内宿地区は、行方市役所の北北東約12kmのところ
国道354号線沿いの北側に木崎城跡が有ります
国道が峠を越えるようになった所に案内板が出ています
案内板に従い北へ入ると香取神社が鎮座します
鳥居前に車を止めさせて頂きました
木崎城跡入り口です
坂道を上がると二重土塁の空堀を超えます
広い平場は二の丸のようです
香取神社です
鳥居の香取神社境内は本丸跡でしょうか
鳥居前西側の堀跡です
東側ははっきりしませんが
土塁が残ります
説明版です
行方市指定有形文化財(史跡)
木崎城跡
所在地 行方市内宿1010-1外
指定年月日 昭和61年7月28日
甲斐の武田氏の一族、武田信久の子孫八代武田民部大輔通信が
天文2年(1533)築城と伝えられる。
遺構は土塁、空堀、水壕、木崎明神がある。
東西北が深田に囲まれ水壕の役割を果たしている。その中央を
武田川が北浦に向って流れている。
南は高台より舌状に張り出した高台(標高12~13m)で、
自然を利用した要害地となっている。連郭式の平丘城である。築
城完成とともに城内に守護神として香取神社を建立した。
〔香取神社〕
文明10年(1478)大掾平国香内宿城の守護神として鎮斎
天文3年(1534)武田通信再建(正一位香取大明神)
祭神 経津主命
平成23年3月 行方市教育委員会
参道東側にも低い土塁が残ります
手水舎です
拝殿です
本殿です
境内社です
本殿北東側には空堀が搦手口になっていたようです
香取神社周辺は内宿緑地環境保全地域に指定されています
城跡の岡裾西側には、外堀跡が残ります、水堀だったようです
東側には本丸と二の丸の間の堀が竪堀状になった部分が道路になっているようです
東側道路は堀跡でしょうか
北側には堀状の窪みが道路脇に続いています
北側から城跡全体を見ました、田圃に浮かぶ島のようです
では、次へ行きましょう
国道354号線沿いの北側に木崎城跡が有ります
国道が峠を越えるようになった所に案内板が出ています
案内板に従い北へ入ると香取神社が鎮座します
鳥居前に車を止めさせて頂きました
木崎城跡入り口です
坂道を上がると二重土塁の空堀を超えます
広い平場は二の丸のようです
香取神社です
鳥居の香取神社境内は本丸跡でしょうか
鳥居前西側の堀跡です
東側ははっきりしませんが
土塁が残ります
説明版です
行方市指定有形文化財(史跡)
木崎城跡
所在地 行方市内宿1010-1外
指定年月日 昭和61年7月28日
甲斐の武田氏の一族、武田信久の子孫八代武田民部大輔通信が
天文2年(1533)築城と伝えられる。
遺構は土塁、空堀、水壕、木崎明神がある。
東西北が深田に囲まれ水壕の役割を果たしている。その中央を
武田川が北浦に向って流れている。
南は高台より舌状に張り出した高台(標高12~13m)で、
自然を利用した要害地となっている。連郭式の平丘城である。築
城完成とともに城内に守護神として香取神社を建立した。
〔香取神社〕
文明10年(1478)大掾平国香内宿城の守護神として鎮斎
天文3年(1534)武田通信再建(正一位香取大明神)
祭神 経津主命
平成23年3月 行方市教育委員会
参道東側にも低い土塁が残ります
手水舎です
拝殿です
本殿です
境内社です
本殿北東側には空堀が搦手口になっていたようです
香取神社周辺は内宿緑地環境保全地域に指定されています
城跡の岡裾西側には、外堀跡が残ります、水堀だったようです
東側には本丸と二の丸の間の堀が竪堀状になった部分が道路になっているようです
東側道路は堀跡でしょうか
北側には堀状の窪みが道路脇に続いています
北側から城跡全体を見ました、田圃に浮かぶ島のようです
では、次へ行きましょう