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ぽかぽか春庭「マツビバナナと剣と刀」

2019-12-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191205
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(12)マツビバナナと剣と刀

 春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2007/03/08 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(10)この人だあれ?マツビバナナ

 アジアからの留学生たち、自国で「アジア史」「近代史」などを学習して来日していますが、日本の人名などは、自国での発音で覚えています。
 たとえば、韓国の学生にとって、豊臣秀吉は「倭乱(ウェラン)」を起こした「プンシン・スギル」ですし、安重根が中国ハルピン駅で暗殺した韓国統監・伊藤博文は「イドゥンバクムン」です。

 まずは、日本人の歴史上の人名、読み方を日本語発音で読むことから歴史と文化の授業をはじめました。
 日本語能力試験の1級に合格し、日本語の漢字の読み方を一通り習っている学生にとっても、人名の読み方はあまりにもさまざまで、読み方がむずかしい。
 留学生は、既得の「漢字の読み方」を応用して、さまざまに人名を読もうとします。

*松尾芭蕉→マツビ・バナナ
 松尾を「マツビ」と読み間違えたのはわかるけれど、なぜ芭蕉をバショウでなくバナナと読みまちがえたのか。
 バナナは芭蕉科の植物の1種であり、バナナの和名は「実芭蕉」です。
 中国語では、日本と同じ黄色く熟して生で食べるバナナは香蕉(xiangjiao)ですが、焼いたり揚げたりして食べる料理用の青いバナナを「芭蕉」という地域もあります。
 「芭蕉を日本語に翻訳すると、バナナ」と考えた留学生が、芭蕉→バナナと読んだのです。

*紫式部→シ・シキヘ
 「部屋へや」の「部へ」だから、式部は「しきへ」だろう。

*卑弥呼→ビヤコ
 弥生時代を「やよい時代」と読むのだから、弥は「ヤ」と読むはず。

 教科書『留学生のための日本史』の「弥生時代」のページに「奴国」が中国の皇帝から受けたという金印(志賀島出土)の写真があります。金印の写真のとなりには、「奴国」や邪馬台国、卑弥呼の説明。

 卑弥呼と邪馬台国についての質問もよく出ました。
 邪馬台国についても、ずいぶんと雑学を仕入れてあります。
 今の私の興味の範囲でいうと、邪馬台国畿内説が有利かと思っています。

 素人探偵が自分なりの推理力を働かせることができる「魏志倭人伝」の記述なので、畿内説あり大和説ありですし、卑弥呼についても百家争鳴、それぞれの学者が自説を展開しています。

 卑弥呼はだれか。熊蘇の女王説あり、神功皇后説あり、ヤマトヒメ説あり、ヤマトトトヒモモソヒメ説あり、、、、 諸説とびかう中の、「今の古代史研究のなかで、まちがいないと言える範囲」を答えるようにしてきました。

 わたしの最近の「ひみこトリビア」のネタ本のひとつは、2005年発行の新書、義江明子『つくられた卑弥呼』です。フェミニズム古代史ってかんじ。
 諸説百家争鳴の中で、どの説をどう受け止めるかは、読者の考え方によるし、著者への信頼感によります。私は『つくられた卑弥呼』面白く読みました。

 種々の本を古代代史トリビアとして活用するなか、最新古事記ネタ本は、神野志隆光『漢字テキストとしての古事記』(2007年2月発行)。

 魏志倭人伝記述についての専門的な質問もあるし、「ヒミコは美人でしたか」とか、「ヒミコは呪術をつかって国を支配したと教科書に書いてありますが、呪術ってどんなものですか」などの質問まで、いろいろでます。

 回答「美人だったかどうかは、わかりませんが、人々を支配する力はたいへん強いものだったようです」
 「中国の魏志倭人伝に、邪馬台国の卑弥呼は、鬼道を事とし、よく衆を惑わすと書いてあります。鬼道というのが、どのような行為であったのか、はっきりとはわかっていません。

 道教の鬼道と共通するようなたいへん力が強い呪術であるという説もあるし、神のことばを媒介する力、という説もある。
 卑弥呼は天文についての知識をもっていて、日食の予言などが出来たのではないか、という説もあります。」

<つづく>

2007/03/09 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(11)剣と刀

 「鬼道ってどんなこと?」という質問なら、宗教学でシャーマニズムについてならったことなども援用でき、私がこれまでに知り得た範囲で答えることも可能です。
 しかし、思いもかけないこと、私のまったく不得手、門外漢なことについての質問もたくさん出ました。

