ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県長井市、白兎葉山神社のスギです!!

2018-08-17 05:41:47 | 巨樹・大木
白兎地区は、長井市役所の北約6kmのところ

県道9号線から西側山際を走る県道11号線へ移動します

県道9号線が白鷹町に入る手前西側に葉山神社が鎮座します

参道脇に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました




葉山神社参道です

説明版です
  白兎の地名の由来
 約930年前、安倍貞任・宗任と源義家の
戦いで、源氏が安倍氏を滅ぼし、以来330
年間この地は荒れ果てた山でした。明徳4年
(1393年)丹後国(京都の南西)の、恵
法律師という偉い修験者が羽黒山に詣でるた
め、途中現在の五十川地区四ツ谷の堀の中で
閻浮檀金(砂金のこと)の薬師如来を見つけ
ました。
 この仏像を捧げて白狐と白兎に導かれて西
山に登り平坦な葉山平と農園御田代にお社を
建てて祀りました。その道案内を兎がしたこ
とから白兎の地名が出来ました。
 葉山神社のご神体は、閻浮檀金の薬師如来
です。
  白兎のしだれ桜
 現在の葉山神社の宮司嶽本氏敷地内に、嶽
本氏の先祖が植えたもので、樹齢約200年
になる「日本33枝垂桜」の一つです。
 最盛期には樹高7丈(約20m)以上もあ
ったと言われますが、現在では樹高12,5
m、根回り4,7m、目通り3,5m、枝振
り東西10m、枝振り南北11mとなりまし
た。以前の勢力を取り戻す努力と共に専門家
に分木をお願いし神社境内にその二世の姿も
見せております。又、平成20年にはこの「
しだれ桜」の廻りを桜の名所にするため、地
権者のご理解のもと「最上川さくら回廊」事
業に決定して戴き見學者に喜んでいただけま
すように区民一同整備しております。
  葉山神社のスギ
 明徳4年(1393年)恵法律師和尚が、
西山山頂の葉山平にお社を建ててお祀りしま
した後、天文2年(1533年)頃、郷の葉
山神社口の宮として現在の地に建立された、
遥拝殿の門スギとして植えられたもので、樹
齢は400年とも500年ともいわれ(社伝)
、市内の門スギとしては最大級です。
 又、葉山山頂の葉山平には「葉山神社」と
「月山神社」の二つが建立され、20年に一
度の「お建替」を行い、今日まで受け継がれ
ております。




手水舎です


境内入口に両側にい門スギがあります、目的のスギです

目通り幹周り4,5mと4,2mの大木です

長井市指定天然記念物 葉山神社のスギの看板です


鳥居前から振り返って見上げました


兎の狛犬です、ウサギの狛犬はさいたま市の調神社が有名ですね

鳥居です

拝殿です、参道の線上から南に少しずれています

本殿です

山際には境内社が並んでいます、厳島神、疱瘡神、御神明様などです

拝殿前(南西)からスギを見ました

では、次へ行きましょう
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山形県長井市、横町遍照寺の大イチョウです!!

2018-08-16 05:55:45 | 巨樹・大木
横町は、長井市役所の北北西約1kmのところ

山形鉄道フラワー長井線あやめ公園駅の東側です

県道253号線に参道を開いています

山門前に車を止めさせて頂きました


参道入口です

真言宗 豊山派 金剛山 遍照寺です

説明版です
  金剛山遍照寺(真言宗豊山派)
 金剛山遍照寺は、8世紀中頃に行基菩薩が開いたと
伝えられている。文治の乱(1189年)の時、中尊
寺の祥乗が戦乱をさけて遍照寺に入ったといい、「奥
の高野」とも呼ばれた古刹である。永享年中(142
9~)、名僧宥日上人が盛りたて、中興開山といわれ
ている。
 江戸時代に入ってからも、日瑜、宥諦、諦真、宥謙
らが地域の発展に力を尽くし、明治初めには38の末
寺をかかえる大寺院であり、現在も、置賜地方を代表
する名刹である。
  平成5年3月
       長井文化財保護協会
       長井市教育委員会
図面の右端に目的の大イチョウが在ります
 ⑪大イチョウ(根廻り11m)



