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ぽかぽか春庭「全日本版画展 in 東京都美術館」

2022-12-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
2021204
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩版画を見る(3)全日本版画展 in 東京都美術館

 公募展を見るのは「見たいと思っていた展覧会を見終わって、まだ時間に余裕があるとき」「無料」という2大条件があるときに限ります。
 11月22日、火曜日午後に東京都美術館の「源氏物語と江戸文化」を見ました。無料展示だから。地階ギャラリーB1室での展示ですから、それほど観覧に時間はかからない。なかなか面白い展示でしたが、時間に余裕があったので、公募展「全日本版画展」をひとまわり。版画展と切り絵展をみました。
 版画展の会期は。
 会期:2022年11月18日(金)〜24日(木) 


 全国的な版画の団体も、日本版画会と日本版画協会があるみたいで、私にはどっちがどっちなのかわからぬが、11月22日に開催されていたのは、「版画会」のほう。

 日本画であれ洋画であれ公募展は広い展示会場を何室もつかって開催され、ほんとうにたくさんの人々が絵や版画、きり絵などの制作に励み、1年かけて制作し、おそらく年に1度の公募展に応募する。入選すると親戚友人にお知らせして、「見にいってね」と声をかける。そんな「お友達」がけっこう会場を回っていました。
 私も、舅の油絵が公募展に入選して東京都美術館に展示されたときは、娘息子を引き連れて観覧にでかけました。「見ました」と言わなきゃならんからね。

 すごい数が並んでいるので、ざざっと見てしまう。入選者にだれも知り合いがいない私は、文部科学大臣賞とか、賞を得た札が下がっているのを中心に駆け足で回る。

 上野公園にわんさかといた修学旅行生が、「東京に来たからには東京都美術館」「無料だから見て行こう」というグループが出口にたまっていました。何かなとのぞくと、出口で、観覧者に好きな版画の絵ハガキを1枚プレゼントするのだって。中学生くらいの子たちがわいわいと気に入った絵はがきを選んでいました。

 私は版画の目利きでもないし、どれが好きと聞かれても、膨大な展示の中、よしあしもわからぬ素人だから、文部科学大臣賞を受賞したという絵にしました。
 きれいな桜の版画なので、よかったよかった。

 公募展を見るたびに思う。これだけ大勢の人がこれだけたくさんの作品を作り出し、応募する、、、、平和だなあ。
 むろん、食うや食わずでも、描かずにいられない版画をつくらずにいられない人もいる。死んでもいいと思って絵筆をとる人だっていることでしょう。けれど、展示会場を埋め尽くす作品の群れを見ていくと、、、、。平和だなあ、と感じます。悪いことじゃない、よい時代で、よい社会なのです。

 なぜ私は、この豊かな時代に斜めに向かい、ひがみ続けるのか。この日、通勤定期とシルバーパスを使って交通費ゼロ。西洋美術館常設展と東京都美術館の無料観覧展示を見て、観覧タダ。いつも美術展で買う観覧記念の絵ハガキも、版画会がタダでくれた。
 上野公園の銀杏が黄金色に輝くのも、当然タダで見た。

 心豊かにすごした一日です。
 なぜ「なんだか、もの寂しい」のだろうか。晩秋の夕暮れだからか。タダですごすしか楽しむすべがない年寄りのひがみを抱えつつ、夕暮れ時の上野公園をあとにしました。

 三夕の歌なんぞ。 
・さびしさはその色としもなかりけり槙まき立つ山の秋の夕暮(寂蓮法師)
・心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ(西行法師)
・見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ(藤原定家)  

 三夕かあ。寂蓮さんは、後鳥羽院から明石に領地もらって出家後も優雅に暮らしたし、定家だって貧乏公家というわけじゃない。実朝を指導した折なんぞ、けっこうな束脩料を得ているはず。
 そか。私の寂しさは、年金じゃ食っていけない高齢者のわびしさでした。チャンチャン。