 知らないことは「そのことについて、来週までに調べてみましょうね」と答えるしかなくて、翌週、調べられる範囲で留学生に回答してきました。
 おかげで10年続けるうちには、ずいぶんと「日本の歴史と文化トリビア」を仕入れました。

 自分自身に興味がなかったことも調べることになり、「日本の文化や歴史について、留学生に教えられる程度のひととおりのことは知っている」つもりだったのに、細かいことは知らないこ思い知らされ、学生以上に、私が学ぶことがたくさんありました。

 卑弥呼について書かれているページには、「銅剣・銅鉾、銅鐸」の写真がのっており、「ceremonial bornze swords spearrs、amd bells」と英語説明があります。
 銅剣も銅鉾も、両側に刃がある諸刃のかたち。

 ある年の日本事情の授業で。
 日本の剣道に興味を持っていた学生が銅剣の写真をみて、「日本の剣術と中国の剣術は違いますね。日本では、カタナとツルギとケンは、どう違うのですか」という質問がありました。しかし、質問されても即答できませんでした。

 「え、剣と刀?同じじゃないの?ちがうんだっけ?」
 いったいどのように説明したらいいのか、この方面の知識がまったくない私には即答できなかったのです。あらためて調べ、翌週回答。

 「刀」と「剣」の違いについてわかってきたことを、煩雑にならない範囲での回答として、説明しました。

 『中国と異なり、日本では諸刃(両刃もろは)の武器は発達しなかったので、広く「刀剣」の意味として「剣」を用いており、「剣道」「剣術」という場合も、片刃のカタナを用いています。

 日本刀というときは、片刃のみをさし、両側に刃がある剣は、日本の「剣道」「剣術」で使われることはなかったようです』というような説明からはじめました。

 もともとの漢字としての意味は、辞書をひけば、「剣は諸刃(両刃もろは)、刀は片刃をいい、片刃の刀のうち、おおむね2尺(60センチ)以上のものを太刀(たち)いう」というような区別は書いてあります。
 中国で剣というと諸刃をさし、中国は剣術と刀術は別の武術なのだそうです。

 しかし、日本社会で「剣道、剣術、剣士」などというとき、剣は「諸刃」を意味していません。日本の武器としての「刀剣」は、片刃のみなので、剣といっても刀といっても、片刃のみをさしています。』

 私の回答は、「刀剣史」などを研究している人からみたら、物足りない答えに見えるかも知れません。
 この質問のあと、刀剣について私が仕入れた雑学トリビアは、刀鍛冶の名匠・河内國平とビートたけしの対談記事を読んだ程度ですが、気軽な対談記事からでも、玉鋼の作り方とか、鍛錬の仕方、鉄分と炭素の割合とか、焼き入れの温度の微妙さとかわかりました。
 が、専門知識をそれ以上深めているひまもなく、付け焼き刃のまま、とにかく広く広く、留学生の疑問質問は多岐にわたりました。

 さて、「付け焼き刃」とは、刀鍛冶から生まれた慣用句です。
 そのほかにも、刀鍛冶から生まれた日本語慣用句がたくさんあります。

 師匠と弟子が刀身を鍛えているようすから。相槌を打つ、とんちんかん、反りが合わない、太刀打ちができない、地金をあらわす。
 刀の鑑定書から、折り紙つき、札付き。
 刀剣での戦いぶりから、しのぎを削る、切羽詰まる。鍔迫り合い。
 刀と鞘から、目貫き、元の鞘に収まる、恋の鞘当て、身から出た錆など。
 試し切りの刑場から土壇場。

 日本の刀についての話から、日本語についての知識を深めていくきっかけにもなり、日本事情も日本語の授業に結びついていきます。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「留学生の日本文化史発表・お札の顔」

2019-12-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191203
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(40)留学生の日本文化史発表

 春庭コラムから日本語教師日誌を再録しています。
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2007/03/10 土 
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(12)日本文化史発表

 私の日本事情の授業、「日本史の基礎的な知識」を中心とした初期のころから、大きく授業内容を変えてきました。
 2000年以降の日本事情は、「自国と日本の交流の歴史について、テーマを決めて資料を集め、自分なりにまとめて発表する」ということがメインになりました。