側に遍照寺の大イチョウの看板が立って居ます

参道は墓地の真中を通り通ります、左手に大きな石仏があります

右手の墓地の先に大イチョウが見えます

山門です

本堂です

庫裏の前から大イチョウを見ました

西側から見上げます

南西側から見上げました

南側墓地の中から見ます

南東側から

東側の運動場から、桜越しに見ました

では、隣の總宮神社に行きましょう
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山形県長井市、館町北白山神社の大ケヤキです!!

2018-08-15 06:00:34 | 巨樹・大木
館町北地区は、長井市市役所の南約1kmのところ

国道287号線と県道251号線にはさまれたところ

県立長井高校の北側に白山神社が参道を東に開いて鎮座します

西側道路に車を止めさせて頂きました



参道入口です

白山神社です

手水舎です

参道の鳥居です

案内版です

説明版です
  長遠寺と白山神社
 長遠寺と白山神社の境内は、昔三間の館濠と
土塁をめぐらした地頭屋敷であった。鎌倉初期、
長井泰茂に従って大須賀(千葉県)から長井の
庄に来た大須賀氏が長光の時に小出村地頭とし
てこの地に館をかまえたのが始まりである。彼
の家来や名子たちが館の東と北に家をつくり集
落となったので「荒館(新館)」の字名がつい
た。根周り9,2m、高さ19,3mの大欅は
その当時植えられたものである。
 長光は白山妙理権現(石川県)を屋敷鎮守と
して勧請し厚く信じた。白山神社は大須賀氏の
いなくなった後も小出村の鎮守として信仰をあ
つめ、現在の白山姫の神像は江戸初期に作られ
た美しい彩色木像である。
 大須賀長任は、興国4年(1343)に出家
して義昌と名のり、荒廃した長遠寺を再建して
祖先の霊をとむらった。江戸時代後期の明和4
年(1767)に荒館の豪商油屋五左衛門が奈
良東大寺南大門の仁王像の2分の1(約2m)
のものを京都の仏工にたのんで作らせて寄進し
た。古色仕上げの雄渾は「黒仁王」として健康、
健脚、癌の治癒を祈願する参詣者が多い。11
月8日は仁王様の「お年越」が行なわれ、威勢
のいい餅つきがあり、二千人近い信者でにぎわ
っている。
 平成4年3月31日
        長井文化財保護協会
        長井市教育委員会


  

狛犬です

拝殿です

懸額には白山宮とあります

本殿です

拝殿手前左側に目的のケヤキが在ります

長井市指定天然記念物ですね

南東側から

南側根元から見上げました

西側から

北側から

境内は荒館(大須賀館)跡です

白山神社の北側には黒仁王尊です

沿革石碑です

では、次へ行きましょう
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山形県川西町、上小松置賜四所神社の大杉です!!

2018-08-14 05:47:52 | 巨樹・大木
台風12号が東海地方に上陸したこの日

山形県米沢置賜地方もにわか雨の

変わりやすい天気に成りました

では

上小松地区は、川西町役場のすぐ南側のところ

役場から西へ約3km字社寺地内

(グーグルマップでは字名が出ませんでした)

県道8号線の南側に参道を北側に開いて

置賜四所神社が鎮座します(社殿は東向きです)

参道入口の県道脇に車を止めさせて頂きました


道路の参道入口前から社叢を見ました

参道鳥居です

参道が直角に右に曲がって社殿前になります

拝殿です、社殿後ろに目的のスギが見えます

本殿です

本殿右後ろに大杉が在ります

説明版です(参道鳥居脇に有ります)
 置賜四所神社の大杉
  西川町指定 天然記念物  植物1本
所在地  山形県東置賜郡川西町上小松字社地
保持者  金子茂美
大きさ  目通り6m、枝張り22m 高さ39m
 社殿後ろにある大杉は、置賜四所神社の神木である。
神社は、和銅年間の創建と伝えられているが、詳細なこ
とは不明である。この杉は、町内最大の太さである。
 中世時代には、この神社を(置賜宮)と称し、長井時
広は武運長久を祈り社領80石を寄進したと伝えられて
いる。

