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ぽかぽか春庭「ブラックバード家族が家族であるうちに」

2021-11-04 00:00:01 | エッセイ、コラム

20211104
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021秋映画(2)ブラックバード家族が家族であるうちに

 全然アンテナにひっかかっていなかった映画だったけれど、飯田橋ギンレイで「ノマドランド」の併映だったので、ついでに見ました。2019年アメリカイギリス合作映画。(デンマーク映画『サイレント・ハート』(2014)のリメイク)
 ほとんどのシーンは主人公の住む家の中。登場人物は主人公の家族と親友のみ。もともとは舞台劇だったのかなと感じる設定でした。

 日本語題名のサブタイトルがいかにも「家族の物語」っぽいので、崩壊しかけた家族が、なんかしらあって絆を取り戻す、ってなストーリーなんだろうと思って見たのですが、まあ、家族は家族として出てくるけれど、ひとことで言ってしまえば、安楽死をめぐる物語。主人公は、しだいに体が動かなくなる難病患者。今はまだ半身は動かせるけれど、最終ステージでは呼吸筋肉が動かなくなる。患者も医師である夫も、病気の進行を理解しています。

 日本ALS協会の説明
 (ALSとは)運動神経系が少しずつ老化し使いにくくなっていく病気です。運動神経系の障害の程度や進行速度は個々の患者さんでみな異なっています。知覚神経系は障害されないと言われています。ALS患者さんは、長い間、発症後3~5年で生じる呼吸筋麻痺や嚥下筋麻痺で亡くなる病気とされてきました。しかし、現在では呼吸の補助や経管栄養、胃ろうなどの発達により、長期に療養することが可能となってきています。

 デンマーク映画「サイレント・ハート2014」はともかく、2019年制作のBlackbirdが旧来のALS病状をそのまま受け継ぎ、筋肉が次第に衰えた末に呼吸もできなくなって死ぬ、という考え。夫は医師なのですから時代を現在に設定したのなら、もう少し治療法について知るべきではなかったか。それとも数十年前の時代設定だったのを、私が現代の話だと勝手に思ったのか。

 呼吸の補助や経管栄養、胃ろうなどを拒否し、自立して動けなることの恐れから死を決意する2014年のストーリーを引き継いだことに違和感を感じます。

 北海道で筋ジストロフィー患者として生き抜いた鹿野靖明。大勢のボランティアのヘルプを受けながら人生を全うした「こんな夜更けにバナナかよ」をアメリカ人にも見せたい。
 
 春庭にはとても恐ろしい、と感じられる物語でした。アメリカ的自立精神の持ち主だと、ALS患者になったらたいへん。自立して生きることのができず、他者の助けがないと生活できない人生を、主人公リリーは受け入れることができません。

 私は最後の最後まで人間として生きていたい。人工呼吸になっても胃ろう栄養点滴栄養になっても、自分の意思を表明できる間は、目で文字盤を示す方法を取っても、表現したい。動けず何もできない自分をさらけ出しながら生きたい。これは、価値観の問題だから、「動けなくなるくらいなら死にたい」と願う人を否定はしない。リリーは自立して生活できない自分を認められなかった。

 Wikiのストーリー紹介
 進行性の難病、ALSを患うリリーは自分の体が動かせるうちに安楽死を選ぶことにした。リリーは家族や親しい友人を自宅に招待し、最期の週末を一緒に楽しもうとした。ところが、長女ジェニファーと次女アンナとの間にあった積年のわだかまりが顕在化し、場の雰囲気が徐々に悪化してしまう。

・ロジャー・ミッシェル:監督
<キャスト>
・リリー:スーザン・サランドン   
・ ジェニファー:ケイト・ウィンスレット 
・アンナ:ミア・ワシコウスカ
・ポール:サム・ニール 
・マイケル:レイン・ウィルソン 
・クリス:ベックス・テイラー=クラウス
・リズ(エリザベス):リンジー・ダンカン

 ネタバレありの紹介
 リリーは(筋萎縮性側索硬化症)の患者。半身不随になった段階で、安楽死を願うようになります。夫ポールは医師であり、リリーの「管につながれたまま生きていたくない。まだ半身が動かせる今のうちに死にたい」という安楽死願望を受け入れます。
 リリーとポール夫婦が暮らす海辺の家に、長女一家(ジェニファー その夫と息子)と、次女アンナが集まります。家族とともに晩餐を過ごしたのち、家族に見守られながら睡眠薬を飲むというリリーの計画に、学生時代からの親友リズもやってくる。

