ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県花巻市、東和町北成島5区「熊野神社 の千年杉(爺杉)」です!!

2024-10-11 20:25:00 | 巨樹・大木
 東和町北成島5区は、花巻市役所の東南東約9km、花巻市役所東和総合支所の南西約4kmのところ

 花巻市役所東和総合支所西側の県道43号線をJR釜石線の線路を潜って南西へ

 約300mで国道283号線(土沢バイパス)の信号を過ぎると県道39号線です

 約500mで東北横断自動車道東和インターチェンジ入口を過ぎて、自動車道の下を潜って

 道成りに約3kmで

 熊野神社参道入口です

 手前の大きな「熊野神社毘沙門堂」の看板を北へ入って坂道を約700m(標高差約80m)上ります

 熊野神社・毘沙門堂前の駐車場に入りました

 成島ふるさと山宝道の案内図です

 新奥の細道説明版です
   毘沙門天のみち
 この道は、毘沙門山から、燈籠並木、舘山公園、萬鉄五郎記念美術館を通り東和町役場までの6.5kmのみちです。
 毘沙門山には木像の一本造りとしては日本一の高さを誇る兜跋毘沙門天立像があります。
 そこを下ると、300年程前から受け継がれてきた手すき和紙の工芸館があります。
 舘山公園は、桜といわて紫ツツジの名所で市街が一望できます。

 宮沢賢治ゆかりの地「成島熊野神社」案内板です

 熊野神社・毘沙門堂入口です

 徒歩での参道を見下ろしました、汗をかきそうですね

 熊野神社社號標です

 毘沙門堂の寺号標です

 「⇐順路」の表示に従って進むと

 参道石段を上がって進むと、赤い両部鳥居前に出ます

 手水舎です

 拝殿です


 本殿です

 説明版です
   岩手県指定有形文化財 三熊野神社
 三熊野神社の本殿は、向拝流棟造りで、御祭神は熊野の三神で伊弉冉之命(いざなみのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、早玉男命(はやたまおのみこと)を祀っています。
 言い伝えによると、延暦年中(782~806)征夷大将軍坂上田村麻呂がエミシ征伐の時、この地で紀伊の熊野三山に戦勝祈願をしたところ難なく平定することができ、熊野三山の神威を祟び熊野の三神を勧請し、三熊野神社を建立したと伝えられています。 
 康平5年(1062)に源頼義が安倍貞任を追撃しここに立ち寄った時、熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をしたところ安倍氏を破り奥羽を平定する事ができたと伝えられています。
 中世には、和賀領主より社領70石を寄進され、元和4年(1618)に南部利直公より社領23石をいただいています。
 県内では数少ない古代建築様式をもつ建造物であることから昭和54年に県の有形文化財に指定されています。

 拝殿脇前に指定神社看板の脇に「⇐樹齢千年と云う千年杉・爺杉」の案内板です

 西側の鎮守の森の中に太い幹は見えました

 目的の「千年杉・爺杉」です

 南側から、樹高35m、目通り幹囲5.9mの巨木です

 西側から見上げました


 南側の森の中にも、大きなスギが有ります、目通り幹囲は4.5m(目測)程の大木です

 熊野神社拝殿前に戻ります

 背の高いスギです

 手前にハート型の椅子状の台が置かれています

 説明版には
 「不来方の(お城の)草に寝ころびて 空に吸われ(し) 十五の心」啄木
 *(石川啄木の歌です、明治43年11月発刊の「スバル」に収録の110首の内の1首です)
 古代杉の根本に寝ころび、天空を仰ぎ見ることにより、自らの生命力、勇気と自信が湧いてきます。
 各々に感じたことを尊重して、人生を謳歌することをおすすめします。宮司

 古い大きな切株に注連縄の結界が作られています

 まだまだ細いスギですが御神木です

 手形の板が掛けられています

 説明版です
 この古代杉は、千年以上の年輪を重ね古来より幾多の困難と風雪に耐えてきた”御神木”であります。
 この生命力、あるいは目に見えぬ活動力、エネルギーは人間形成に大きな力を与えてくれるものです。
 自らこの手形に自分の手を添えて念じて、パワーをいただくことをおすすめします。宮司

 大きな屋根の下には、泣き相撲の行われることで有名な土俵が有ります

 平成23年3月11日に発生した東日本大震災の地震によって参道に落ちて来た「さざれ石」です

 境内社には狐の置物がありますので稲荷社の様です

 熊野神社から北東へ進むと御堂です

 手水鉢もさざれ石の様ですね

 毘沙門堂です

 では、次へ行きましょう




 2024・9・12・13・20
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岩手県花巻市、四日町1丁目「広隆寺の大いちょう」(市指定)です!!

2024-10-11 12:32:00 | 巨樹・大木
 四日町1丁目は、花巻市役所の北約1.5kmのところ

 花巻市役所の南西側の「花巻市役所前」信号を西へ、約150mの信号を右(北)へ

 約m800mで「花巻信用金庫一日市支店」前信号を左(西北西)へ

 すぐに(約150m)で右(北北西)へ、約200mで

 左手に東南東向きに広隆寺です

 参道脇が広い駐車場に成っています

 寺号標です

 三門(解脱門)です

 三門を潜ると左手(西側)に鐘楼です

 右手(東側)に目的のイチョウです

 西側から

 「花巻市指定天然記念物 広隆寺の大いちょう」の標柱です

 北側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 東側から、小さな乳柱(気根)を見ることが出来ます

 南側から

 枝先には、沢山のギンナンが実っていました

 本堂です

 説明版です
    広隆寺の文化財(浄土宗 藤興山 廣隆寺)
      木造阿弥陀如来坐像 花巻市指定有形文化財(彫刻)
      広隆寺の大いちょう 花巻市指定天然記念物(植物)
 広隆寺は、鎌倉時代に浄土宗の法然上人の高弟が布教した際に拠点とした官野目下以内の「念仏庵」を前身としています。
 その後、南北朝時代の終わりころ、浄土宗の良誾上人(りょうぎんしょうにん)が当地に布教した際、領主の稗貫氏が、浄土宗に深く帰依し亡くなった息子を弔うために建てた寺院に、息子の名「広隆」をつけたのが起源とされています。
 広隆寺には、花巻市指定文化財2件のほか、いくつもの重要な文化財があります。
    花巻市指定有形文化財(彫刻)
      木造阿弥陀如来坐像
        像高 89cm、檜材、寄木造り、漆塗り金箔押し
 江戸時代初期の中央仏師が平安・鎌倉の古様を取り入れて制作したと見られており、流麗優美な作風の中にも調和のとれた安定感のある仏像となっています。
        昭和56年(1981年)3月12日 花巻市指定
    花巻市指定天然記念物(植物)
      広隆寺の大いちょう
        樹高   約30m  樹齢600年程
        枝張り  東西約22m、南北約21m
        根元周 6.00m、根元径1.91m
        目通周 5.10m、目通径1.62m
 この木は、広隆寺を建てた際に植えられたと伝えられる古木ですが、幹には空洞もなく、イチョウの古木に特徴的な乳房状突起があらわれ、凛然とした樹姿に風格のある大木となっています。
        平成9年(1997年)11月18日 花巻市指定
 広隆寺には、これらの指定文化財以外にも、寺の古い記録をまとめた「寺宝旧記留」、京都の泉涌寺からの「十王図」、花巻三画人の一人である小野寺周徳の作と伝えられる「十六羅漢杉戸絵」などが保存されており、周徳自身の墓所も、ここにあります。
       平成19年3月 花巻市教育委員会

 本堂前からイチョウを見ました

 では、次へ行きましょう



 
 2024・9・12・12・45
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岩手県花巻市、仲町「観音寺跡の千本カツラ」(市指定)です!!

2024-10-11 06:31:12 | 巨樹・大木
 仲町は、花巻市役所の直ぐ東側です、市役所のある場所は「花巻城」の跡です

 花巻城案内図です、城跡の南東端に観音寺跡があります

 古絵図にも観音寺が下側の枡形が連続する間に記されています、観音寺も一の馬出のような攻撃施設だったのかもしれませんね
     枡形
 円城寺坂までの道は「枡形」という防御施設であり、見通しの利かない様に道を入り組ませた場所をいい、敵の軍勢が道を進むときに、勢いを弱めたり、待ち伏せしたりして簡単に進めないようにするするためのもの。
 花巻城のいたるところに、このような「枡形」は造られました。

 花巻市役所の南西側「花巻市役所前」信号を東(市役所南側)に入って、直ぐに南東へ細い道路を下ります

 間も無く一時停止を左(東)へ出て、約30mで左(北)へ、正面と左手に鳥居が有ります

 左手の鳥居の先にカツラが見えました

 鳥居脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居脇の標柱に「観音寺観音堂」の文字の下に小さく「名木 千本桂」の文字が見えます

 参道を進みます

 観音堂です

 説明版です
   延寿寺観音堂の由来
 この観音堂の起源は詳しくわかっていないが、花巻開町の租である「北松斎(きたしょうさい)」も厚い信仰を寄せていた観音堂(観音寺)であったと伝えられている。
 この観音堂(観音寺)は、東国三十三観音の25番札所であり、花巻七観音参りの一つとして賑わっていた。
 しかし、明治政府の神仏分離令(注1)によって観音寺は廃寺となり、観音像(注2)など寺の宝は他の寺へ移され、観音堂(本堂)は西宮野目の「御嶽神社」拝殿として移された。
 現在の「延寿寺観音堂」は、明治の中頃に町内の講中(注3)によって新しく建てられ、新たな本尊として十一面観音立像などが大切に納められ、毎年7月17日の宵宮や12月17日のの年越祭が縁日とされています。
 また、境内にはその歴史を物語るように、樹齢数百年と伝えられる「千本桂」があり、花巻市の天然記念物に指定されている。
 そのほかにも、境内には天保14年(1845年)9月と刻み込まれた「庚申塔」(注4)や嘉永7年(1854年)7月7日と印された当国三十三所塔など、当時の観音巡礼を記念した石碑が建てられてあり、江戸中期の石碑として貴重なものです。
 また、盥水(たらいみず・注5)には享保2年(1717年)奉納と刻まれている。

 注 1明治元年に政府により発令された法令で「神社」と「お寺」を別々にするてめのもので、全国でお寺が廃止になったり合併になったりした。
   2北松斎公の持仏「髻観音(もとどりかんのん・戦の時に兜の中に納めた観音)」や「お前立ち(本尊の前に安置した仏像)十一面観音」などが寺の宝として納められていたと言われている。
   3講中とは、神仏の信者が作った団体。
   4「庚申塔」とは、旧暦の「庚申」の日に体内に棲む「虫(三し)」が天に昇りその人の行いを天帝(帝釈天)に伝えると言われ、その日は行いを慎み、「虫」が出ないよう、徹夜で過ごした。この様な集りを記念して建てられた塔を「庚申塔」といいます。
   5「盥水」は神社でよく見かける石をくりぬいて水をためているもの。

 北側の御堂です

 千本桂を東側から見上げました

 花巻市指定天然記念物千本カツラの標柱です

 南東側から、根元にはモミジも見られます

 南側から

 北側に廻って見上げました、第一世代が無くなって第二世代が大きな株に成長しています

 北側から

 では、次へ行きましょう


  

 2024・9・12・12・30
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