小幡地区は、行方市役所の北約9kmのところ
県道2号線・県道50号線・県道184号線と北へ進んで
県道183号線の手前で案内板があります
斜めに入って行くと観音寺参道入り口です
参道入り口に車を止めさせて頂きました
案内板(北側から)です、観音寺と行方市指定文化財の仁王門や大シイの案内が出ています
参道です
茨城百景の石碑です
かつては幹回り12mの巨大な松の木が在ったようです
市指定文化財の仁王門です
説明版です
行方市指定有形文化財(建造物)
観音寺 仁王門
所在地 行方市小幡1217-3
指定年月日 昭和52年12月4日
如意輪山普門院観音寺は、満海上人により大同3年(808)に
創建され、文応元年(1260)鎌倉期の律宗の高僧である忍性に
より中興されたと伝えられている。地頭、小幡大炊助平相正が堂宇
を建立し、本尊は阿弥陀如来である。正平6年(1351)東範僧
正が中興し、天台宗に改宗、現在に至る。
仁王門は室町時代の末から桃山時代にかけて、中央の建築文化が
侵透する前に、早くから関東地方に伝わった建築様式で建てられた
、地方色そのものが残されている貴重な建造物である。
忍性・・・筑波山麓の三村山清涼院極楽寺に入り、常陸国に律宗を
広めた。日本最初の癩病舎北山十八間戸を建立したこと
で知られる。
平成23年3月 行方市教育委員会
石塔が倒れてしまっています、東日本大震災から間も無く8年になろうとしているのに
観音堂です
宝蔵でしょうか
県指定有形文化財(彫刻)の金銅如意輪観音が収められているようです
説明石碑です
茨城県文化財指定 如意輪観音菩薩について
大同元年(806)桓武天皇の皇孫高棟王子が常陸の国へ宮郭を
移された折り、大同3年九州大宰府観世音寺より満海上人に托して
この地に奉祀する。
小幡旧記(根本家の古文書)によると、元、堂山に観音堂があり
と記され、観音寺中央の租忍性上人が現在地に移したと伝えられる
。
満海上人の足跡は鹿島より行方、筑波北条より東北に巡錫し最後
は現在の仙台市準胝観音堂、瑞宝殿に墓地がある。
満海上人と正宗公は同じ墓所にあり、満海上人の生まれ変わりが
伊達正宗公とも言われている。
観音堂の裏側には石碑が並びます
観音寺本堂へは更に北側の参道を進みます
駐車場の北側にスダジイの大木が見えますが目的のスダジイではありません
鐘楼です
本堂です
本堂前右側に目的のスダジイが在ります
南西側から
説明版です
行方市指定有形文化財(絵画)(天然記念物)
山越阿弥陀図・大椎
所在地 行方市小幡1038
(山越阿弥陀図)指定年月日 昭和52年12月4日
中央に中尊阿弥陀如来、中尊に体をやや斜めに向けて観音菩薩
、勢至菩薩の三幅の図である。
恵心僧都源信が叡山の山中で阿弥陀図三尊の来迎を感得し、そ
の像容を絵に移したと伝えられる。
小幡観音寺の寺宝として本堂内に保存されている。
室町時代の紙本着色で絵画作品である。
(大椎)指定年月日 昭和48年3月1日
幹囲 6,43m
樹高 約18,0m
樹齢 約500年
枝張り 約18,0m
北浦地区では一番の大樹で、古木である。
平成23年3月 行方市教育委員会
本堂前(北西側)から
北側から見上げました
では、小幡城跡を見て行きましょう
県道2号線・県道50号線・県道184号線と北へ進んで
県道183号線の手前で案内板があります
斜めに入って行くと観音寺参道入り口です
参道入り口に車を止めさせて頂きました
案内板(北側から)です、観音寺と行方市指定文化財の仁王門や大シイの案内が出ています
参道です
茨城百景の石碑です
かつては幹回り12mの巨大な松の木が在ったようです
市指定文化財の仁王門です
説明版です
行方市指定有形文化財(建造物)
観音寺 仁王門
所在地 行方市小幡1217-3
指定年月日 昭和52年12月4日
如意輪山普門院観音寺は、満海上人により大同3年(808)に
創建され、文応元年(1260)鎌倉期の律宗の高僧である忍性に
より中興されたと伝えられている。地頭、小幡大炊助平相正が堂宇
を建立し、本尊は阿弥陀如来である。正平6年(1351)東範僧
正が中興し、天台宗に改宗、現在に至る。
仁王門は室町時代の末から桃山時代にかけて、中央の建築文化が
侵透する前に、早くから関東地方に伝わった建築様式で建てられた
、地方色そのものが残されている貴重な建造物である。
忍性・・・筑波山麓の三村山清涼院極楽寺に入り、常陸国に律宗を
広めた。日本最初の癩病舎北山十八間戸を建立したこと
で知られる。
平成23年3月 行方市教育委員会
石塔が倒れてしまっています、東日本大震災から間も無く8年になろうとしているのに
観音堂です
宝蔵でしょうか
県指定有形文化財(彫刻)の金銅如意輪観音が収められているようです
説明石碑です
茨城県文化財指定 如意輪観音菩薩について
大同元年(806)桓武天皇の皇孫高棟王子が常陸の国へ宮郭を
移された折り、大同3年九州大宰府観世音寺より満海上人に托して
この地に奉祀する。
小幡旧記(根本家の古文書)によると、元、堂山に観音堂があり
と記され、観音寺中央の租忍性上人が現在地に移したと伝えられる
。
満海上人の足跡は鹿島より行方、筑波北条より東北に巡錫し最後
は現在の仙台市準胝観音堂、瑞宝殿に墓地がある。
満海上人と正宗公は同じ墓所にあり、満海上人の生まれ変わりが
伊達正宗公とも言われている。
観音堂の裏側には石碑が並びます
観音寺本堂へは更に北側の参道を進みます
駐車場の北側にスダジイの大木が見えますが目的のスダジイではありません
鐘楼です
本堂です
本堂前右側に目的のスダジイが在ります
南西側から
説明版です
行方市指定有形文化財(絵画)(天然記念物)
山越阿弥陀図・大椎
所在地 行方市小幡1038
(山越阿弥陀図)指定年月日 昭和52年12月4日
中央に中尊阿弥陀如来、中尊に体をやや斜めに向けて観音菩薩
、勢至菩薩の三幅の図である。
恵心僧都源信が叡山の山中で阿弥陀図三尊の来迎を感得し、そ
の像容を絵に移したと伝えられる。
小幡観音寺の寺宝として本堂内に保存されている。
室町時代の紙本着色で絵画作品である。
(大椎)指定年月日 昭和48年3月1日
幹囲 6,43m
樹高 約18,0m
樹齢 約500年
枝張り 約18,0m
北浦地区では一番の大樹で、古木である。
平成23年3月 行方市教育委員会
本堂前(北西側)から
北側から見上げました
では、小幡城跡を見て行きましょう