下吉田地区は富士吉田市の中心地です
天神社は富士吉田市役所のすぐ北側に鎮座します
境内入口前の参道脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
鳥居右手に目的の御神木の大杉が在ります
鳥居の左手には注連縄を巻かれた少し若い杉が在ります
手水舎です
拝殿です
本殿は覆い屋の中です
無形民俗文化財の説明版です
天神社の獅子舞神楽と馬鹿踊り
富士吉田市指定無形民俗文化財
昭和54年11月30日指定
天神社は、天神地祇(主神・大山祗神・素戔嗚尊・岩長姫命)
を祀り、往古からこの地の守護神で昔連歌天神とも呼ばれた。
永禄の末この社の前で郡内領主小山田信茂が連歌の会を催した
ことに由来する。また天満天神の合祀は、元和2年、天神社再
建の頃と考えられる。(江戸時代、下浅間大明神と共に大祭の
費用は村賄であった。)この社には古くから連綿と伝わる獅子
舞神楽がある。
この社の祭りは年3回行なわれ、旧6月15日の天王祭にこ
の獅子舞神楽が神前へ奉納され、神輿の先導をしての道筋と祈
願所の辻々を潔め、町内から全ての悪霊を追い払った。この獅
子に従い奇異な面をつけ、各々おどけた仕草の馬鹿踊りは、獅
子舞とは起源が別で古い時代の踊りである。この踊りが、どう
して、何人によって獅子舞に取入れられたかはわからない。し
かし、獅子舞の本質を失わず、この異質の踊りを見事に消化し
て独自の獅子舞を作り上げた豊かな発想の人々こそ芸能の天才
であろう。
この神楽の由来は、伊勢神楽の本流で、伊勢御師の手代によ
って「御神楽辻引之事」という秘伝の巻物と共に伝えられたと
思われる。この神楽の神髄は、獅子が神主、山伏等に代わって
「湯立」の神事を行ったが、惜しいことに今は伝わっていない。
長い間、町の人々を守ってきた獅子舞神楽こそ貴い先祖の文化
遺産である。
昭和55年11月15日 富士吉田市教育委員会
境内社の軍刀利神社です
軍刀利神社前から大杉を見ました
衹神社です
秋葉神社です
大杉を東側道路から見上げました、目通り幹囲5,2mの巨木です
では、次へ行きましょう
天神社は富士吉田市役所のすぐ北側に鎮座します
境内入口前の参道脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
鳥居右手に目的の御神木の大杉が在ります
鳥居の左手には注連縄を巻かれた少し若い杉が在ります
手水舎です
拝殿です
本殿は覆い屋の中です
無形民俗文化財の説明版です
天神社の獅子舞神楽と馬鹿踊り
富士吉田市指定無形民俗文化財
昭和54年11月30日指定
天神社は、天神地祇(主神・大山祗神・素戔嗚尊・岩長姫命)
を祀り、往古からこの地の守護神で昔連歌天神とも呼ばれた。
永禄の末この社の前で郡内領主小山田信茂が連歌の会を催した
ことに由来する。また天満天神の合祀は、元和2年、天神社再
建の頃と考えられる。(江戸時代、下浅間大明神と共に大祭の
費用は村賄であった。)この社には古くから連綿と伝わる獅子
舞神楽がある。
この社の祭りは年3回行なわれ、旧6月15日の天王祭にこ
の獅子舞神楽が神前へ奉納され、神輿の先導をしての道筋と祈
願所の辻々を潔め、町内から全ての悪霊を追い払った。この獅
子に従い奇異な面をつけ、各々おどけた仕草の馬鹿踊りは、獅
子舞とは起源が別で古い時代の踊りである。この踊りが、どう
して、何人によって獅子舞に取入れられたかはわからない。し
かし、獅子舞の本質を失わず、この異質の踊りを見事に消化し
て独自の獅子舞を作り上げた豊かな発想の人々こそ芸能の天才
であろう。
この神楽の由来は、伊勢神楽の本流で、伊勢御師の手代によ
って「御神楽辻引之事」という秘伝の巻物と共に伝えられたと
思われる。この神楽の神髄は、獅子が神主、山伏等に代わって
「湯立」の神事を行ったが、惜しいことに今は伝わっていない。
長い間、町の人々を守ってきた獅子舞神楽こそ貴い先祖の文化
遺産である。
昭和55年11月15日 富士吉田市教育委員会
境内社の軍刀利神社です
軍刀利神社前から大杉を見ました
衹神社です
秋葉神社です
大杉を東側道路から見上げました、目通り幹囲5,2mの巨木です
では、次へ行きましょう