富田地区は、舟形町役場の南西約4kmのところ
県道31号舟形大蔵線を西へ、長者原で県道36号新庄次年子村山線を南へ
小国川を渡って富田集落に入ります、集落の南端に案内板が有ります

猿羽楯入り口案内板です
東に入ると住宅の先に説明版が有ります
説明版の手前が猿羽根楯跡への入り口です
少し戻って県道そばに

車を止めさせていただきました

説明版です
猿羽根楯跡
延文5年(1360年)に、八幡太郎義家将軍の末孫、源次郎義元の二男、源次郎義高という人が奥州よりこの地に来て、小国川と最上川の合流する轟という所に楯を築いた。
その後、貞治元年(1362年)に沢口山のこの地に、轟より楯を移した。
この土地の名前をとって、猿羽根播磨守源次郎義高と称し、以後、猿羽根家の居城となり、天正17年(1589年)までの227年間、七代にわたり、670貫(6700石)を領していた。
九代目義舜公の時、山形城主最上義光nい従わず攻められ、城主は天正17年6月17日東根市長瀞において切腹した、これによって猿羽根家は断絶sい、以後は山形の配下となった。
猿羽根村(文政7年(1824年)富田村と改称)は、街路が碁盤の目のように区画されており、城下集落として開けた村である。楯跡は、平成7年町史跡指定された。又本丸に楯御手植えと伝えられている町指定の親杉がある。
平成10年11月
町立富長小学校
*舟形町立富永小学校は平成12年度で閉校となり、平成3年築の校舎は富永交流センターとして利用されています

ここが入り口です

進むと

三角点登山道説明図が有ります

、簡単な案内図ですので詳しい案内図がほしいところです

沢沿いを進みます



沢は右へ登って行きます、エンレイソウがあちこちで群落を作って満開です

ぬかるんだ登城路をさらに進みます

楯の土塁の下を左へ左へ上へ上へ進みます

切り岸です

ジグザグに上ります

大きな樹冠が見えて来ました親杉です


親杉の脇に上ってきました

本丸の位置にあたります



親杉です

石製の天然記念物標柱です

こちらは木製です



見事な太い幹を見上げました

楯跡の説明版です
町指定文化財 史跡 猿羽根楯
この楯は、源義家九代の孫義元の次男源次郎義高は、延文5年(1360)小国川の合流点近くの轟に築城した。
貞治元年(1362)現在の猿羽根楯に居城を移した。以来天正17年八代義舜が山形最上氏より滅亡される迄二百余年この地を治めた。猿羽根家断絶後は山形の下城となる。
楯の総面積十町余、西にのびる尾根を空堀によって三つに区切り、中央を本丸とし櫓台を築いている。これより西に二ノ丸、東に三ノ丸を設けている。本丸の北に親杉とよばれる老杉、南にサイカチの古木がある。
南側の搦手は急峻になっており、北側大手は緩斜面で曲輪(平坦地)が大小合せて80近くもあり、今日まで破壊されることなくもとの姿を留めている。
又楯北方の富田村は、段丘上に立派な城下町を形成している。
昭和50年親杉は町天然記念物に、平成7年猿羽根楯が町史跡として夫々指定された。 撰文 溝口仁
舟形町教育委員会



南東側から



東側から、目通り幹囲6.8mの巨木です

祠です

二ノ丸との間の空堀には二重土塁が観察できます

三ノ丸との空堀には三重土塁です

南側は深い谷になっています

、サイカチの古木は見つかりませんでした

東側の三ノ丸跡へ行きましょう、ここで足を滑らせて泥だらけに成ってしまいました

送電線の鉄塔が建っています

猿羽根山城跡の石柱が建っています

南東側の切り岸です
では、次へ行きましょう

*登城路はぬかるみが多いので、長靴がおすすめです