 学生のほうも、10年前と現在では、「わからないことを調べる」という環境が大きく変わってきています。

 『留学生の日本史』にそって、「日本の文化と歴史」のなかで、興味をもったことについて発表する「日本の文化発表」と、「日本と自国の交流史発表」の授業をはじめたころ、最初は図書館の利用方法、資料の探し方などから指導していました。

 21世紀になってから、留学生もインターネットで検索する方法を覚えたので、以前のような資料探しの苦労はなくなりましたが、「インターネットには、確実でないことも掲載されているから、すぐにまるごと信じてしまうのは危険」という指導をいれておかなければなりません。
 何年もの時間と、人の英知を集めて編集された事典類や参考文献にはない手軽さがインターネット調査にはありますが、手軽なだけに危険もついてまわります。
 歴史上の事実を書いたサイトでも、これだけの間違いがある、というのを学生に話しています。

 「日本文化」についての発表授業。
 留学生には、「日本の歴史と文化に関連したことなら、どの時代をとりあげてもいいし、人物についてでも、事項についてでも、興味を感じたことを調べてみよう」と話しておきます。

 クラスを班に別け、班ごとにテーマを決めます。留学生が選んだテーマには、「日本の食文化」「日本人の生活文化、余暇文化」「有名観光地紹介による日本地理復習」などがあります。

 「歴史にみる日本の寺院文化」をとりあげた班は、「平等院と平安朝の浄土信仰」「永平寺と禅」「金閣寺銀閣寺と室町文化」などを紹介しました。

 個人の興味のむくままに、「パチンコ盛衰からみる日本の社会と現代文化の諸相」という発表をした学生もいたし、「パラサイトシングルということばからみる日本の家族」という発表もありました。

 日本ではじめて花火を見た感激が忘れられないといって、「花火の歴史」を紹介した学生もいれば、「わたしはゲームオタクです」という学生が、「日本の娯楽と産業・日本ゲーム発達史」をとりあげた年もありました。

<つづく>

2007/03/11 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(13)お札の顔

 2001年の学生の日本文化についての発表のタイトルをみると。
 「日本の着物について」「畳の効用」「懐石料理」「銭湯の歴史」など、生活文化に興味をもったり、「能楽について」「京都の葵祭」など、自分が見てきて面白かったものの紹介をしたり。

 「空手について」など、自分が大学のサークルでやっていることの紹介、貨幣博物館での見学をもとに「日本貨幣史」、沖縄名護博物館での見学をもとに「日本の捕鯨」など、それぞれが興味をもったことについて、図鑑や博物館パンフレットの文をまとめ、クラスメートの日本語能力にあわせて、わかりやすく紹介解説する努力をしました。

 2006年の発表から。
 「日本の交通」をテーマにした班は、東京の電車や地下鉄網について、また明治期に自転車が輸入されて以来の自転車文化について発表しました。

 「日本の四季」をテーマにした班は、季節ごとの天候や自然の特徴についてまとめました。自分の国と違う点、同じ点をしらべました。
 「桜前線」「梅雨」「紅葉狩り」「雪祭り」など、日本の文化が自然の姿や季節の移動と深く結びついていることを知ることは、留学生にとっても興味深いことのようです。

 今年「食文化」を選んだ班は、例年の「おせち料理」「寿司の歴史」「漬け物」などの料理ごとのトピックではなく、「日本の食器・陶磁器の歴史」や「和食の食材」「食べ方マナー」「和食の作り方」というトピックを選びました。

 「タイのお札には国王の肖像があるのに、なぜ日本の天皇はお札に顔をださないのですか」という質問がタイの留学生から出たこともありました。タイの紙幣は表が現国王プミポン陛下の肖像、裏が歴代の王様の姿です。

 アメリカドル紙幣は、大統領ワシントンやリンカーン、国家元首がお札になっています。「なぜ、日本のお札には元首が登場しないのですか?」

 聖徳太子の肖像の古い1万円札を見せて、「この人が、教科書の46ページに名前がでている聖徳太子です。太子は天皇のかわりに政治を行った摂政でした。明治時代に神功皇后という神話時代の皇后の肖像がつかわれたこともありましたが、日本ではお札に天皇の肖像が使われたことがありません」

