそかにしない、鳥類図鑑に載せてもいいような描写だそうです。

「白い花」1947(昭和22)
 
 一村の作品の中で、唯一公募展当選の記録が残る作品。翌年も同じ川端龍子主催の青龍展に応募しました。しかし、2点応募したうち自信作のほうが落選したことに腹をたて、入選作のほうも応募取り消しを申し出ました。一村のプライドの高さがわかる逸話ですが、ために中央画壇に名を遺した絵は、「白い花」のみ。
 
「千山競秀図」昭和20年代半ば
 

「千葉寺 春」昭和20年代


「秋色虎鶫」昭和50年代


「桜下軍鶏図」昭和20年代      「流水に楓」1950年代
   

「忍冬に尾長」1950年代
  

「写生スジブダイ」                     
 

「不喰芋と蘇鐵」1973       「アダンの海辺」
  

 一村の描いた奄美。波も緑の葉も花も生き物も、南国の光に満ちていました。「アダンの海」に描かれた空には灰色の雲が伸びているのですが、それでも
海は光輝いています。

 脳溢血からのリハビリにつとめて、再び筆をとる日を目指していた一村でしたが、69歳で亡くなりました。個展の開催を願いながらついにかなわなかった一村。亡くなったあと、回顧展が、何度も開かれました。一村の家族が長く千葉寺に住んでいた縁から、千葉市美術館が作品収集につとめ、奄美大島にも一村美術館が開館しています。

 一村は生涯独身を貫き、清貧を貫きました。終生一村を励まし、働きながら島への送金を続けた5歳年上の姉喜美子が60歳で亡くなったあとは、奄美の小さな小屋で絵を描きづけました。

 身一つで南の島に渡った一村を「日本のゴーギャン」と呼ぶ人もいます。しかし、フランスに妻子を置き去りにしてタヒチに渡り、タヒチでは現地の女性との間に子をもうけて、タヒチを出るときにはその子をおきざりにして顧みなかったゴーギャンに比定するのは、私には不満です。

 喜美子と一村の姉弟愛を思うと、テオとヴィンセントのゴッホ兄弟のほうが近いように感じます。画商であったテオに比べると喜美子は絵に関しては素人でしたが「お前がよい絵を描くことが私の喜び」と一村を励まし続けました。 
 今、一村の展覧会に大勢の観覧者が集ったのを天から見て、弟の画才を信じて弟を励まし続けた、つつましかった喜美子の生涯も決して無駄になっていない、と思います。

 タカ氏が私のコンパクトカメラのシャッターを押すとたいてい斜めってしまう。斜めっているとか手振れでぼけてる、と言うと、「カメラが悪い」と不機嫌になるので、不満は封印。昔ながらのフィルムの焦点や照度を自分で決める一眼レフが「本当のカメラだ」と信じているタカ氏。スマホもパソコンも拒否して仕事を続けている昔ニンゲンで、息子がプレゼントした簡単スマホも「どこかにいっちゃった」と、なくしてしまう始末。こういう年寄りも生きていける世の中であってほしいですが、こんなアナログ人間に仕事を依頼してくださるところもあり、ありがたいことです。「11月は忙しい」というので、いっしょにモネ展に行くのは12月以後を予定。
 
 タカ氏撮影だと、私も斜める。被写体が美しく写らないのは、、、これはモデル側の問題か。
 

<つづく>
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