ここからは2023年11月15日取材分です
宮町は、福島市役所の南西約1kmのところ
福島市役所の東側国道115号線を南西へ進みます
約500mの仲町信号を右(西)へ、約500mで信号を左(南)へ、県庁通りです
約300mで西向き参道の鳥居が見えますが、先には駐車場がないので、手前の有料駐車場に車を止めました
西参道の大鳥居です
県社 稲荷神社の社號標です
説明版です
福島稲荷神社
1,祭神 豊受比売命
1,配神 大国主命・事代主命
1,例祭日 10月9日
1,由緒 人皇66代一条天皇の永延元年(987年)従5位下安倍朝臣晴明公詔を奉じて、奥州下向の折、此の地に一祠を建て福島の里の総鎮守とした。
1,御神徳 衣食住、諸産業の守護神であり、商売繁盛・家内安全・厄除開運・無病息災・延命長寿のご利益がある。
1,境内末社 古峯神社・聖徳太子社・足尾社
南側に廻るとこちらにも大きな鳥居です
こちらにも大きな社號標です
手水舎です
神楽殿です
神楽殿の説明版です
太子堂(聖徳太子社)です、昭和15年に福島市・信夫郡・伊達郡・安達郡下の建築業関係者の結集によって計画され、昭和37年6月21日完成しました。
聖徳太子は古代史上、寺院建築に残されている功績をたたえられてから建築関係の職人からの尊崇が厚く、地方にも「いし講」となって伝承されているようであります。
このお堂にも、一市三郡の技術をもつ人びとの信仰心がみごとにあらわされているものです。
絵馬掛けのカシノキです
拝殿です
本殿です
説明版です
稲荷神社社殿
福島稲荷神社は、江戸時代はには福島藩の鎮守とされ代々の藩主に崇敬されて来ました。
たとえば、福島10万石の藩主堀田正仲は元禄2年(1689)に本殿を、同5年には拝殿を造営していますことは、今に棟札が残されていて明らかです。
また、福島3万石の藩主板倉勝里は元文5年(1740)に造営遷座した記録があります。
現在の社殿は、大江博士の設計によって昭和14年に竣工をみたものです。
拝殿・幣殿・本殿の総建坪58坪余、市中とは思えぬ鬱蒼たる樹林に銅葺きの色が映える澄明な社殿です。
拝殿は5間に3間ですが、中央にはゆったりと他の柱間の倍近くとり、ガラス戸にも古風な蔀の感覚を生かしています。
拝殿の屋根は破風を配した美しい流れをみせ、本殿には千木・鰹木をいただいていますし、神苑を限る玉垣の連子格子も社殿の平明さと調和しています。
拝殿西側の玉垣フェンスに二レの説明版です
福島市指定天然記念物
福島稲荷神社の二レ
二レは、ケヤキと並んで材質がすぐれ、昔から神社、仏閣の建築や仏像の彫刻等にも使用だれて重要なもので、かつては当地方にもケヤキ等と共に二レの大木も数多く生育していたと思われるが、現在はほとんどその大木をみることができません。
本樹は、福島稲荷神社の神域にあって、よく保護されたため自然状態がたもたれて、枝張りおよび樹高は東北地方まれにみるものとなり得たものです。
大きさは根回り4m、目通り2.75m、樹高21mで、樹勢も良く、とくに自然木としての樹姿も十分に整っているので、学術研究の資料および福島市の自然を記念するものにふさわしいとして、天然記念物に指定しました。
昭和38年12月13日 福島市教育委員会
本殿西側に二レの幹が見えます
手前のモミの陰になってしまいます
西側の有料駐車場から見ました
境内北側の玉垣の間から見ました
拝殿前に戻ります
拝殿前の山上憶良の歌碑です
拝殿東側には境内社が集められています
西入口の説明版にあった境内末社の古峯神社です
古峯神社説明版です
足尾神社です
足尾神社説明版です
こちらの祠はお名前が分かりません
こちらは狐の置物が並んでいるので稲荷社のようですね
力石です
福島稲荷神社に伝わる力石
力石hあ、江戸時代から明治時代にかけて日本全国の村や町で力試しに用いられた。
若者たちが体を鍛えたり、集団で力を競い合ったり、神社の祭りの出し物として力試しが盛んに行われた。
また「石占い」といい、力石を用いて吉凶や願い事の成就する力をいただけると伝えられている。
重量は約63kg
