新木地区は、我孫子市役所の東約6kmのところ
国道356号線の北側に葺不合神社があります
神社付近の国道沿いには駐車場が無いので注意してください
神社北側の農道脇に
車を置かせていただきました
葺不合神社一の鳥居です
鳥居を潜ると参道は一段下ります、その参道の右側に大銀杏があります(南側の大銀杏)
南側と北側の二本の大銀杏です(北側の大銀杏)
参道にまでギンナンが落ちていました
南側の一本を北側から
目通り幹周り5,4mの巨木です
北側の一本を西側から
こちらも目通り幹周り5mの巨木です
説明版です
葺不合神社(ふきあえずじんじゃ)
葺不合神社は国道356号線(旧成田街道・旧水戸道中)の北側の起伏に富んだ
場所に設けられています。神社境内には湧水を集めた弁天池があり、江戸期には弁
天堂に市杵島比売命(弁財天)が祀られ「沖田の弁天さま」として賑わったと伝え
られます。現在の拝殿は江戸期の弁天堂で、明和2(1765)年の棟札が見つか
っています。明治には厳島神社と改名しました。明治39(1906)年以降進め
られた合祀政策によって、東北約300m(新木近隣センター付近)にあった葺不
合神社と二の鳥居がこの地に移され、元の葺不合神社を本殿、厳島神社の本殿を拝
殿として「葺不合神社」と改称し現在に至っています。
拝殿は方3間の入母屋造で、正面1間の向背を設けています。明治時代に背面に
格子扉を設けて神社としていますが、長押より上に施された獏や唐獅子などの装飾
彫刻は江戸時代中期の仏堂の特徴を示しています。なお内陣正面には天女を描いた
華やかな彩色画が伝えられています(盤面の彩色は剥落が顕著でいたが、残ってい
た塗料をもとに復元されたものです)。
本殿は、明治30(1897)年に建築されたもので、一間社流造の小振りな社
殿ながら全体に豊かな装飾彫刻が施されます。胴羽目彫刻は八岐大蛇、天岩戸など
神話を題材としますが、脇障子には明治時代の軍人も認められます。この彫刻は江
戸以来の彫刻大工の系譜を受け継ぐ二代目後藤藤太郎(竜ケ崎住、文久元年~昭和
6年)の手によるものです。藤太郎は利根川流域で彫刻大工として活躍し、我孫子
市内では長福寺大師堂(下新木)、正泉寺本堂(湖北台)、延命寺虚空蔵堂(布佐
)で彫刻を手掛けています。
葺不合神社は下新木地区の氏子・住民により大切に維持管理されて今日に伝えら
れてきました。本殿、拝殿、二の鳥居は平成24年3月に我孫子市指定文化財とな
っています。
我孫子市教育委員会
拝殿改修記念碑です
手水舎です
二の鳥居です
拝殿です、本殿はもう一段上に成ります
本殿です
右面です
裏面です
本殿後には大きな石碑が有ります
拝殿西側には、境内社が並びます
白山神社の前には「御神体」が
樫の木の古木がありました
では、次へ行きましょう