ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新しい車が来ました!!

2016-12-17 14:29:44 | Weblog
今まで乗っていた車が、11年で26万キロを超え

車検も近いことで、新車を注文していましたが

ようやく納車となりました

三菱 アウトランダー24Gタイプです

前の車と同じですが、安全装備が充実した代わりに

便利装備が無くなってしまいましたね~

三菱自動車も燃費不正問題で、生産中止していたのが

生産再開のニュースを聞いて、直ぐに注文しましたが

納車まで一月半も掛かりました

減ってしまった、便利装備を補わなければなりませんね

では、又~
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千葉県我孫子市、葺不合(ふきあえず)神社の大イチョウ二本です!!

2016-12-17 08:24:39 | 巨樹・大木
新木地区は、我孫子市役所の東約6kmのところ

国道356号線の北側に葺不合神社があります

神社付近の国道沿いには駐車場が無いので注意してください

神社北側の農道脇に車を置かせていただきました

葺不合神社一の鳥居です




鳥居を潜ると参道は一段下ります、その参道の右側に大銀杏があります(南側の大銀杏)



南側と北側の二本の大銀杏です(北側の大銀杏)参道にまでギンナンが落ちていました



南側の一本を北側から目通り幹周り5,4mの巨木です



北側の一本を西側からこちらも目通り幹周り5mの巨木です

説明版です
   葺不合神社(ふきあえずじんじゃ)
     葺不合神社は国道356号線(旧成田街道・旧水戸道中)の北側の起伏に富んだ
    場所に設けられています。神社境内には湧水を集めた弁天池があり、江戸期には弁
    天堂に市杵島比売命(弁財天)が祀られ「沖田の弁天さま」として賑わったと伝え
    られます。現在の拝殿は江戸期の弁天堂で、明和2(1765)年の棟札が見つか
    っています。明治には厳島神社と改名しました。明治39(1906)年以降進め
    られた合祀政策によって、東北約300m(新木近隣センター付近)にあった葺不
    合神社と二の鳥居がこの地に移され、元の葺不合神社を本殿、厳島神社の本殿を拝
    殿として「葺不合神社」と改称し現在に至っています。
     拝殿は方3間の入母屋造で、正面1間の向背を設けています。明治時代に背面に
    格子扉を設けて神社としていますが、長押より上に施された獏や唐獅子などの装飾 
    彫刻は江戸時代中期の仏堂の特徴を示しています。なお内陣正面には天女を描いた
    華やかな彩色画が伝えられています(盤面の彩色は剥落が顕著でいたが、残ってい
    た塗料をもとに復元されたものです)。
     本殿は、明治30(1897)年に建築されたもので、一間社流造の小振りな社
    殿ながら全体に豊かな装飾彫刻が施されます。胴羽目彫刻は八岐大蛇、天岩戸など
    神話を題材としますが、脇障子には明治時代の軍人も認められます。この彫刻は江
    戸以来の彫刻大工の系譜を受け継ぐ二代目後藤藤太郎(竜ケ崎住、文久元年~昭和
    6年)の手によるものです。藤太郎は利根川流域で彫刻大工として活躍し、我孫子
    市内では長福寺大師堂(下新木)、正泉寺本堂(湖北台)、延命寺虚空蔵堂(布佐
    )で彫刻を手掛けています。
     葺不合神社は下新木地区の氏子・住民により大切に維持管理されて今日に伝えら
    れてきました。本殿、拝殿、二の鳥居は平成24年3月に我孫子市指定文化財とな
    っています。
                             我孫子市教育委員会

拝殿改修記念碑です   

手水舎です

二の鳥居です

拝殿です、本殿はもう一段上に成ります

本殿です

右面です

裏面です

本殿後には大きな石碑が有ります


拝殿西側には、境内社が並びます

白山神社の前には「御神体」が



樫の木の古木がありました

では、次へ行きましょう
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