では、次へ行きましょう
宮町は、福島市役所の南西約1kmのところ
福島市役所の東側国道115号線を南西へ進みます
約500mの仲町信号を右(西)へ、約500mで信号を左(南)へ、県庁通りです
約300mで西向き参道の鳥居が見えますが、先には駐車場がないので、手前の有料駐車場に車を止めました
西参道の大鳥居です
県社 稲荷神社の社號標です
説明版です
福島稲荷神社
1,祭神 豊受比売命
1,配神 大国主命・事代主命
1,例祭日 10月9日
1,由緒 人皇66代一条天皇の永延元年(987年)従5位下安倍朝臣晴明公詔を奉じて、奥州下向の折、此の地に一祠を建て福島の里の総鎮守とした。
1,御神徳 衣食住、諸産業の守護神であり、商売繁盛・家内安全・厄除開運・無病息災・延命長寿のご利益がある。
1,境内末社 古峯神社・聖徳太子社・足尾社
南側に廻るとこちらにも大きな鳥居です
こちらにも大きな社號標です
手水舎です
神楽殿です
神楽殿の説明版です
太子堂(聖徳太子社)です、昭和15年に福島市・信夫郡・伊達郡・安達郡下の建築業関係者の結集によって計画され、昭和37年6月21日完成しました。
聖徳太子は古代史上、寺院建築に残されている功績をたたえられてから建築関係の職人からの尊崇が厚く、地方にも「いし講」となって伝承されているようであります。
このお堂にも、一市三郡の技術をもつ人びとの信仰心がみごとにあらわされているものです。
絵馬掛けのカシノキです
拝殿です
本殿です
説明版です
稲荷神社社殿
福島稲荷神社は、江戸時代はには福島藩の鎮守とされ代々の藩主に崇敬されて来ました。
たとえば、福島10万石の藩主堀田正仲は元禄2年(1689)に本殿を、同5年には拝殿を造営していますことは、今に棟札が残されていて明らかです。
また、福島3万石の藩主板倉勝里は元文5年(1740)に造営遷座した記録があります。
現在の社殿は、大江博士の設計によって昭和14年に竣工をみたものです。
拝殿・幣殿・本殿の総建坪58坪余、市中とは思えぬ鬱蒼たる樹林に銅葺きの色が映える澄明な社殿です。
拝殿は5間に3間ですが、中央にはゆったりと他の柱間の倍近くとり、ガラス戸にも古風な蔀の感覚を生かしています。
拝殿の屋根は破風を配した美しい流れをみせ、本殿には千木・鰹木をいただいていますし、神苑を限る玉垣の連子格子も社殿の平明さと調和しています。
拝殿西側の玉垣フェンスに二レの説明版です
福島市指定天然記念物
福島稲荷神社の二レ
二レは、ケヤキと並んで材質がすぐれ、昔から神社、仏閣の建築や仏像の彫刻等にも使用だれて重要なもので、かつては当地方にもケヤキ等と共に二レの大木も数多く生育していたと思われるが、現在はほとんどその大木をみることができません。
本樹は、福島稲荷神社の神域にあって、よく保護されたため自然状態がたもたれて、枝張りおよび樹高は東北地方まれにみるものとなり得たものです。
大きさは根回り4m、目通り2.75m、樹高21mで、樹勢も良く、とくに自然木としての樹姿も十分に整っているので、学術研究の資料および福島市の自然を記念するものにふさわしいとして、天然記念物に指定しました。
昭和38年12月13日 福島市教育委員会
本殿西側に二レの幹が見えます
手前のモミの陰になってしまいます
西側の有料駐車場から見ました
境内北側の玉垣の間から見ました
拝殿前に戻ります
拝殿前の山上憶良の歌碑です
拝殿東側には境内社が集められています
西入口の説明版にあった境内末社の古峯神社です
古峯神社説明版です
足尾神社です
足尾神社説明版です
こちらの祠はお名前が分かりません
こちらは狐の置物が並んでいるので稲荷社のようですね
力石です
福島稲荷神社に伝わる力石
力石hあ、江戸時代から明治時代にかけて日本全国の村や町で力試しに用いられた。
若者たちが体を鍛えたり、集団で力を競い合ったり、神社の祭りの出し物として力試しが盛んに行われた。
また「石占い」といい、力石を用いて吉凶や願い事の成就する力をいただけると伝えられている。
重量は約63kg
では、次へ行きましょう