・金色に銀杏散り敷く上野山 野宿者も夕陽に照るてるバエてる(春庭)
・炊き出しの列に居並ぶ人の群れ大丈夫だいじょうぶとぞ呟きつつ行く(春庭)

 なにが大丈夫なんだか。
 ホームレスになっても、炊き出しカレンダーを持って、都内の無料食堂をわたりあるく人もいるそうなので。
 無料展覧会情報と図書館と炊き出し情報があるぞ。なんとか100歳まではがんばろう。
・孤独死も無宿暮らしもだいじょうぶ、心なき身のあはれは知ってる(春庭)
・あハ葉はは笑えばチル散る夕陽の丘に老婆も銀杏のヒト葉として散る(春庭)

 上野公園から上野御徒町駅まで歩く。上野公園からJRに乗るのはぜいたくナリ。切符代かかる。
 シルバーパス使える都営線に乗るために、アメ横通ったら、乾物屋のにいちゃんに「ほら、もってけドロボー」と、ピーナツやら柿の種の袋を6つ重ねられて、1000円払う。たぶん、100円ショップで買えば6袋600円の品。いいんだ。これでちょっとは贅沢した気分で帰るのさ。夕ご飯食べようかと思った分、たいまい千円をつかっちまったので、食べずに帰ることにした。で、おなかすいてきたから、帰りの地下鉄の中でバターピーナツを半分食べ、帰宅してから殻付き落花生」を食べる。「千葉県産」と書いてあるけれど、ぜったいこりゃ中国産だろ」と思いつつ。

・落葉樹の落ち葉ひらひら眺めつつ落花生食む落日の古希。(古希+3の春庭)
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「版画で見る演劇 in 西洋美術館」

2022-12-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20221203
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩版画を見る(2)版画で見る演劇 in 西洋美術館

 西洋美術館は、テーマによって所蔵作品を「常設展」の中の「企画展」として展示してくれます。前回観覧した企画テーマは「ル・コルビジェの抽象画」でした。常設展の中で見ることができるってことは、65歳以上の人はいつでも無料で見られるってこと。無料大好き。

 2022年10月から2023年1月までは、「版画で見る演劇」が常設展示室企画展テーマです。

 ドラクロア
 死にゆくオフェーリア1843
 

 ドラクロアは、この版画をもとにして、10年後、油絵「オフェーリア」を完成させました。左右が逆転していますが、モチーフは同じ。
 白黒であるほうが、いっそう悲劇が迫る気がしてしまう。
 
 

 シェークスピアが執筆した戯曲『ハムレット』の中で、オフェーリアの死は、女王の口から伝えられます。だから、オフェーリアの死の場面は、画家の想像力によるものです。
 しかし、ドラクロアの版画を見た人は、演劇では女王の口から伝えられるのみのオフェーリアの姿をありありと思い浮かべたに違いありません。
 
 演劇や映画の映像は、動きのあることが強いイメージを喚起するものですが、動いたあと消えてしまうことが弱点です。その点、版画におこされて広く敷衍した場面は、静止しているがゆえに、より一層の強い印象を残すものとなります。
 演劇を見た人には長く心に残るものとなり、見なかったひとには、「ぜひこの演劇を見たい」と、憧憬かきたてるものとなったことでしょう。
 演劇が大衆の間に浸透し、強い影響力を持ったのも、版画によって人々が演劇の力を内面化することができたからではないでしょうか。

 西洋美術館の口上
 18世紀後半から19世紀前半にかけて勃興したロマン主義運動は、文学・音楽・美術など分野を超えて展開し、なかでもフランス・ロマン主義においては外国文学を着想源とした情感豊かな作品が生み出されました。特に古典演劇の規範から外れた自由な構成で、運命や自然に抗い苦悩する人間の姿と心理を描いたシェイクスピアとゲーテの戯曲は様々な芸術家たちに影響を与え、美術においては画家ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863 年)とテオドール・シャセリオー(1819-56 年)に霊感をもたらしました。

