南部地区は、南部町役場の北北西約7kmのところ
国道52号線を北へ、塩沢信号を右(東)へ入ってすぐ左(北)へ県道803号線を道なりに下ります
南部警察署の脇を通って身延道は北へ向きを変えます
南部郵便局を過ぎた先の十字路を左(西)へ登って行くと
妙浄寺が東向きに有ります
手前の妙浄寺参拝者用駐車場を利用させていただきました
参道を登って来ました
山門です
説明版です
やまなしの歴史文化公園「南部氏の里」
延寿山妙浄寺(日蓮宗久遠寺末)
妙浄寺は、大日山妙楽寺と称し、元は真言宗であったが、日蓮上人が身延へ入山する際、即ち文永11年(1274)5月16日この寺に一泊し、住持大輪法印は日蓮に帰依して改宗し、日寿と改名したと云う。このため甲州弘教の最初の霊場として古来、身延山法主入山の時は、立ち寄るを例とした。
この寺は、南部氏がこの地を領していた時代の菩提寺であり寺紋に「向鶴の紋」を使用している。
境内に「花釣瓶の井」という小さな井戸がある。いい伝えによると、日蓮はこの井戸水で身を清め、師匠道善上人の命日だったので読経をしていたところへ、村人で瘧(オコリ)を患っている者が草花を持って来て、加持をしていただきたいという。日蓮はその花を井戸の釣瓶に挿して祈ったところ病は忽ち直ったので、花釣瓶の井といわれるようになった。
本堂の南西のイチョウは、町指定の文化財で、根元から東西二幹に分かれている。総根回りは8.4mで、東幹は目通り幹囲5.4m、西幹は目通り幹囲3.5mであり、落雷による痛手は受けているが、樹勢は旺盛である。
本堂の裏手には、八幡屋敷といわれるところがある、ここには昔八幡社があり、南部家二代実光公により承久2年(1220)奥州三戸に御神体を移し、現在は八戸市の櫛引八幡社となっているといわれる。
昭和62年3月31日
南部町
南部町教育委員会
手水です
鐘楼です
本堂です
本堂の南側から目的のイチョウを見ました
南側から、根元で分かれた二本の幹が良く解かりますね
天然記念物標柱です
西側から
南側墓地から
では、次へ行きましょう
国道52号線を北へ、塩沢信号を右(東)へ入ってすぐ左(北)へ県道803号線を道なりに下ります
南部警察署の脇を通って身延道は北へ向きを変えます
南部郵便局を過ぎた先の十字路を左(西)へ登って行くと
妙浄寺が東向きに有ります
手前の妙浄寺参拝者用駐車場を利用させていただきました
参道を登って来ました
山門です
説明版です
やまなしの歴史文化公園「南部氏の里」
延寿山妙浄寺(日蓮宗久遠寺末)
妙浄寺は、大日山妙楽寺と称し、元は真言宗であったが、日蓮上人が身延へ入山する際、即ち文永11年(1274)5月16日この寺に一泊し、住持大輪法印は日蓮に帰依して改宗し、日寿と改名したと云う。このため甲州弘教の最初の霊場として古来、身延山法主入山の時は、立ち寄るを例とした。
この寺は、南部氏がこの地を領していた時代の菩提寺であり寺紋に「向鶴の紋」を使用している。
境内に「花釣瓶の井」という小さな井戸がある。いい伝えによると、日蓮はこの井戸水で身を清め、師匠道善上人の命日だったので読経をしていたところへ、村人で瘧(オコリ)を患っている者が草花を持って来て、加持をしていただきたいという。日蓮はその花を井戸の釣瓶に挿して祈ったところ病は忽ち直ったので、花釣瓶の井といわれるようになった。
本堂の南西のイチョウは、町指定の文化財で、根元から東西二幹に分かれている。総根回りは8.4mで、東幹は目通り幹囲5.4m、西幹は目通り幹囲3.5mであり、落雷による痛手は受けているが、樹勢は旺盛である。
本堂の裏手には、八幡屋敷といわれるところがある、ここには昔八幡社があり、南部家二代実光公により承久2年(1220)奥州三戸に御神体を移し、現在は八戸市の櫛引八幡社となっているといわれる。
昭和62年3月31日
南部町
南部町教育委員会
手水です
鐘楼です
本堂です
本堂の南側から目的のイチョウを見ました
南側から、根元で分かれた二本の幹が良く解かりますね
天然記念物標柱です
西側から
南側墓地から
では、次へ行きましょう