 明治以後の近代史を扱うときのために、五百円の岩倉具視。千円伊藤博文、夏目漱石など、古いお札も「日本事情」用に保存してあります。

 留学生活もまずはお金が必要。日本に到着して一番最初に両替で目にしたお札の肖像に興味を持つ留学生は多い。
 お札の肖像になる人物は、紙幣を発行している国家の代表的人物であるから、発表するのに資料も集めやすくてちょうどいい。 

 10年前、私の日本事情授業の初期は、教師がお札を見せて、人物紹介をしていましたが、後に、「留学生による日本文化発表」という「調査と発表」がメインになると、「お札の人物紹介」は、留学生の人気テーマになりました。

 毎年のように選ばれる人気のテーマ「お札の顔」。2006年も、お札の顔をとりあげた班がありました。
 モンゴル、マレーシア、中国の学生が千円、二千円、五千円、一万円を分担し、樋口一葉、野口英世、福沢諭吉、二千円札の裏に絵がある紫式部を調べて人物紹介を行いました。

 今ではほとんど流通していない二千円札。「紫式部日記」の中に描かれた紫式部の姿が裏面右下にあります

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本事情の教室」

2019-12-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191201
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(32)日本事情の教室

 日本国民の総意にもとづく国の象徴、126代目の天皇即位の礼がつつがなく終了。王のいない国の留学生にとっては、珍しく興味深々の代替わり行事でしたし、王がいる国の留学生は、自国の王室と比べて、同じところも違うところも面白い、と感じたことでした。

 日本語を学んでいる間、留学生は日本の文化や歴史も学習していきます。「日本の歴史」「日本の現代社会」などの科目名を採用しているところもあるし、日本に関することを全部ひっくるめて「日本事情Japan Affairs」という科目にしているところもあります。
 春庭は、私立大学の日本事情を20年担当したほか、通常の日本語科目でも、できるだけ日本の文化歴史などを伝える授業内容にしてきました。日本のことを伝えるのは、難しい面もありましたが、楽しかったです。

 春庭コラムから、日本語教師日誌を再録しています。
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2007/03/06 火 
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(8)この人だあれ?キドコーイン

 王室をもつタイの留学生からは、皇室に親近感をもちつつ日本とタイ王室のちがいに関して質問がでます。
 「日本の皇位継承権をもつ皇族で離婚した人がいますか」などの質問も。

 それというのも、現在のタイの王位継承権をもつ第一王子は離婚経験があり、離婚した王妃、愛人だった女性、再婚した別の王妃の間にそれぞれ子をなしたために、国民の間には「現在のプミポン国王に比べると、未来の国王として、、、、」という意見を持つ人もいるのだそうです。

 独身で国民福祉に奔走している王女も王位継承権を持っており、人気は高いのですが、こちらは「子をもっていない独身女性が王位を継いでも、次が、、、、」という意見もあって、タイ王室の次代もたいへんみたい。

 日本の皇族離婚については、「過去に離婚したくてもできなかった皇族がいたかどうか、日本の皇室のプライバシーは一般人にはわかりません。少なくとも、今上天皇と美智子皇后は、愛情によって結ばれ仲良く添い続けている理想的な夫婦と、国民に思われています」と説明しています。

 タイの歴代の王様は、それぞれがお札の肖像になっているから、タイの人々は、王様の姿、歴代を区別しています。
 日本では天皇皇后肖像をお札の顔にしません。実在の人物では、聖徳太子以外にお札に顔を載せた皇族はいません。古代伝説のヤマトタケル、神功皇后は、肖像といっても、想像で描かれた絵姿。しかも神功皇后の肖像は、キヨッソーネが描いた西洋美人風です。



 日本では、明治天皇昭和天皇の肖像を知っている人でも、大正天皇の肖像を出されたら、「え?この人だあれ」と思う若者もいるんじゃないかしら。

 肖像写真についての留学生の質問を紹介します。

 『留学生のための日本史』の近代史のページ、明治の岩倉使節団の写真が掲載されています。
 中央に羽織り袴姿の特命全権大使岩倉具視。4人の副使が岩倉の周りに並んでいます。岩倉具視については、旧500円札を見せて紹介してきました。

 「はい、この人が岩倉具視。教科書の114ページに、遣欧岩倉使節団の写真がありますね。明治政府の要人がアメリカとヨーロッパを2年近く視察したときの写真です。
 真ん中にすわっている人が岩倉具視です。現在は500円はコインになっていますから、みなさんがこのお札を使うことはないでしょう」

