ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県紫波町、南伝法寺高木「光円寺のシダレアカマツ」(町指定)です!!

2024-10-27 19:08:59 | 文化財・樹木
 南伝法寺高木地区は、紫波町役場の北西約6kmのところ

 紫波町役場北側の道路を西へ、約1.9kmで「盛岡・矢巾⇒」の標識に従って信号を右(北)へ、県道289号線です

 約2.0kmで「⇐県道13号線」の標識通りに左(西)へ、約1.1kmで東北自動車道の下を潜ります

 約800mで一時停止の交差点を右(北東)へ、約700mで右手に

 光円寺の入り口です

 薄くなってしまっていますが「シダレアカマツ(紫波町指定天然記念物)」入口の標柱が建っています

 東へ入ると北側に広い駐車場です、奥に南向きに山門が見えます

 車を止めさせて頂きましった

 駐車場脇にはハギが開花時期を迎えています

 境内南東側には背の高い木が見えますサワグルミのようですが、この時期花を付けていることから考えると違うのかもしれません

 山門です

 山門を入ると左手に東向きで本堂です

 庫裏の前に目的の「シダレカサマツ」が見えます

 傘の形に仕立てられています

 紫波町指定天然記念物シダレカサマツの標柱です

 幹は細いアカマツです

 傘を見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・9・13・16・05
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手県矢巾町、室岡第1地割「本淨寺の杉」(町指定)です!!

2024-10-27 12:33:10 | 巨樹・大木
 室岡第1地割地区は、矢巾町役場の南西約3kmのところ

 矢巾町役場西側道路を南へ、直ぐの交差点(右手に送電線の鉄塔が有ります)を右(西)へ

 約300mで一時停止を左(南)へ、県道120号不動盛岡線です

 約500mで「森のとちの木」を見て、更に南へ約600mで「県道120号線⇒」の標識に従って信号を右(西)へ

 約1.1kmで「⇐石鳥谷・県道120号線」の標識通りに丁字路を左(南西)へ

 約700mで東北自動車道の下を潜って直ぐ右へ、左手奥に

 東向きの本浄寺の参道です

 参道北側の駐車場に入りました

 三門です

 参道右手に親鸞聖人さまです

 背の高い若いメタセコイアのようです

 本堂です

 目的の「杉」は、本堂南側の境内端です

 町指定天然記念物の標柱です

 北東側から

 北側から、目通り幹囲は4.5m(目測)の大木です

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・9・13・15・50
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手県矢巾町、白沢第6地割「森のトチの木」(町指定)です!!

2024-10-27 06:31:44 | 巨樹・大木
 白沢第6地割地区は、矢巾町役場の南西約1kmのところ

 矢巾町役場西側道路を南へ、直ぐの交差点(右手に送電線の鉄塔が有ります)を右(西)へ

 約300mで一時停止を左(南)へ、県道120号不動盛岡線です

 約500mで信号を左に曲がると

 左手に大きなトチの樹冠が見えます

 ズームアップして見ました

 少し東側から

 根元は見えませんが、目通り幹囲6.6mの巨木です

 南東側から、大きなお屋敷の中に立っています

 大きな石碑が建っています、ここが生誕地の歌人西塔幸子(さいとう・こうこ)の石碑です
 碑面には、西塔幸子生誕の地
   「淋しい私の生涯に いささかでもうるおいを 与えてくれる歌が ありがたいのです」
      西塔幸子 「歌と私」イト
    平成5年6月30日建立

 説明版です
   西塔幸子生誕の地
 美しくもまた傷ましい尊くも悲しい純情の結晶が、この「山峡」集である。
                         金田一京助「山峡」序
 歌人・西塔幸子は明治33(1900)年6月30日、この地不動村村松雄一郎氏別宅で生まれた。
 両親は旧白沢小学校の先生でした。
 幸福になるようにと名づけられですが、幸子35年間の短い生涯は、むしろ、悲しみに満ちていました。
 多くの苦難を負いながら、それでも幸子はひたむきに生き続け、没後、歌集「山峡」を残しました。
 生誕の地碑は幸子への、私たちの共感と鎮魂の祈りでつくられました。
       平成5年6月30日 西塔幸子生誕の日に    
         西塔幸子生誕の地記念事業実行委員会
 *西塔幸子(さいとう・こうこ)で検索してみました、産経新聞の総支局記者コラムの記事「「女啄木」と呼ばれた歌人・西塔幸子終焉の地を訪ねる」が第一番に出て来ました。
 *岩手県内の三陸沿岸や北上山地の小学校で教鞭をとりながら、8人の子宝に恵まれた幸子の最後の赴任地である宮古市江繋には記念館があります。


 もう一枚だけ

 では、次へ行きましょう



 2024・9・13・15・40  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする