ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

千葉県我孫子市、柴崎「東源寺の榧ノ木」(県指定)です!!

2023-12-25 06:42:21 | 巨樹・大木
 柴崎地区は、我孫子市役所の北北東約2kmのところ

 我孫子市役所西側の「我孫子市若松」信号を北へ進みます、県道8号線です

 約1.1kmでJR常磐線の高架が見えて来た「泉」信号を右(東)へ泉・天王台通りです

 約600mで歩車分離信号を斜め左(北)へ、間も無くJR常磐線の高架を潜ります

 約300m坂道を上がって、「曹洞禅宗 東源寺」の案内板を左(西)へ入ると

 間も無く東源寺駐車場が道路左手下に有りますので利用させて頂きました

 北側の道路を西へ進むと山門が北東向きに有ります(北東側の路地から撮影しました)

 参道を入ると、左手に縁起石碑です
  曹洞宗 東源寺
   御本山 福井県  大本山永平寺 高祖道元禅師
       神奈川県 大本山総持寺 大祖瑩山禅師
   本尊様 薬師如来
   山号  青龍山醫王院
 寺伝によると、天文9年(1540)小田原城主北条氏康公によって開かれた寺です。
 公は、この寺を青龍山醫王院東源寺と定め公自身の御護りであった薬師如来を御本尊としました。
  伝存する墨跡刻銘等
    文化2丑年(1805) 現本堂再建
    嘉永2酉年(1849) 木造彩色大権修理菩薩台座に復元の墨書
    嘉永 3年(1850) 鏧子に刻字
 *鏧子(けいす)とは、響銅製で鉢の形をしており、下に座布団を敷き、細い金属製の棒、または木製の細棒で縁を打って音を出す。鏧、小鏧(しようきん)、鋺(金椀)(かなまり)、鈴(りん)などともいう。
    文久 元年(1861) 太古に墨書
    慶応 元年(1865) 旧太子堂再建(現大師堂は平成元年建立)
    慶応 3年(1867) 大師堂鰐口刻銘
    明治20年(1887) 施餓鬼壇(施食壇)新添墨書
    明治24年(1891) 本堂大修繕廣破風屋根付玄関
    大正 3年(1914) 本堂屋根萱葺替大修繕
    昭和28年(1953) 本堂屋根本瓦葺大修繕
    昭和51年(1976) 本堂基礎大改修

 直角に曲がると六地蔵様です

 南東向きの本堂前に目的のカヤです

 南東側の正面から見上げました

 「光音禅師手栽之榧」の石碑です

 説明版です
  千葉県指定天然記念物
    東源寺の榧(まがや)ノ木
      所在地 我孫子市柴崎170
      指定年月日 昭和10年8月23日
    根回り  6.3m
    目通り  4.5m
    樹高  24.0m
    樹齢  約250年
 榧はイチイ科の常緑喬木で、材質は固く、碁盤等に使われます。古くは丸木舟・仏像等にも利用されました。
 本樹は相馬八十八ヵ所を開基した光音禅師お手植えの榧と伝えられ、県北有数の巨木です。
   平成4年10月10日   千葉県教育委員会・我孫子市教育委員会
 *観覚光音禅師は、江戸時代中期の人物です(1711年~1783年)信濃の国の出身で、千曲川の源流の近くの海尻に生家があります。
 13歳で江戸の呉服商の伊勢屋に奉公していた頃に、商家の立て直しに成功した後、取手宿内で穀物商を営み「伊勢屋源六」と名乗りました。
 商いは繁盛し、商いの傍ら取手宿の繁栄のために尽くし、多くの人々から慕われたといわれています。
 後に息子を亡くし、源六は長禅寺に出家し、観覚光音禅師となりました。荒廃した長禅寺の観音堂(取手市取手2丁目にある臨済宗妙心寺派の寺院)を「さざえ堂」に改装するなど数々の功績を残しました。
 *新四国相馬八十八ヵ所とは、取手市から我孫子市周辺に現存する250年もの歴史のある巡礼地です、弘法大師の四国八十八ヵ所は距離にして1200km、徒歩で40日間をかけて巡りますが、光音禅師の開基されたこの巡礼道は、約70km、4~5日で巡ることができました。

 北東側から

 本堂です

 本堂の南側には大師堂です

 本堂前から

 南西側から見上げました

 慈母観音像です
 
 古い石仏のなかにも如意輪観音様ですね

 では、次へ行きましょう

 

 
コメント
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