 あるとき、「真ん中の人が古い500円札の岩倉具視っていうのは、わかりましたが、あとの4人はだれですか」という質問がでました。

  副使は、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳ということまでは調べてわかっていましたが、ひとりひとりの顔について、だれがだれであるのか、区別がつきませんでした。伊藤博文など、千円札になった晩年のおひげの顔とは全然違う若い時代の顔です。

 図書館で資料をさがしましたが、写真の説明までしてある本を見つけだすのに手間取りました。
 右から順に、大久保、伊藤、岩倉、木戸、山口でした。

 使節団正使副使の写真


 いまなら、インターネット検索でクリックひとつでわかることも、10年前は図書館に通って資料をいくつもしらべなければなりませんでした。

 日本事情を教え始めた1997年当時と、10年たった現在では、留学生の教育環境が大きく変わりました。
 読み方がわからない漢字でも、一字ずつ拾って入力ができれば、コンピュータのほうが適切な読み方を教えてくれます。
 読み方がわかれば、どんどん検索して、必要な情報を手に入れられるようになったのです。

<つづく>

2007/03/07 水 
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本事情(9)この人だあれ?クガカツナン

 最近では、電子辞書に漢字を手書き入力すれば、検索機能でたちどころに読み方もわかることが多くなりました。
 が、10年前くらいまでの留学生にとって、日本語の「漢字のよみかた」は、難問のひとつでした。

 読み方がわからないと、辞書事典をひくのもたいへん。漢和辞典で、読めない漢字を画数索引を調べるには、書き順と画数を正確に知っていなければなりません。

 資料に出てきた「國」という漢字が読めない留学生。台湾の留学生なら「國」が「国」の本字であることを知っていますが、他の国の学生は初めて見る字。
 まず、先生にたずねる前に辞書をひきなさい、と言っているのですが、その辞書をひくのが、一昔まえはたいへんでした。

 「口」という字を左下からひとまわりして一画で書くような学生だと、「口」の画数は「1」になってしまい、漢和辞典で調べることもできませんでした。(最近は日本人大学生でも、口をぐるりとひとまわりの1画で書いている)

 日本の漢字、「芸」。台湾では康煕字典の通りに「藝」、中国簡体字では「草冠の下に乙」くらいはわかっていました。しかし、私も、全部の漢字字体の違いを把握していませんでしたから、非漢字圏の学生への指導は当然のこと、中国台湾からの留学生の漢字指導もたいへんでした。
 作文の前後の文脈から、中国簡体字の意味を推測することができる場合もありますが、まったく推測できないときもありました。

 日本事情の授業でも、人名の読み方、事項の解説、ひとつひとつ手探りでやっていました。

 10年近く前のある日のこと、留学生が「日本事情」の授業後に質問に来ました。
 「日本人の名前を調べているんですが、わかりません。きのう、ほかの日本語の先生にきいて、読み方を教えてもらいました。でも、人名辞典を調べたのに、出ていないんです。来週、発表しなければならないのに、どうしたらいいでしょう」と、困ったようすです。

 「人名?なんていう名前ですか」
 「日本語の先生に読んでいただいたら、リクっていう名字だったのですが、リクの項を調べても人名辞典に載っていないんです。」

 ピンと来たので、たずねました。「名字ではなく、名前のほうに、南という字がはいっていますか」
 「はい、南があります」

 「それじゃ、その人は、クガカツナン陸羯南. だと思いますよ。陸という字をくがと読むんです。明治時代のジャーナリスト、思想家です。陸をクガと読むのは、特別な読み方なので、日本人が読めなくても、仕方がないんですよ」
 陸羯南、明治思想史や文化史に興味がない人にとって、あまりなじみの名前ではないと思います。

 「くが、、、あ、ありました。人名辞典に載っていました」
 最初に学生がたずねた日本語教師の「トリビア袋」に「陸羯南.」という人名がはいっていなかったからといって責められることはないでしょう。日本語教師は百科事典として存在しているわけではありません。

 しかし、日本語学習者は、「日本のことでわからないことは、まず日本語教師に質問してきますから、できるかぎり答えてやる必要があり、答えられないと、「日本のことをよく知っている日本語教師」と思いこんでいる留学生をがっかりさせてしまうことにもなります。


<つづく>
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