本殿裏側南側から、落雷の跡の無い綺麗なスギです

南西側から、目通り6mになると立派ですね


境内社の祠があります

では、次へ行きましょう
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栃木県那須塩原市、木の俣地蔵のカツラです!!

2018-08-13 05:54:00 | 巨樹・大木
木の俣地蔵は、那須塩原市役所の北西約16kmのところ

県道369号線を悼むろ温泉へ、更に先の深山ダムへ向かうと

途中の左側に木の俣地蔵参道入り口が有ります

大きな駐車場が在りますので利用しました


参道入口です

説明版です
 木の俣地蔵
 この本尊は、阿部貞任の守本尊と伝えられ、
初め尊像を安置したという桂の大木が参道に
沿う雑木林の中に現存する。戦前は霊験あら
たかな子育地蔵として多くの参詣人を集め、
遠く会津地方にまで及んだ。
 伐採した境内の杉は樹齢約500年と推定
され、堂内の石灯籠は享保7年(1719年)
奉納とあることから、当時すでに厚く崇敬を
集めていたことがわかる。
【伝説】
 前九年の役に安部貞任がこの地に陣し、守
本尊である地蔵尊を桂の木に置いて戦いに出
たため、源頼義との一戦に敗れたと伝えられ
ている。
 また、一説には会津の農民が林の中にこの
本尊を見つけ密かに持ち去ったが、毎夜「き
のまたこいし」と泣くので、仏罰を恐れてま
たもとの桂の木に安置したとも伝えられてい
る。       那須塩原市


杉並木の参道を行きましょう

木の階段の先にカツラが見えて来ました


目通り幹周り7,0mの巨木です

とちぎ名木百選に成っています

南西側から

案内板です、地蔵隠置の木 桂 樹齢不詳 太さ7m(伝説の地)となっています

北側から

地蔵堂はもう少しです

地蔵堂です

造営記念碑が有ります

地蔵堂前からカツラを見ました

テンナンショウ属(コウライテンナンショウのようです)の花が咲いていました

では、次へ行きっましょう

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福島県西郷村、真船赤面新甲子遊歩道の岩抱きの楢です!!

2018-08-12 07:48:47 | 巨樹・大木
赤面地区は、西郷村役場の西北西約14kmのところ

剣カツラの駐車場にそのまま車を止めさせて頂きました

阿武隈川源流新甲子遊歩道の案内板が有ります

中ほどに岩抱きの楢が在りますので見に行きました

日光国立公園 福島の水30選 阿武隈川の源流の大きな碑があります

碑の前から右に進みます(下流に向います)

まず河鹿の森を通過します

川音が大きく聞こえています

カツラノ大木が在ります

橋が見えて来ました

キビタキの橋です

少し進むとまた橋を渡ります

注意啓発の看板が有ります、注意して進みましょう

右側の崖が崩れているところは「落石注意」の看板が有りますので注意してください

倒木が遊歩道を塞いでいます、下を潜って進みます

足元の石がゴロゴロしているところは「足元注意」の看板が有ります

子宝の岩です

遊歩道が解りづらく成っていますが川原側を進みます

遊歩道の曲がり角から楢の大木がみえました

階段を下ります

遊歩道と阿武隈川源流の間の薮の中

楢の大木です

目的の石抱きの楢です

大きな幹の一本が倒れてしまっています、残念です

では、戻って次へ行きましょう
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福島県西郷村、真船赤面剣カツラです!!

2018-08-11 07:19:28 | 巨樹・大木
赤面地区は、西郷村役場の西北西約14kmのところ

国道289号線を西へ、新甲子温泉の先

新甲子遊歩道の入り口に剣カツラが在ります

カツラ入口に駐車場やトイレが有りますので利用させて頂きました


道路脇に説明版です
  天然記念物(緑の文化財 登録280号)
 名称 剣カツラ
  樹齢   約320年
  樹高  約35,0m
  胸高周囲 約9,7m
  科目     カツラ
  樹種     カツラ
 この巨大な桂は、その幹に剣が深々と突きささって
いるのでこの名があり、古くより地域の人々が神木と
して信仰の対象となってきた。
 桂は古くから「勝利」・「栄光」・「高貴」等の形
容に使われきたので、特に山仕事を生業とする人達が
林産物の伐採や搬出の無事を祈念するために幣や剣を
奉納する風習があった。この桂はそうした人達によっ
て信仰によって護られてきた。
 伝承によれば昔この街道筋は、昼なお暗く鬼神が出
没して往来の人々を苦しめたため、時の白河城主松平
定信公(楽翁公)が剣をもってこの木に封じこめたと
伝えられるものである。今も目の高さ程の洞に剣束の
一部をのぞくことができる。
 樹勢は良好、傍らに温泉地一帯の山の鎮守・桂剣神
社がある。
桂・・・カツラ科の落葉高木、日本特産で山地に生え
    る。
    樹皮は灰白色で、雌雄異株で早春に紅色の小
    花をつけ、果実は濃紫色。中国の伝説で、月
    にある想像上の木ともいわれます。
幣・・・神にささげる札物の布。
  平成6年3月    西郷村教育委員会




すぐ奥の祠の脇に目的の剣カツラが在ります

剣桂神社です

説明版です
  剣桂神社
 この神社は、新甲子地域の氏子によって昭和51年
11月に内神様として建立されました。
 ここに有る桂の大木は、喬木性の落葉樹で幹が直立
して多くの枝条を出す精の強い木である。
 雌雄異株で、5月頃、葉に先立って葉腋に1ヶの花
をつけ実を結ぶ。
 旺盛な精気、端麗な樹姿に加え、きめの美しさと香
ぐわしさが高くかわれ、月の桂は、勝利、栄光、高貴
などの形容にしばしば使われる。
 この神社は桂の大木を神霊の拠代として真剣を奉ず
る素朴な信仰のあらわれで、人々の厚い信仰を受けて
いる。
 口伝に、
  むかしここに鬼神があらわれ、甲子路を旅する人
 を苦しめたので時の城主、松平楽翁公が、旅人の難
 儀を救うため、剣をもって鬼神をこの木に封じこめ
 たという。
樹齢 約330年
樹高   45m
目通り   7m
平成9年8月 氏子総代 有賀悌三

森の巨人たち100選です 

剣カツラの前にも小さな祠が有ります

剣桂神社の前から(西側から)

剣桂神社の裏側から(南西側から)

南側から

北東側から

では、新甲子遊歩道を見に行きましょう
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福島県西郷村、真船高清水の松です!!

