ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県多気町、仁田「佐那神社の夫婦杉」です!!

2025-02-25 06:31:50 | 巨樹・大木
 仁田地区は、多気町役場の南約2kmのところ

 多気町役場の西側の県道160号松坂多気線を南南東へ進みます

 約500mの「多気町役場南」信号で左からの国道42号線に合流するように右(南)へ

 緩く右にカーブした約1.3kmの「多気町立佐奈小学校」南側校庭の先右手に佐那神社の鳥居が見えました

 北へ入って鳥居前に車を止めさせて頂きました

 佐那神社境内入口です

 佐那神社社號標です

 鳥居を潜って参道に入ります

 手水舎です

 夫婦杉は真っ直ぐ奥ですが・・・

 佐那神社由緒記石碑です
   御由緒記
 当社の御祭神は、上古、天照大御神、岩屋戸に隠れまし時、其の戸を開いて、大御神の大御光を六合に輝かし奉った天手力男神を主神とし、天宇受売神など、23柱、祭神不詳2座をお祀りしている。
 当社の創立年代は不詳であるが、古事記(712)に「次手力男神者坐佐那縣也」とあり、延喜式神名帳には「多気郡52座並2座」とあるなど、千有余年以上を経過している古社であることは明らかである。
 当社の創設者について確証はないが、延喜式神名帳にいう「佐那神社二座」のうち、一神は主神に天手力男神、他の一神について諸説はあるが、、当社においては、古事記に従い「曙立王神」を氏神さまと奉祀している。当社の創設と深い係りのある神と考えられる。
 当社の別名を「中宮」とか「大森社」などと古くから呼ばれいた。これは延喜式内社多気郡巻頭第二の神社であったことや、佐那谷に比類なき高大な鬱林が覆い茂っていたことなどからである。
 当社は、古い文献により、吉野朝以降、室町時代、江戸時代初期に至るまで神宮、特に外宮とは、深い係りを、次のようにして保有していた。
    神宮の造営使によって、二十年に一度の社殿造り替えに預かった十二社中の一社であったこと。
    斎宮の祈年祭に預かれる神社であったこと、外宮禰宜の労社として、祝いの制を定め、神田を設け、毎年2月、神事が    行われていたこと。
 明治43年、ここ佐那神社に、延喜式内社多気郡巻頭の第一の神社「須麻漏売神社」を始め村内の各神社を合祀、昭和18年県社に列せられる。同27年宗教法人佐那神社となった。同年国事国難に殉じた本村出身202柱の祖霊を祀る境内社「和玉神社」を創設した。
 以上のことから、当社の創立年代は極めて古く、且つ、尊い所以を知ることができる。

 大きな石(岩)です

 由緒説明版です
   由緒
 当、佐那神社は古事記に「天手力男神は佐那の縣に坐せり」と記載のごとく、日本神話で天手力男神が「天岩戸伝説」の伝承にあるように怪力無双の力・岩(石)に深いつながりと縁がある神社であります。
 お参りの際には手水舎前に設置している、大力石を持ち上げる如く触れ、そして、拝殿前に設置の力石をもちあげて、撫でて健康や病気に打ち勝つ等の前途を開く力やご加護に頂かれてお参りいただきたくご案内申し上げます。
 尚、拝殿前の力石は古より佐那の縣の神社に祀られていて、祭祀・力試し等に使われていた石と考えられます。
 力石の起源は、石占(いしうら)といわれています。神社に置かれた特定の石を、老若男女にかかわらず願いを唱えて持ち上げ、その重い、軽いの感触によって願い事の成否・吉凶を占っていました。
 
 左(南西)へ進むと

 注連縄の巻かれた「御神木 手力の大桧」です

 南西側から見ました

 神社社殿は南東向きに建てられています


 こちらが佐那神社拝殿のようです

 こちらは遷座用地のようです

 力石が置かれていました

 戻って石碑の前を「夫婦杉⇒」へ行きましょう

 左手の鳥居を潜って進むと

 目的の「夫婦杉」です

 注連縄を巻かれた、二本の幹を見上げました、目通り幹囲9.1mの巨木です

 石祠が祀られています

 案内板です
   夫婦杉
 江戸時代(西暦1850年頃)よりk御後に植えられたここに生き続けている夫婦杉です。
 素晴らしい神様もお守りし崇敬の皆様を見守っていられる御神木です。

 左手から見上げました

 では、次へ行きましょう





 2025・1・25・15・55
 

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