KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

今も昭和に暮す・・高齢者施設の日々

2022年06月10日 | 俳句
天気 曇夕方一時雨

午後は雨になるかも、との予報だったので午前中、眼科へ。以前は月に1回の通院だったが、緑内障の進行も遅々としてきたので(トシをとった、ということです)通院頻度も少なくなった。行く道に花の咲く家があるので楽しみ。薔薇がまだ間に合った。


紫陽花は、美容院の前にピンクの花がみごとに咲く。まだ咲き始め。近いので咲き揃ったら見に行ってもよい。


最近、テレビをあまり見なくなった。
CSの受信契約はしていないので、プロ野球の試合も滅多に見られないし。若者ではないが、YouTubeをよく見るようになった。パソコンではなくスマホで。パソコンデスクが北側の窓にくっつけて置いてあり手足が冷えるので、夜はパソコンをあまり開かない。スマホならベッドの上でも手軽に見られる。
最近の20代以下の若者(子供たちはとくに)はテレビって必要?と思うようになっているらしい。殆ど見ないという人も。そう聞くと、高齢者のITにまったく疎い人たちには「テレビも新聞も見ないで、世の中のことはどうやって知るの」と信じられないと思うが・・私にはどちらも解る。スマホ一つあれば、何でも見られる。

90歳以上が入所者の半数近い、という施設に居ると、まるで昭和でしかない。私も昭和を引きずって生きていて、平成という年号に馴染めずに令和を迎えてしまった感がある。でも、そんなものじゃあないのですよ、未だにスマホを使う人が5人に1人居るか居ないか。持っていても、電話しか使わないというのが当たり前。日々の会話に「スマホ」ということばが禁句みたいに話題に出てくることがなくて、最新の情報源はテレビ。
私は朝食前に配膳を待ちながら、隠してこっそりとスマホで新聞を見ていた。が、紙の新聞を持ってきて読んでいる人がいるのだからいいでしょ、と、最近は堂々とテーブルの上で見ることにしいている。同じテーブルの3人、「何を読んでるの」なんて訊く人は誰も居ない。テーブルの左の二人は耳が遠いし、向かい合う前の人は私が口を開かなければ自分から話題提供しない人、と解ったので、もう話は必要最低限。4月からは、ストレスなしの日々が続いている。
ほんと、昭和ですよ。「新聞をやめたら、テレビ番組が解らなくなってしまった」と言う人が居るので教えてあげると、へえ~スマホにそういうのが載るのね、と感心していた。ガラケーのメールも打てない人なので、デジタル新聞とってる、なんて説明出来ない。

小鉢料理によく、カニカマを使ったサラダとか和え物が出てくる。本物は一度も出たことがない。「蟹がよく出るけど、缶詰でしょうね」と以前、食事が一緒だった人。「缶詰もお高いから、カニカマですよ」と私。
「カニカマ、って何?」「蟹風味に作ったカマボコです」「蟹をカマボコに入れるの?贅沢ねえ」耳の遠い90歳には、これ以上の説明は体力がもたない。
生新玉ねぎのマリネの小鉢が出た。「珍しい味付けねえ」と言うので「マリネにしてあるのね、美味しいわ」と言うと「マリネ、って何?」
私も横文字には弱いけれど、うっかり私の常識で話しても、通じなくてややこしいことになる。耳の遠い人との会話に余計なことは話せない。疲れる。
通販で〇〇を買った、と話すと「電話で?私、通販とかの電話が苦手で」「私も電話が苦手だから、パソコンとかスマホで」と答えると、あとは黙っている。パソコンやスマホが使えていいわね、と言われたことは一度もない。無論、私もひけらかすように聞こえるとマズイだろうから、細心の注意はしているけれど。スマホは別として、パソコンを使っている女性は居ないかもしれない。男性は何人か光回線をひいているらしいが。

他にも色々、入所前には考えなかった想像を越える昭和を、毎日暮らしています。外部と繋がっていなかったら、何だか頭が変になりそう。

子燕のふるさとはこの街の駅   KUMI
コメント (6)
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