2018-08-10 12:30:13 | 巨樹・大木
高清水地区は、西郷村役場の西北西約8kmのところ

国道289号線を西へ

甲子温泉の手前で道路が新しく成っています

北側に国道の旧道を進むと

新道に出る手前の左カーブの外側に

アカマツの大木が在ります

道路に車を止めました



カーブの外側にマツが見えて来ます

目的のアカマツです

説明版です
  名勝 高清水と高清水の松
 世の移り変わりは道に反映する。
道は歴史の担い手であるとともによ
い語り手でもある。甲子路の今昔が
そのあかしであろう。
 甲子路の変ぼうは想像を絶する。
こんにちのハイウェーを誰が予側し
たであろうか。
 甲子路の古道は、次に曲がる坂の
手前を右に登ったのであるが、路線
の改修で今はその跡形もない。
 もとの道を少し入った根方に泉が
湧き、それを高清水といった。
 今もわずかに跡を残すが、過去の
名泉は、清爽美味、これを飲めば精
気たちどころに復すといわれ、旅人
みな愛飲した。
 路傍の一軒茶屋では、駄菓子や庭
前の石梨などを売り憩うにほどよい
場所であった。
 そのころ、このあたりは雑木と松
山であったが、一本よく斧を免れ今
に残り幾多の風雪にきたえた優雅な
風姿は仰げば賞嘆の感が尽きない。
 老いを忘れたかのごと、ひとり甲
子路の歴史をきざむ。
  樹齢   約200年
  樹高  約20,0m
  目通り  約2,1m
  枝ぶり 約18,0m
平成3年3月
  西郷村教育委員会

箒形に樹冠を広げています


夏草が伸びて根元まで行くことは遠慮しました

では、次へ行きましょう
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福島県須賀川市、市野関稲荷神社のケヤキです!!

2018-08-09 06:25:05 | 巨樹・大木
市野関地区は、須賀川市役所の南東約4kmのところ

県道63号線を福島空港方面に進み

大仏大橋で阿武隈川を越えると直ぐ南側の地区です

県道141号線の立体交差まで進んで戻って来ました

地区の西側をJR水郡線の線路が通ります

地区の南端の細い道を進むと鳥居前に出ました

車は神社の北側の道路脇に止めさせて頂きました


鳥居前に出ました

稲荷神社です

鳥居の額です、南向きの鳥居を入ると直角に曲がります

参道が東向きに変わります

稲荷神社らしく狐の狛犬が迎えてくれます

拝殿です

本殿です

社殿の南側に目的のケヤキです(北側から見上げました)

社殿脇から(北西側から)

南西側から、目通り幹周り5,1mの巨木です

西側にもう一本のケヤキの大木です


境内社や石塔が並びます

では、次へ行きましょう

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福島県須賀川市、牡丹園のけやき樹です!!

2018-08-08 07:33:09 | 巨樹・大木
牡丹園は言わずと知れた須賀川市の名勝です

須賀川市役所の南東約2kmのところ

国道118号線沿い、西向きに牡丹園の入り口があります

入り口を入った南側に大きな駐車場が在りますので

利用させて頂きました

牡丹園への入り口は南側に有るので南に駐車するとよいでしょう



牡丹園入口です

駐車場の奥に「牡丹姫」像が見えます

説明版です
  牡丹姫像
 須賀川市と中国洛陽市は昭和57年から牡丹を
架け橋に産業経済、文化、美術工芸及び牡丹植樹
など各界各層による友好交流を続けています。
 ここに建立した牡丹姫は洛陽市の招待を受け、
昭和61年4月、須賀川市長を団長とする第4回
各界訪中団の洛陽市王城公園牡丹花会開幕式の出
席を機会に牡丹を架け橋とする友好交流の証とし
洛陽市牡丹仙子像を模して財団法人須賀川牡丹園
保勝会創立30周年を記念し建立したものであり
ます。
 中国洛陽市の牡丹仙子は、小説「鏡花縁」の牡
丹仙子に関する伝説をもとに西暦1983年王城
公園第1回牡丹花会を記念して建立されたもので
あります。
 昭和62年4月27日


牡丹園入口です(開花期以外は無料開放されています)

苑内案内板です、園内の池の脇に大ケヤキの文字が見えます


牡丹園の説明版です
 須賀川牡丹園は、明和3年(1766年)
伊藤裕倫が摂津国山本村(現在の兵庫県宝塚
市)より苗を求め薬用に栽培したのが始まり
で、その後柳沼牡丹園となり、今や牡丹の古
園として東洋一と云われている。
 園内には樹齢200年以上の在来古木をは
じめ、明治以降に育成された銘柄牡丹三百有
余種5000株が園内一面に咲き誇り、園の
周辺には老松巨樹が茂る閑静な花園である。
この牡丹園も戦後には樹勢の衰えがみられた
が復興対策を進めた結果今日の盛況がもたら
された。
 昭和7年10月19日文部省告示第218
号をもって名勝に指定された。
 昭和32年1月12日財団法人設立許可
  平成4年4月28日
    財団法人 須賀川牡丹園保勝会