 リリーの意思を尊重して残された時間を穏やかに過ごそうとする長女ジェニファー。しかし、次女アンナは、ジェニファーに対してこれまでのわだかまり、積年の不満をぶちまけて大げんかになる。母親が願うとおりに「強い意志と実行力、自立した精神」を体現して生きてきた長女。弱い自分をさらけだせず、母にも姉にもコンプレックスを抱いてきた次女。アンナの恋人クリスは同性愛者であるが、弱いアンナを見捨てることができずにいる。強くなれと言われ続けたアンナは、弱い自分を母にうち明けられず、鬱になっている。

 同じ母から生まれ育った姉妹でも、性格も生き方も異なる。


 リリーと長い付き合いのリズにも秘密があった。リズは、ポールの幼馴染で、リリーが学生時代にポールと出会う前からポールの恋人であり、結婚後もリリーの親友、ポールの愛人として「家族同様」の存在だった。家族旅行にもいつも同行。

 ポールとリズが抱き合いキスしているシーンをジェニファーが目撃し、ジェニファーは母の安楽死願望への理解を覆す。
 リリーは、「娘たちをお願いね」とリズに頼み、リズはポールと娘を引き受けてリリーが安心して天国へ行けるようにふるまう。

 最後は両脇にふたりの娘が寄り添い、リリーは眠るように安楽死。ポールは嘱託殺人罪にならないよう、海辺の散歩に出て、帰宅したら妻はひとりで薬を飲んで死んでいた、と言うことにした。

 さて、以上のあらすじで、なにが怖いかって言うと。
 強い母リリーはALSという病気についてまったく理解していない。あるいは否定的な病態観しかもっていない。
 夫ポールは医者なのに、妻が「弱い自分で生きていたくない。まだ半身動かせるうちに死にたい」という願望を受け入れている。医者なら、ALSについてもうちょっと学んだほうがいい。難病の家族を持つ医者なら、必死で少しでも病態を抑える医学を探すシーンが欲しかった。
 うがった見方をすれば、妻の親友リズが、妻の代わりになることが分かっていたから妻の願いを受け入れたのだ、と思える。いじわるな見方だとおもうけれど、妻がまだ生きているうちに、長年の愛人であり、妻もそれを承知しているリズと抱擁しキスしあう夫は、妻を見殺しにしているように見える。動けなくなり、世話が必要になる妻より、動ける愛人がいれば十分というように感じてしまう。

自立した精神を持ち、自分の力で生きていくことをなによりの価値としているアメリカ社会では、ALS患者になり、自力呼吸もできなくなったら生きる価値を自分自身に見出せないのかと思います。
 現代の医学では、ALSの治療法もiPs医療などによって進化しています。
 筋ジストロフィも2020年5月、日本初の筋ジストロフィー治療薬(ビルトラルセン、ビルテプソ)が発売されました。これはデュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)の1割弱のタイプの患者さんに効果があるそうです。

 この映画が提起しているのは、「不治の病気を持つ弱い自分を認められるかどうか」ということだろうと思います。
 リリーの家族は最終的にリリーが安楽死を望んだことを受け入れました。強い意志によって人生を貫いたリリーにとって、弱い自分を他者の前にさらけ出して生きることは耐え難いということを理解しているからです。

 強い人、強い社会、強いアメリカ、、、、強さがなにより価値の高い社会に生きていくってしんどいだろうなあ。
 弱っちくても、ダメダメでも、すべてを受け入れてくれる世であってほしいと思います。自立してなくたっていいじゃありませんか。自立できない人は周りが支えます。子どもも、年寄りも、体が不自由な人も、いっしょに生きていけますように。

海辺の景色が美しいことと、俳優が達者なことはこの映画の取り柄ですが、私には重苦しいストーリーでした。

つづく>

コメント (2)
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ぽかぽか春庭「キネマの神様」

2021-11-02 00:00:01 | エッセイ、コラム

20211017
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021秋映画(1)キネマの神様

 原田マハは好きな作家のひとり。特に美術関連物は、キュレーターとして美術館で働いていた原田のアートへの愛が感じられて好き。キネマの神様も、映画愛あふれる小説だったけれど、山田洋二が監督するなら、きっと「家族愛」とかが主になる脚本だろうなと予測して、映画は映画で別物で楽しもうと、飯田橋ギンレイに出かける。以下ネタバレありの感想です。


 山田洋二監督の脚本、現代シーンと過去シーンの行ったり来たり。
 予想通り、原作は、現代シーンの一部分人物設定のみに生かされていますが、大部分はオリジナル。山田監督が助監督をしていた時代が反映されています。

 ギャンブルで借金まみれでアル中、家族に迷惑かけっぱなしのダメおやじ(沢田研二)。どうしてもだめ夫を見放せず、ついつい借金も工面して始末してしまう妻(宮本信子)。しっかり者で大会社に勤務したことで「自慢の娘」になったのに、失業してしまった娘(寺島しのぶ)。原作では独身の娘が、映画では引きこもりの一人息子を抱えるシングルマザー。この引きこもりクン(前田おとうと)は、原作では娘の上司シングルマザーの息子で、決定的な働きをするのだが、映画版での働きはリメイクアドバイザーで、原作よりは貢献度薄い。

 山田脚本のかなめとなった過去パート。山田自身の助監督時代への郷愁や監督やスタッフへのオマージュをからめたオリジナルストーリーです。
 オリジナルストーリーなので、原作とは完全に別物の映画として見ることができ、原作支持者からのクレームは一部にとどまると見た。

 なんといっても、原作者原田マハが、映画脚本を気に入り、自らの筆でノベライズを書き、「キネマの神様ディレクターズカット版」として出版しているのです。

 過去パートと現代パートのWキャスト、沢田研二菅田将暉、宮本信子永野芽郁、小林稔侍野田洋次郎 。過去パートの花形女優北川景子、映画監督のリリーフランキー、現代パートの寺島しのぶ、前田旺志郎、志尊淳、片桐はいり。片桐はいりには、常連客じゃなくて、もぎり嬢を演じてほしかった。もぎりよ今夜もありがとう。

 志村けんが主役「ゴウ」の撮影開始前にコロナ急逝したことは残念きわまるけれど、志村の若いころが菅田将暉だと、過去のゴウがカッコよすぎに思えるから、沢田=菅田で私はOK。娘は、「ジュリーが演じていると、いくらダメぶりを演じても、どこかカッコよさがにじみ出ちゃって、本物のダメダメには見えない」と言うのだが。

 原作の、「ローズバットを名乗る匿名の英語話者と、丁々発止のやりとりを続ける映画評のネットコラムを通じて友情をはぐくむダメおやじ」のイメージは、志村けんが似あっていたと思います。

 映画現代のゴウ。映画好きで、ギャンブルとアル中の合間に出かけてる場所は、親友の「テラシン」が経営する映画館。家にいずらくなると映画館に潜り込んでいます。妻のよし子は映画館の清掃パートで働き続けていまするが、今回のようなゴウの多額の借金はしりぬぐいしきれない。

 ゴウの過去を「監督として新作に取り組む直前に挫折した男」にして、映画全盛期の撮影所のエピソードを脚本にした山田洋二のアイディアは、演者の好演があって成功しています。撮影所近くの食堂の娘よし子、撮影助手テラシン、女優の北川景子、映画監督リリーフランキー。みないい。

 飯田橋ギンレイ。ロードショー封切から1年くらいたってから名画座にまわってくるのが、通常のサイクル。2021年8月封切の『キネマの神様』が、シネコンロードショー並みに早く、2021年9月にギンレイにかかったのは、理由があります。

 映画の最後のクレジットに「飯田橋ギンレイ」とあることに、娘と夫が気づきました。モギリさんと顔なじみになっているらしい夫は、「クレジットの理由」を聞いたんですって。
1)テラシンの映画館「テアトル銀幕」の映写室にあるフィルム映画の映写機器は、ギンレイ保存のものを貸し出したのだそう。(映画会社もデジタル化の波のあと、古物映写機は処分されてしまったのだと)
2)原作の「テアトル銀幕」は、飯田橋ギンレイがモデル。
 以上2点の理由で、こんなに早い上映となったのだって。

 ギンレイがモデルであるなら、私としては。
 テアトル銀幕のアルバイト志尊淳を、かってギンレイでアルバイトしていた森田芳光にあこがれる学生であることにして、「いま、映画撮ってるんですけど、、、 」的なこと言わせてほしかった。『ライブイン茅ヶ崎』っぽい自主制作映画をちょこっと上映して、ゴウに「こんなんじゃ映画って言えねー」なんぞと批評させる。

 そのうち、原田マハのノベライズも読みたいです。

<つづく>
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