 本企画では、当館所蔵作品より、ドラクロワ最初の文学主題版画とされる《魔女たちの言葉を聞くマクベス》をはじめ、ロマン主義版画における金字塔ともいうべき連作の数々―ドラクロワの〈ファウスト〉と〈ハムレット〉、そしてシャセリオーの〈オセロ〉―を展覧します。同時代の舞台表象の影響をうかがわせる一方で、いずれも場面にみなぎる感情の描出において独創性を有するこれらの作品は、まさに二人の画家の綿密な精読と豊かな想像の結実ともいうべきものです。
 ドラクロワとシャセリオーによって命を吹き込まれた登場人物たち、そして鮮烈に描き出されたドラマの数々をご堪能ください。

 ドラクロア「ゲーテの『ファウスト』より」
 空を飛ぶメフィスト


 シャセリオ―「オセロとデズデモーナ 


 中に1点シャガールによる版画がありました。


 シェークスピアの戯曲では舞台で演じられることはなかった「歌を歌いながら川を流れ、溺死するオフィーリアの姿が、画家たちにインスピレーションを与えて絵画に描かれ、私たちが思い浮かべるオフィーリアといえば「川面に漂うオフィーリア」になっていること。
 社会に浸透したイメージが、画家が描き出した画像によっていることを、これほどはっきり意識したことはなかったのです。

 演劇が広く近代社会文化全体に強い影響を与えてきたことは、河竹登志夫や渡辺保に習ったことですし、演劇を見る観客としては50年以上、たった半年であったけれど、プロの役者としてお金を得ていた時期もあったことを思い出すと、そこそこ演劇とかかわりあってきた人生でした。それなのに、「川の中のオフィーリアが、ハムレットの母王妃の口から語られているだけ」という事実は日頃少しも頭に思い浮かばず、オフィーリアを思うと必ず「川流れ」の姿になっているってこと、今回よくよく思い知りました。

 ドラクロアもシャセリオ―も、演劇を2次元化して敷衍することによって、「社会文化」を活性化したのだと言えましょう。

 「65歳以上無料」で見せていただいた西洋美術館企画室。ありがたいことでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ヴァロットン展 in 三菱一号館美術館」

2022-12-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
2021201
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩版画を見る(1)ヴァロットン展 in 三菱一号館美術館

 ヴァロットン、全然知りませんでした。ヴァロットンの作品を多数所蔵している三菱一号館は、10年前にもヴァロットン展を開催したそうなのに、私は展覧会チラシをどこかで見かけても「版画、、、地味!」と思って展覧会には出かけなかったものとみえます。
 今回見る気になったのは、せっかく年間パスを買ったので、期間中の展覧会は全部見ないと「元とれない」という、いつもの精神から。

 

 三菱一号館の口上
 ヴァロットンについて
 スイスに生まれ、19世紀末のパリで活躍したナビ派の画家フェリックス・ヴァロットン(1865‐1925)は、黒一色の革新的な木版画で名声を得ました。 三菱一号館美術館は、世界有数のヴァロットン版画コレクションを誇ります。 希少性の高い連作〈アンティミテ〉〈楽器〉〈万国博覧会〉〈これが戦争だ!〉等の揃いのほか、彼が生涯に制作した版画の大部分を網羅する貴重な作品群です。 本展では約180点からなるコレクションを一挙初公開します。 
 ロートレックについて
 当館と2009年より姉妹館提携を行うトゥールーズ=ロートレック美術館(フランス、アルビ)は、2022年に開館100周年を迎えます。 同時代に活躍し、ともに“パリの傍観者”であったヴァロットンとロートレック。 彼らは、歓楽街や裏の社交界など、社会の周縁で生きる女性たちに視線を向けました。 本展ではロートレック美術館の協力のもと、一部展示室にて特別展示を行います。 当館およびロートレック美術館の所蔵作品により、ヴァロットンとロートレックを比較する新たな試みとなります。 