皇后陛下御詩の碑です

ケヤキの樹冠が見えて来ました


正面にケヤキの巨木が見えます



南側から

説明版です
  ケヤキ(欅)
 この牡丹園は、中世の時代須賀川城主二階堂氏の
御薬園であったと伝えられており、園内にはたくさ
さんの古木が自生しております。
 園内のケヤキ群は創以来のもので非常に貴重とさ
れており、昭和58年2月17日、福島県の「緑の
文化財」に東麓されました。
 このケヤキは樹齢数百年、幹の直径は2mありま
す。
 (公財)須賀川牡丹園保勝会


北西側から


稲荷神社へ行って見ましょう

天の岩戸の場面を表した天宇受売命像ですが牡丹園とは関係ないとのことでした

鳥居が並びます

稲荷神社です

説明版です
 稲荷神社は、人間生活の基となる衣、食、住の
守護神と五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、交通安
全、安産、厄除けなど生活発展の大神を併せてお
祀りし極めて篤い崇敬信仰を受けております。


では、次へ行きましょう
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福島県白河市、大信上新城烏住神社の大杉です!!

2018-08-07 06:16:46 | 巨樹・大木
教は立秋ですね~、合わせた様に関東地方は涼しく成りました

昨日までの暑さも、台風が過ぎる今週末には戻ってきそうです

まだまだ熱中症に注意ですよ



上新城地区は、白河市役所の北北東約10kmのところ

国道294号線を北へ県道58号線の交差点を東へ

JR東北新幹線の高架の手前北側山裾に

総合運動公園が有ります

烏住神社は運動公園のすぐ東側です

鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました


入り口鳥居です

村社 烏住神社です



鳥居脇にはケヤキの大木が目立ちますがも、目的のスギは直ぐ後ろに隠れています

目的のスギです目通り幹周り5,1mの巨木です

参道を進みましょう

水盤です



参道から見上げました

狛犬です

拝殿です

本殿です


拝殿脇の杉の大木です

境内社です

天乃うすめの命の祠です

では、次へ行きましょう
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福島県白河市、大信隈戸天神乳銀杏と天神モミです!!

2018-08-06 05:51:43 | 巨樹・大木
隈戸地区は、白河市役所の北約12kmのところ

国道294号線から県道58号線を西へ

約8km北側の山裾に天神様の祠が有ります

県道脇に乳銀杏の案内板が有りますので目印になります

祠入口前の道路に車を止めさせて頂きました


案内板が有ります

北側山裾に天満天神の祠があります

入り口です

説明版です
 白河市指定天然記念物
  天神乳銀杏・天神モミ
 指定年月日 昭和46年4月1日
 所在地 白河市大信隈戸字山小屋
 所有者 個人
 大きさ 乳銀杏:高さ23m 根周り約6,7m
     モミ :高さ27m 根周り約6,8m
 菅原道真を祀った天神天満宮の小祠のかたわらに
生えている銀杏とモミの大木です。天神宮に対する
信仰とともに、「天神乳銀杏」「天神モミ」と称さ
れ、神木として守られてきました。
 東側(右)が乳銀杏、西側(左)がモミで、とも
に樹齢約500年と推定されています。
 乳銀杏には幹から乳房のように垂れ下がったこぶ
があり、古くから、この幹の皮を削り煎じて飲むと
母乳の出がよくなるという信仰がありました。
 戦後にはその風習はなくなりましたが、現在も根
元の皮が削り取られた痕跡が残っています。
        白河市教育委員会



階段を上がりましょう

階段の右手にイチョウ、左手にモミが在ります

天満天神宮の祠です

祠の前から見上げました目通り幹周り5,2mの巨木です

乳は余り見られませんね~

立派なモミです

根周り6,8mもあります

樹種の違う巨木がこんなに近くに在るのは珍しいですよね

では、次へ行きましょう
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福島県南相馬市小高区、行津(なめづ)の大杉です!!

