瀬崎地区は、草加市役所の南約2kmのところ
県道49号線(国道4号線の旧道)を南へ
東武スカイツリーラインやつか駅入口を過ぎてすぐ左(東側)に
浅間神社が西向きに鎮座します
社殿の東側、少し離れて富士塚が有ります
浅間神社の東側に富士塚が有ります、まずは鳥居が見えて来ます
説明版です
市指定文化財
瀬崎の富士行及び富士塚
平成26年1月24日指定
草加市瀬崎3丁目3番24号
富士山を信仰する人々で組織された富士講は、各地で独自な
展開を見せて来ましたが、草加地域では旧瀬崎村で「冨士行」
と呼ぶ一連の行為を伝え、今なお受け継がれています。
「冨士行」は、富士山頂で神霊に祈警を捧げることのほか、
地元では元日と7月1日(富士山の山開きの日)は浅間神社の
拝殿で、その他の月は社務所で「オツタエ」と呼ぶ冨士の神霊
を称える唱言が節を付けて唱えられます。
富士講の隆盛は、富士登山者の増加をもたらしましたが、当
時の富士山は女人禁制で、しかも往復に相当の日数を要したた
め、容易に登れる山ではありませんでした。そこで、誰もが身
軽に登山できるように築かれた富士山を、富士塚と呼んでいま
す。
瀬崎の冨士塚は大正5年(1916)8月に竣工し、地元は
もとより、近隣の富士講の講員が今なお巡拝に訪れています。
各地の富士講・富士塚が廃れていく中、往時に近い形で今に
伝わる瀬崎の「冨士行」・「富士塚」は全国的に見ても貴重な
存在であり、大切な文化遺産となっています。
*富士塚の規模・・高さ約4m、
横幅10,4m、奥行8,6m
平成26年6月 草加市教育委員会
規模の大きな富士塚です
数多くの石碑が有ります、”瀧”の文字を中心に丸く”北口””登山”の文字と人名が刻まれています
南側には女坂と
御胎内があります
男坂は北側です
南東側道路から見ました
では、次へ行きましょう
県道49号線(国道4号線の旧道)を南へ
東武スカイツリーラインやつか駅入口を過ぎてすぐ左(東側)に
浅間神社が西向きに鎮座します
社殿の東側、少し離れて富士塚が有ります
浅間神社の東側に富士塚が有ります、まずは鳥居が見えて来ます
説明版です
市指定文化財
瀬崎の富士行及び富士塚
平成26年1月24日指定
草加市瀬崎3丁目3番24号
富士山を信仰する人々で組織された富士講は、各地で独自な
展開を見せて来ましたが、草加地域では旧瀬崎村で「冨士行」
と呼ぶ一連の行為を伝え、今なお受け継がれています。
「冨士行」は、富士山頂で神霊に祈警を捧げることのほか、
地元では元日と7月1日(富士山の山開きの日)は浅間神社の
拝殿で、その他の月は社務所で「オツタエ」と呼ぶ冨士の神霊
を称える唱言が節を付けて唱えられます。
富士講の隆盛は、富士登山者の増加をもたらしましたが、当
時の富士山は女人禁制で、しかも往復に相当の日数を要したた
め、容易に登れる山ではありませんでした。そこで、誰もが身
軽に登山できるように築かれた富士山を、富士塚と呼んでいま
す。
瀬崎の冨士塚は大正5年(1916)8月に竣工し、地元は
もとより、近隣の富士講の講員が今なお巡拝に訪れています。
各地の富士講・富士塚が廃れていく中、往時に近い形で今に
伝わる瀬崎の「冨士行」・「富士塚」は全国的に見ても貴重な
存在であり、大切な文化遺産となっています。
*富士塚の規模・・高さ約4m、
横幅10,4m、奥行8,6m
平成26年6月 草加市教育委員会
規模の大きな富士塚です
数多くの石碑が有ります、”瀧”の文字を中心に丸く”北口””登山”の文字と人名が刻まれています
南側には女坂と
御胎内があります
男坂は北側です
南東側道路から見ました
では、次へ行きましょう