 展示の構成は。
第1章 「外国人のナビ」ヴァロットンー木版画制作のはじまり 
第2章 パリの観察者
第3章 ナビ派と同時代パリの芸術活動 
第4章 アンティミテ : 親密さと裏側の世界
第5章 空想と現実のはざま  

 展示の中にはヴァロットンの油絵も1点ありましたが、ほぼすべてし「黒と白」の版画です。しかし、思いのほか楽しめる展示でした。同時代のロートレックも比較展示されており、版画の豊かな表現力に感嘆しました。
 
 公園、夕暮れ


 中の一室だけ「撮影自由」でした。
 ヴァロットンが「異邦人」の眼で観察したパリの町と人々。やや皮肉な目も感じられる生き生きとした人々へのまなざし。
 埋葬や自殺など、これまでの絵画では扱われなかった題材「埋葬」「身投げ死体の引き揚げ」などにも目を向けていたヴァロットンの表現の幅に目を見張りました。

 埋葬1891


 (逮捕される)アナーキスト 1892


 パリに出てきた当初のヴァロットンは、無政府主義や社会主義に近い立場をとっていたのだそうです。

 喧嘩あるいはカフェの一場面(1892)


 埋葬虫(死出虫)1892

 埋葬した土の中から出てくるという「死出虫」。まだ埋めてもいない、これから葬送車に押し込もうという場面にこのタイトルをつけたのはなぜだろう。生前から死臭を放つような人の埋葬だったのか。

 難局1893

 狭い階段を通り抜けて棺桶を下ろそうと難儀している人々。死んだ後まで難しい人生の人だったか。

 暗殺1893
 ベッドの上に振り上げられたナイフ。暗殺者をつかむ腕は男性のように見えますが、いったいだれがだれを暗殺したのでしょうか。
 ヴァロットンは「死」をテーマにさまざまな場面を描きだしました。世紀末の喧騒としたパリで、祖国から華やかなパリに出てきたヴァロットン。父の事業の失敗原因あるによって仕送りもなくなったヴァロットンは極貧のなかで、必死に「売れる題材」「人々が飛びつきそうなテーマ」を探し、生活を維持していきました。
とおり4日38かは稲村
 処刑1994

 1907年にヴァロットンが執筆し、死後に出版された半自伝的な『La Vie meurtrière(殺意の人生)』 も、そのタイトルからしてヴァロットンが「死」というテーマにとりつかれていたことがうかがえます。
 
 祖国を讃える 歌(愛国主義者たちによる)1893

 さまざまな表情をしながら歌う「熱狂的愛国主義」。熱狂する人々のこわさも見えてくる多彩な表情です。

 突撃1893

 自殺1894
 婦人帽子屋1894

 ボンマルシェ(百貨店)


 突風1894


 かわいい天使たち1894


 以上の版画や「息づく街パリ」シリーズ(1893)を見ていると、世紀末のパリのさまざまな街のようすがありありと浮かびます。

 息づく街パリの口絵1994


 切符売り場

 学生たちのデモ行進


 (警察に追われる)街頭デモ

 事故

 にわか雨

 歌う人々 

 豚箱送り



 カラー印刷の表紙。雑誌『ル・リール』1895,1896

 
 

 雑誌や新聞の挿絵として、その日その時の人々の様相を描き出し、「パリの今」を伝えたヴァロットン。斬新大胆な構図は当時のヨーロッパに、色遣いや構図において衝撃を与えていた浮世絵の影響もあったとされています。

 一番目に焼き付いた作品は
 
 白い猫をなでる白い肢体。ベッドカバーの白黒柄との対比が心地よく、「黒と白」という展示テーマに沿ったいちばん心地よい白黒でした。

 20世紀に入ると木版画の仕事は減り、戯曲や小説の執筆を行っています。 
 1925年、60歳の誕生日の翌日、パリでガンの手術後に死亡。
 
 「年間パス」の「元とる」ために観覧したヴァロットンでしたが、思いがけずよいひとときとなりました。

<つづく>
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