2018-08-05 06:50:16 | 巨樹・大木
行津地区は、南相馬市役所の南南東約14kmのところ

国道6号線を南へ、国道の西側に星神社が鎮座します

参道入口前に車を止めさせて頂きました


参道入口です

星神社です

鳥居です

狛犬です

手水舎です

拝殿です

本殿です



大杉です

説明版です
 市指定天然記念物
  行津の大杉
 このスギは星神社の境内にそびえ立っています。
星神社は、室町時代に標葉小太郎隆範が領する標葉
郡の鎮守として崇敬されたと伝えられています。
 樹齢から推定すると、このスギは明応年間(14
92~1501)に標葉氏が相馬氏に滅ぼされ、行
津・下浦・上浦の地が行方郡に編入された頃に植林
されたものと思われます。枝張り・樹形が優れ、堂
々たる偉容を誇っています。
 樹種 スギ
 樹齢 約500年
 樹高 35,0m
 指定年月日 昭和43年2月1日
 所在地 南相馬市小高区行津字宮下
 所有者 星神社
  南相馬市教育委員会

綾殿の縁側の束石が杉の根の上に来ています

本殿後ろ側の欅です

境内社の祠が並びます

では、次へ行きましょう

行津地区を南へ国道6号線を進むと

双葉郡に入り、基幹困難地区となります

更に基幹困難地区の中を国道6号のみ通行できます

福島第一原発入口の空間線量計は2、38シーベルト

飯館村「田神社の神杉」の前の除染土保管施設前の6倍以上でした
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福島県南相馬市小高区、泉沢大悲山薬師堂の夫婦杉です!!

2018-08-04 08:39:46 | 巨樹・大木
泉沢地区は、南相馬市役所の南約10kmのところ

JR常磐線おだか駅の南南西約3kmに大悲山薬師堂が有ります

県道120号線を南に進み、案内板に従って進むと

駐車場が有ります


県道からの薬師堂入口案内板です

斜面の上に半面焼け焦げた杉が在ります

夫婦杉です

案内板ですが、夫婦杉の片方が見当たりませんが~
  


階段下側から見上げました

では、次へ行きましょう
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福島県南相馬市小高区、泉沢大悲山薬師堂の大杉です!!

2018-08-03 12:27:03 | 巨樹・大木
泉沢地区は、南相馬市役所の南約10kmのところ

JR常磐線おだか駅の南南西約3kmに大悲山薬師堂が有ります

県道120号線を南に進み、案内板に従って進むと

大杉の前に駐車場が有ります

県道の大悲山薬師堂入口案内板です

大悲山案内板です


大悲山入口です、大杉は目の前です

根を保護するための板張りの参道から見上げました


大杉です

天然記念物の標柱と緑の文化財の標石です

石仏群説明版です

大杉の説明版です
 福島県指定天然記念物
  大悲山の大スギ
  昭和30年2月4日指定
  所在地 相馬郡小高町泉沢
  所有者 慈徳寺
 史跡「薬師堂石仏」の庭前石段の
そばにある大樹で、根元は石段設置
の際に埋められているが、目通り幹
周り8,6m、高さ約45mである

 地上約3m余りのところから支枝
数本に分れ、樹勢がよく、うっそう
と繁茂していることでは県内有数で
ある。
 なお、薬師堂石仏は藤原時代のも
ので、2mを超す大きな半肉掘りの
座像を中心に、立像・線彫りなど1
0余体がきざまれている。損傷して
はいるが、光背などに彩色が残って
おり、この時代のものとしては東北
唯一の磨崖仏である。
  福島県教育委員会



本堂薬師堂前から見上げました


階段右側にも杉の大木が在ります

こちらも境内側から見ました


薬師堂です

すぐ東側の夫婦杉へ行きましょう
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